五銖銭(南朝の貨幣)


   「東晋」では、「沈郎五銖銭」と呼ばれる小型の貨幣が鋳工されますが、三国時代の「呉」や北方より
  移動、流入してきた人々によってもたらされた貨幣も同時に流通する状態で、薄く小型の貨幣が大半を
  占めていた様です。

   西暦420年、「東晋」は「宋(劉宋)」により滅ぼされます。それまでの「軽小銭」よりも大型で、
  貨幣額面に相当する貨幣(四銖銭)を製作する事により経済の建て直しを図りますが、原料の銅不足や
  貨幣需要の増大と、より利益を上げる為、急速に小型化された物を鋳工する様になり、失敗に終ります。
  西暦479年、「宋(劉宋)」は「南斉」により滅ぼされます。

   南斉は小型の五銖銭(斉五銖銭)を鋳工しますが、わずが二十年あまりの短命王朝となります。

   西暦502年、「南斉」は「梁」により滅ぼされます。「梁」は成立直後より五銖銭を発行します。
   その後銅不足等により、西暦523年、鉄により五銖銭を作りますが、極端なインフレを引き起こす
  原因となり、経済は大混乱します。また、西暦547年、北朝の分裂に乗じて戦を仕掛けますが逆に大敗
  し、多くの領地を失います。
   その敗戦後の内乱も起こり、西暦557年「梁」は混乱の中「陳」により滅ぼされます。

   南朝最後の国となった「陳」は、「梁」末期の混乱の中成立した国で、経済や社会共に荒廃していま
  したが、西暦562年、五銖銭を発行、経済を立て直そうとします。
   西暦573年、「梁」時代に失った領土を一時回復した直後の西暦579年、太貨六銖を発行します。
   この貨幣は五銖銭十枚に相当する比率で発行されましたが、市場では五銖銭一枚との比率でしか流通
  せず、結局は廃止されてしまいます。

   西暦581年、北朝の「北周」に攻撃を受け、大敗北してしまいます。辛うじて滅亡を免れましたが、
  西暦589年、「北周」を滅ぼした「隋」により滅ぼされ、250年以上にも渡る分裂の時代は終焉を
  迎えます。

六朝五銖(面、五朱)

六朝五銖(背、井桁)

六朝五銖(面、五朱)

六朝五銖(背)

面(五朱)

背(井桁)

面(五朱)

沈郎五銖(東晋)

四銖銭(面)

四銖銭(背)

四銖銭(面)

四銖銭(背、二柱)

背(二柱)

四銖銭(劉宋)

四銖銭(面)

四銖銭(考建)

四銖銭(面、上下竪文)

四銖銭(背、上下竪文)

背(考建)

面(上下竪文)

背(上下竪文)

四銖銭(劉宋)

斉五銖(面)

斉五銖(背)

斉五銖(南斉)

六朝五銖(面)

六朝五銖(背、左星)

六朝五銖(面、伝形)

六朝五銖(背)

背(左星)

面(伝形)

六朝五銖(南朝期)

内郭五銖(面)

内郭五銖(背)

両柱五銖(面)

両柱五銖(背)

内郭五銖(梁)

両柱五銖(梁)

鉄五銖(面)

鉄五銖(背、四出)

鉄五銖(面)

鉄五銖(背)

鉄五銖(背四出)(梁)

鉄五銖(四柱五銖)(梁)

太清豊楽(面)

太清豊楽(背、四道)

太清豊楽(梁)

太貨六銖(面)

太貨六銖(背)

太貨六銖(面)

太貨六銖(背)

太貨六銖(陳)

太貨六銖(面)

太貨六銖(背)

陳五銖(面)

陳五銖(背)

太貨六銖(陳)

陳五銖(陳)

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北朝の貨幣

<五銖銭関係>

1.「漢」時代 2.「三国」時代 4.混乱期の終焉

貝貨 秤量貨幣 銅貝 原始布、空首布 平首布 刀幣

圜銭、古圓法 半両銭