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富田林寺内町の探訪

江戸時代の町並みが残る寺内町(じないまち)をご紹介します

大阪市内から近鉄電車で富田林駅まで30分。駅から徒歩10分。
ひっそりとした佇まいを残すお寺や町家を巡りながら、お手軽な歴史散歩に出かけてみませんか? 皆様のお越しをお待ちしています。

第4回石上露子生誕祭(2014年6月7日・14日)

第4回石上露子生誕祭が2014年6月7日(土)及び6月14日(土)の2日間、富田林寺内町を会場に開催されました。

富田林寺内町の豪商・杉山家の娘に生まれ、明治時代に明星派歌人として注目を浴びた石上露子(本名 杉山タカ、1882年~1959年)。6月11日の生誕日にちなんで、2011年から始まった石上露子生誕祭は今年で第4回目(富田林市教育委員会、一般社団法人露香会共催)を数え、富田林寺内町を会場に石上露子の歌人としての波乱万丈の人生を偲んで様々な催しが、企画・開催されました。(2014年6月15日、管理人)

ダウンロード 第4回石上露子生誕祭(案内チラシ表)
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第4回石上露子生誕祭(案内チラシ裏)
2014年6月7日(土)
14時~16時

パネルディスカッション「じないまちの魅力」
(入場料無料)

会場:国登録有形文化財・(旧)田中家住宅
 
国登録有形文化財・(旧)田中家住宅

重要文化財・(旧)杉山家住宅は石上露子の生家です
2014年6月14日(土)
11時~11時30分 
生誕祭セレモニー
(献花・献茶・琴の演奏)

(入館料400円)

11時30分~14時 本席
(入館料400円、お抹茶・お菓子400円)

会場:重要文化財・(旧)杉山家住宅
 
献花セレモニー
 
琴の演奏「小板橋」
   
2014年6月14日(土)
14時30分~16時30分
 文学講演会
(入場料無料)

「杉山たかの妹 大谷きよ子への手紙から」
「日露開戦時の富田林の人々と露子」
 奥村和子氏 石上露子を語る集い
「千々にみだれる結婚直前の石上露子」
 宮本正章氏 四天王寺大学名誉教授

会場:国登録有形文化財・(旧)田中家住宅
 
国登録有形文化財・(旧)田中家住宅
 
文学講演会
 
文学講演会

重要文化財・(旧)杉山家住宅は石上露子の生家です
2014年6月14日(土)
18時~19時30分
 黄昏コンサート
(入場料無料)

会場:重要文化財・(旧)杉山家住宅
 小板橋 ≪石上露子≫

ゆきずりのわが小板橋 しらしらと一枝のうばら
いづこより流れか寄りし 君まつと踏みし夕べに
いひしらず沁みて匂ひき

今はとて思いに病みて 君が名も夢も捨てむと
なげきつつ夕わたれば ああ、うばらあともとどめず
小板橋ひとりゆらめ


「明星」明治40年12月号所収
 みいくさにこよひ誰が死ぬさびしみと髪ふく風の行方見まもる  ≪石上露子≫


本町公園の石上露子の歌碑(平成15年6月8日除幕式) 日露戦争中の作品で反戦を歌ったもの。

戦争のために今日も罪の無い多くの人々の生命が失われていく、なんとも理不尽なことであろう。戦死してゆく人達の親を,妻を,子を思い、また国の行末を思いみるとき、言い切れぬ深い不安と悲しみ、さびしみに襲われる。

石上露子(本名:杉山タカ)の生涯

明治15年6月杉山団郎の長女として生まれる。母ナミは祖父長一郎の実家の兄河澄雄次郎の長女で、団郎とはいとこ。小学校時代は父の養生のため船場に住む。父の病気が治ってからも、教育のためそこの留まる。小学校4年の時に富田林に戻る。旧家の長女として、京、大阪の一流の師匠について琴や和歌、日本画、上方舞など諸芸に精進し、何れも相当高い水準にあったとのこと。修行は薙刀や鎖鎌にまで及んだという。

13歳で実母と生別。継祖母、継母に囲まれて、激しい気性の露子と葛藤が生じる。16歳の時、女性家庭教師・神山薫の指導を受けることになる。18歳の時、この人に連れられて東北地方に旅行し、東京に半年ばかり滞在。この折に神山薫の縁戚にあたる長田(おさだ)家の長男で一橋高商の学生であった正平と出会う。二人は互いに心を惹かれるようになるが、それを告白することはなかった。(当時、家督相続者どうしの婚姻は難しかった。)正平はその後、カナダに渡り、51歳で亡くなるが、生涯独身であった。

明治36年、21歳の時、与謝野鉄幹が主宰する新詩社の社友になり、同社の雑誌「明星」に短歌三首を寄稿する。明治40年、「明星」に「ゆふちどり」の筆名で掲載された「小板橋」は、詩歌を愛する人々の心に長く残ることになる。

明治40年12月、旧家の重圧に抗し切れず、意に添わぬ婚礼の席につくこととなる。奈良県磯城郡川西村の片山家から婿養子縁組、夫荘平を迎える。タカ26歳、荘平29歳であった。(片山家は郡山藩の大庄屋を務め、苗字帯刀を許された家柄、大地主でもある。)夫荘平は、自らは絵筆もとり芸術の境地を知らない人ではなかったが、妻の文筆活動には理解なく極度にこれを嫌った。勝手に新詩社への脱退届を書き、婦女新聞社への購読停止を通告する。社会との交渉を断たれ、長く不幸な結婚生活を送る身となる。(夫の器量が妻に及ばなかったからであろう。)


やがて明治43年に長男善郎、44年に長女礼子(生後1ヶ月で亡くなる)、大正4年に次男良彦が生まれる。長男善郎(京大から大学院に進む)家督を継ぐが結核に冒され闘病生活の後、隠居し32歳で死亡。次男良彦(三高から東大)兄の隠居により兄の養子となり、家督を相続。太平洋戦争が始まり、航空兵として北支へと召集される。敗戦後、住吉高校で社会科の講師を務める。明るく活動的な良彦氏であったが、飛行士中もノイローゼの症状が出て、周囲の者の知るところとなる。42歳で死亡(自殺)。二人の子供がいる。明治44年、父団郎の死後(享年55歳)、戸主となった荘平は親戚や別家の反対を押し切って独断で一家の経営に当たったが、株式投機で第一次大戦後の大暴落に会い、全てを投げ出し家事を顧みない人となる。強度のノイローゼで病院から浜寺へと逃避。(株投機の失敗で土地は三分の一になる。明治33年の杉山家の所有地 61町5反;約18.5万坪、内94%は田畑)戸主を離別することは、当時法律上不可能なので、戸籍上夫婦であるという状態であった。

昭和6年から昭和20年まで夫を逃れて京都へ、京大と三高の二児に添うての仮住まい。この年から「明星」の後身「冬柏(とうはく)」に短歌の寄稿を始める。(昭和6年4月、長男が京大に、次男が三高に入学) 晩年の露子は、富田林の生家で老女中とふたりで暮らす。昭和34年10月、78歳の生涯を閉じる。

じないまちボランティアガイド・長谷英男氏資料から引用させて頂きました。)

 石上露子を偲ぶ着物展示(特別公開)(2003年6月、寺内町センター
石上露子歌碑除幕(2003年6月) 本町公園
 「花紋」 (山崎豊子著、新潮文庫)

南河内随一の大地主であった葛城家に生まれた総領娘・葛城郁子(歌人 御室みやじ)を主人公にした小説ですが、富田林寺内町にある旧杉山家住宅に生まれた明治の女流歌人・石上露子(本名 杉山タカ)をモデルにした小説化されたと言われています。作品の中では,河内長野の石川沿いに庵を構え、歌人・御室みやじとして歌壇から高い評価を受けながらも、大地主の総領娘としては叶わぬ想いと意にそぐわぬ結婚生活に苦悩し続けた、数奇の運命に翻弄された人生を描いています。

作品の中では富田林の地名は一度も登場しませんが、河内平野を流れる石川や金剛・葛城連山、二上山の風景描写は富田林・寺内町から眺める風景をそのまま想起するものです。御室みやじが歌を詠んだ庵から石川を見渡す風景は、さながら勝間家住宅(旧・南杉山家住宅)の庭越しに眺める石川や金剛連山の情景のようです。
(2005年2月19日、管理人
 石上露子集」(松村緑編、中公文庫版)復刻版限定販売

2004年8月から石上露子生誕地である地元・富田林市の芦田書店で限定(増刷)販売されています。中古書店でもこれまでなかなか手に入らなかった方には絶好の機会ですので、芦田書店までお問合せ下さい。
 
石上露子に関する書籍
書籍名 著者・編者 出版社
論集 石上露子
(左上写真中の書棚左端の書籍)
松本和男編著 中央公論事業出版
石上露子をめぐる青春群像(上)・(下)
(左上写真中の書棚左端から2番目の書籍)
松本和男編集・発行 私家版限定200部
評伝石上露子
(左上写真中の書棚左端から3番目の書籍)
松本和男/著 中央公論新社
菅野スガと石上露子 おおさか人物評伝
(左上写真中の書棚左端から4番目の書籍)
大谷渡/編 東方出版
石上露子集(中公文庫) 石上露子著 松村緑編 中央公論社
夕ちどり-忘れられた美貌の歌人・石上露子 碓田のぼる/著 ルック社
石上露子全集 大谷渡/編 東方出版
河内望郷歌 佐々木幹郎/著 五柳書院
鈴木鼓村と石上露子 青園謙三郎編 福井テレビジョン放送、1984年
物語女流文壇史(上)・(下) 巌谷大四著 中央公論社、1977年刊
底のぬけた柄杓 ある女人像 吉屋信子全集11  吉屋信子 朝日新聞社、1975年刊
与謝野鐵幹・与謝野晶子集 附明星派文學集 (石上露子編)  明治文学全集 筑摩書房
『明星』における進歩の思想  碓田のぼる著 青磁社、1980年刊
露の舞~私の石上露子と織田作之助~富田林ゆかりの人  北沢紀味子著 千鳥社、1992年11月初版
富田林市不動ヶ丘町15-9
「小板橋」~「石上露子を語る集い会」月次会報 石上露子を語る会 バックナンバー・ファイル
(書架に常設)
 石上露子を語る集い

寺内町の代表的旧家である杉山家に生まれた明治の明星派女流歌人・石上露子(本名 杉山孝)の研究サークル「石上露子を語る集い」が結成されています。同サークルは、石上露子の没後40周年を機に、平成11年(1999年)10月に発足し、大学の研究者などもメンバーに加わる本格的な「石上露子」研究の会員サークルとして、毎月1回、例会を開催され、会員には月刊会報「小板橋」も発行されています。会員数は50余名で、日本各地にお住まいです。平成15年(2003年)に生誕120周年を迎えた「石上露子」の歌人業績は年を追うごとに高く評価されるようになってきています。

お問い合わせは、石上露子を語る集い事務局 大石照子様まで。0721-29-1576 携帯090-2281-9217


Information


(富田林市提供、禁無断転載)

石上露子(いそのかみつゆこ、1882年ー1959年)

本名杉山孝。明治15年(1882年)、南河内一の大地主・杉山家の長女として生まれました。幼時から古典や漢籍、琴などに親しみ、二十歳頃から『明星』などに短歌,詩、小説などを発表しました。雅号は夕ちどり。

古典の教養をもとに、華麗さの中に深い憂いを漂わせた作風で評価され、富田林にいながら明治期の中央歌壇で注目を集め、明治36年に『新詩社』(明星発行の結社)の社友となり、与謝野晶子、山川登美子、茅野雅子、玉野花子とともに「新詩社の五才媛」と称されました。旧家の家督を継ぐ運命のため、思いこがれた初恋の人に対するかなわぬ思いを詠んだ“小板橋”(右記)は絶唱と評され、石上露子の名を不朽のものにしました。

二十六歳で父親が決めた相手と結婚し、夫からは作歌活動を禁じられたため、文学界から身を引きました。後年に「明治美人伝」で紹介され、広く人と作品が知られるようになりました。 二人の息子をもうけたが、長男が病死、二男は自殺し、昭和34年(1959年)に七十八歳で死去しました。墓所は高貴寺(大阪府南河内郡河南町平石)にあります。
(注:富田林市ホームページなどから引用・抜粋しています。)

重要文化財・(旧)杉山家住宅

杉山家は富田林寺内町の創設にかかわった旧家の一つであり、江戸時代は造り酒屋として栄えました。現存する家屋は寺内町で最も古く、江戸時代中期の大規模商家の遺構です。昭和58年(1983年)国の重要文化財に指定され、富田林市が維持・管理しています。富田林駅又は富田林西口駅から徒歩10分(入場有料)


本町公園
(石上露子歌碑)

富田林駅から寺内町へ向かう本町筋の途中にある本町公園(本町交番南隣)には石上露子記念碑が建てられています。駅から徒歩3分



芦田書店

石上露子に関する書籍が多く品揃えされている地元書店です。

石上露子集」(松村緑編、中公文庫版)の復刻印刷版が、2004年8月から石上露子生誕地である地元・富田林市の芦田書店で限定(増刷)販売されています。

〒584-0094 
住所 富田林市本町14-13
電話 0721 (23) 2816
近鉄長野線富田林駅から本町商店街を徒歩1分

ボランティア・ガイド


団体でお越しの場合には、地元のボランティア・ガイドによるご案内も可能です。(事前のお申込みが必要)

ガイドのお問い合わせや事前のお申込みは下記のじないまち交流館までお電話ください。


じないまち交流館
〒584-0033
大阪市富田林市富田林町9-29
TEL.0721-26-0110
FAX.0721-26-0110
(午前10時~午後5時、月曜休館)

 じないまちボランティアガイド
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