北極亭日乗


BACK NUMBER: 1278101112


平成十五年一月



   

平成十五年一月三十一日(金曜)雪

 この月も亦わさわさと過ぎ行きて終わらんとす。何とは無く気忙しく思わるる日常にて、ゆるりと酒酌む気にもなれず、コップ酒をばぐびりと干して、そそくさと床に入る日多し。床に入れば、溜まりたる雪掻きの疲れにて足腰痛く、寝返りもままならず情け無し。春の来ぬ冬は無しと謂えども、老いの身に冬は重たし。春よ来い、早く来い…。

 岩見沢市発注の公共工事を巡る談合事件で公正取引委員会は三十日、市が組織的に行った官製談合なりとして、官製談合防止法に基づき市に改善措置を要求、また独占禁止法違反(不当な取引制限)で建設会社など百二十六社に談合まかりならぬと排除勧告を出したり。官製談合防止法は今月六日に施行されたるばかりにて、初の適用とぞ。
 「談合は必要悪」なる声があったはいつの頃か。露見せば運が悪るかりしなりと言ふ。批判されつつもなお存在するは何故か。談合が価格を吊り上げ、税の無駄遣いを助長しおるは明々白々の事実。まして官主導の官製談合とありては、我ら庶民と呼ばれる納税者如何にしても浮かばれず。
 今年も亦、腹立たしきことの多き年なるか。



   

平成十五年一月二十日(月曜)晴

 大寒の今朝、最低気温氷点下十二度を記録。札幌の幼稚園、小学校にて始業式。甥のところのご両人、宿題やり終えて式に臨みたるや、いささか心配なり。この一週間、量は多くなけれど連日の雪掻きに閉口、天に向かいて毒づく日も在りたり。

 十四日 自民・中川昭一氏も高橋はるみ氏に出馬要請。元巨人軍の松井秀喜外野手、米大リーグのニューヨーク・ヤンキースと正式契約、入団発表。緊張で口が回らず四苦八苦もご愛嬌、まずは門出を祝すのみ。
 十五日 堀知事三選出馬断念。迷走する候補選定に嫌気がさしたか堀知事。国会議員らで構成の候補選定七人委員会と道議の間に軋轢増大するは必至。民主要請の逢坂ニセコ町長の動向と併せ注目さる。
 十六日 堀知事三選不出馬表明の記者会見。記者の質問に「何云ってるだ。同じことばかり訊くな。馬鹿」と応え、苛立ちと無念さを滲ます姿はむしろ哀れに映りたり。百二十八回芥川賞に「しょっぱいドライブ」の大道珠貴さん。「生きるのが苦しいから物書きになりました。私には道があります。そこに向かって書いていきます」。一層の精進を願ふ。
 十七日 西武百貨店函館店、八月末の閉店決まる。セゾングループ完全解体、社長・会長の辞任も含め経営再建中の西武のこと、まして道内経済好転の兆しなかりせば、やむなしの他なし。
 十八日 がんが見つかりし天皇陛下の前立腺全摘出手術、東大付属病院にて行わる。二十日現在、経過順調なり。
 十九日 BSE六頭目感染牛、和歌山で確認さる。西日本で初の確認にて、標茶出生牛なり。猿払、音別に次いで三頭目の道内産牛。払拭されつつあった「食への不安」が再燃せぬことを祈りたし。

 来るべき時が来たと言ふべきか。三十歳にしての引退はいかにも惜し。大相撲西横綱貴乃花(本名・花田光司、東京都出身、二子山部屋)初場所九日目の二十日、東京・国技館にて引退記者会見を開きたり。
 ついにと言ふか、たふたふと言ふか、休場場所数計十七場所、休場日数二百一日。怪我に泣き休場を続けて後がなき満身創痍の状態なれば、引退もやむなしとの思いも強し。席上、約十五年の土俵生活を振り返りて、「非常にすがすがしい気持ちで取り終え、心の底から納得している。悔いはない」と語るを聞きえたるは、応援し来し諸人にとりても救いとなりしを疑わず。
 鮮明に記憶に残るは「痛みをこらえて、よく頑張った。感動した」と小泉首相に言わしめた一昨年夏場所千秋楽の武蔵丸との優勝決定戦。二十二度目の賜杯を手にするも、怪我を押しての出場が今日の引退の主原因となりたるは疑いなし。円熟せる大横綱を見ることなきは悲しく、残念の極み。「大横綱 円熟前に去る」「『求道者』貴花 栄冠の代償 ケガに泣いた理想の力士」と新聞の見出しにあり。
 歴代四位二十二度の優勝で角界を支えた功績に報いんがため、日本相撲協会は一代年寄を贈りたり。今後二子山部屋付き親方となりて、父・二子山親方を補佐し、後進の指導・育成に当たるらし。前場所にては幕内、十両ともに外国出身力士が優勝、「国技」の名が泣いておるが現状なれば、是非にも強力なる力士を育てて貰いたし。
 引退相撲、断髪式は夏場所終了後の六月一日、東京・国技館にて。テレビ中継あらば観ずばなるまい。

 我もまた、最期の時に臨みて「非常にすがすがしい気持ちで生き終え、心の底から納得している。悔いはない」と言いたきものよ。ぐうたら人生もまた、人の一生。それで悔いなかりせば万々歳、すがすがし。



   

平成十五年一月十三日(月曜)晴

 成人の日。道内新成人六万九千九百八十六人。

 新春早々よりぐうたら虫大いに騒ぎて、酒呑む以外為すことなく、日乗書き記すも億劫にて今日に至れり。記すと云えども我が身の回りにはさしたる事も起きず、記す必要なしが順当のところなるも取り敢えず纏め置く。

 三日 夜より降り出したる雪、湿り雪にて四日未明には吹雪模様となれり。午後より除雪を始むるも水分含みて重く難渋す。作業に三時間を要し、足腰痛むゆえ酒呑みて早々に床に入る。
 五日 甥新年挨拶とて息子娘を連れ来る。銭湯行きの予定あれば甥のみに酒勧め、話相手す。
 六日 札幌医大形成外科で名義貸し発覚。またか、医師の倫理観が疑われると憤慨、酒を呑む。
 七日 我が身平穏。七草粥を食す。市販の乾燥冷凍七草使用により春の息吹程遠く、形ばかりの七草となりぬ。
 八日 道知事選候補に高橋はるみ氏(経済産業省経済産業研修所長・前北海道経済産業局長)が浮上。自民道連の候補者選び迷走の兆し濃厚。
 九日 札幌晴れて気温5.9度と温し。暫し暖房を止める。出雲大社札幌講社の女代表、神を畏れぬ仕業・ニセ診療詐欺で逮捕さる。出雲大社「信仰心に悖る」と苦渋の声明。
 十日 道関係者二人が不明者リストに。女房子と近くの居酒屋へ。家族伴に在る幸せを思い、理不尽なる権力を憎悪す。酒過ごしたり。
 十一日 網走にて流氷初日。平年より九日早く、昨年より十五日遅し。午後より正月飾り持て神社のどんど焼きへ。元日に拍手を打てなんだ故、今日は正殿を拝し家内安全無病息災を祈願せり。
 十二日 甥のところの息子(小三)娘(小六)我が家に宿泊。女房ら冬休みの宿題の面倒をば見る。文化都市札幌とは名ばかりか。財政難の札響、経費削減案を受け入れ楽団員一人当たり年収五十万円減となるらし。元々低き年収から五十万円減は厳し。楽団レベルの低下を危惧す。深作欣二監督、前立腺がんにて死す。享年七十二歳。「仁義なき戦い」忘るまじ。

 宿泊しおるご両人、小六娘は宿題概ね完了にて悠々たるもの。方や小三息子、七割方終わるも辛抱集中足りず、女房目を離したる間隙を突いてゲーム機に興じる始末にて、女房の叱責の声とのいたちごっこの様相なり。さすれども、明日帰るということなれば今夜は馳走しようとて、所望を訊きて焼き肉屋へ出掛けたり。両人食欲旺盛、肥満など恐れるものかわ次々に焼きて頬張りぬ。食細くなりし我が身には羨ましく、育ち盛りの若き命の奔流を見る思いして気持ち良し。両人大いに満足したる様子にて帰宅後、さらにケーキを食す。女房ともども驚きぬ。



 

 

平成十五年一月一日(水曜)晴

 天気晴朗にして穏やかなる元旦を迎ふる。清新の気満つるを感じつつ起床せり。冷水にて洗顔なせば、昨夜来の酔い消え失せたかに感ず。
 昼近く、家の者ども皆々集まりて屠蘇を酌み、新年を祝いたり。年頭に当たり皆々に改めて申し述ぶることもなく、来客予定もなき故、おせち肴に酒呑みおれば、酔い回りきて暫し午睡せり。

 本来なれば、昨深夜午前零時を期して初詣に出掛ける予定なりしも、六時前より始めたる年取りの酒徐々に回り来て、除夜の鐘鳴り響く頃には酩酊しおれば、「外は気温下がりて体に悪し、路面凍りて足元危なし。境内の混雑も並ではないゆえ昼からでよい」と女房を説き伏せて中止となせりたるにより、午睡より目覚めたる後、女房子と近所の神社へ詣でる。
 例年、境内に湧く泉より若水を汲み来たりて雑煮を調え元日を祝うが恒例なれど、今年は大晦日のへべれけの体たらくにてそれも叶わざりき。女房の視線険し。
 詣でし神社の人出、殊のほか多くして長蛇の列をなせり。社殿脇より賽銭投げ入れ、ちょいと拝みて参拝とす。これではご利益願ふべくもなし。

 神社より帰り来たりて日乗をば認めおるところなれど、酔いの頭にては考え纏まらず。また、纏めるべき考えもなかりせば、これにて筆を置くこととす。またまた酒にするか。