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富田林寺内町の探訪

江戸時代の町並みが残る寺内町(じないまち)をご紹介します

大阪市内から近鉄電車で富田林駅まで30分。駅から徒歩10分。
ひっそりとした佇まいを残すお寺や町家を巡りながら、お手軽な歴史散歩に出かけてみませんか? 皆様のお越しをお待ちしています。

寺内町の成立と歴史(宗教自治都市)

 【Tourist guide to Jinaimachi town, Tondabayashi, a historic district and heritage site of Japan, history
織田信長との和平戦略の下で繁栄した富田林寺内町

戦国時代(1467-1562年)、寺内町と呼ばれる宗教自治都市が各地に誕生した。寺院の境内に接して形成されたこの都市集落は、大名、領主などの干渉を排して自治を確立していった。いまも奈良県の今井町(橿原市)、大阪府の堺などに寺内町の面影をとどめる町並みが残されているが、そんな中の一つがここ富田林である。

なかでも最も有名な寺内町は、石山本願寺を中心に作られた「大坂寺内町」であるが、織田信長との元亀元年(1570年)からの10年に及ぶ争いで、石山本願寺は信長との戦いに敗れ、徹底的に破壊され、いまでは全くその姿を見ることができない。これに対して、摂津河内や富田林は信長に対して恭順の意を示し、和平を選択した。各地に残っている寺内町の町並みは、いずれも一向一揆の制圧を目指した織田信長との対立関係の中に融和策を模索して生き残り、後の世の繁栄を勝ち取ったものである。ただし、富田林が今日のような繁栄を獲得した背景には、一向一揆を形成した本願寺門徒を中心とした軍事力があったことは否めない。
(「民家(下)」高井潔著 淡交社(2002年12月刊)より一部抜粋)
室町時代 一向宗(浄土真宗)への民衆への浸透

さて、時代は少し遡りますが、室町時代の文明年間(15世紀後期)京都興正寺の当主, 蓮教が本願寺の蓮如を助けて、熱心に河南地方の村々に布教した頃、毛人谷(えびたに)に念仏道場を開いた。「古御坊」という字地が大正時代まで残っていた。今、富田林別院とその末寺11か寺の散在する 新堂、中野、貴志、北大伴、山城、一須賀、春日、山田など、石川郡の北部から古市郡にかけて,大いに信者ができたのである。この信仰の芽生えが50年後の大永前後に光明寺、専光寺、教蓮寺、円明寺などとなって念仏道場が次々と建つようになる
興正寺別院 (本堂)、寺内町成立と発展の中核寺院です。
興正寺別院本堂証秀上人記念塔
 
興正寺別院・山門
証秀上人による興正寺別院(富田林御坊)開基

弘治元年(1555年)から永禄の初めにかけて、京都・興正寺第16世・
証秀上人が石川の西、富田が芝と呼ぶ台地状の荒芝地 (石川のほとりの河岸段丘)に目をつけ、永禄元年(1558年)当時領主であった、安見美作守直政(高屋城主)から青銅銭百貫文を出して申し請けた。そして近隣の中野村、新堂村、毛人谷(えびたに)村、山中田(やまちゅうだ)村から庄屋株二人づつを呼びよせ(富田林八人衆)、信者達の力によって荒地を開き、四町四面の地域を区画して外側を土居と竹林で囲い、その中央に御坊を建てた。これが富田林御坊 (興正寺別院)で、富田林という寺内町の開基となった。(1560年、永禄3年)

証秀上人は、新開地・富田林の建設、町割一切を御堂の建立とともに八人衆の合議に任せた。村の行政は八人衆によって行われた。八人衆のうち、二人は株役となり、あとの六人は年寄となった。株役は庄屋であり、年番制であった。御坊の庶務も同じ株役、年寄が処理の任に当たっていた。

領主の保護と商業都市としての経済発展

室町幕府の施政下、河内国の守護職であった畠山氏は高屋城(羽曳野市古市)を築き、幕府の管領となって以降は、自らは京都に居り、河内は守護代をおいて治めさせた。天文20年(1551年)より永禄2年(1559年)までの前後9年間、高屋には安見美作守直政の時代であり、この時代に富田林御坊は建立された。(1560年)安見美作守の「定」(永禄4年。1561年)の中に、「諸商人座公事之事」という一条がある。これは御坊のもと七筋八町に集まり来る諸商人を保護する特殊の政令である。「座」とは当時各地の寺社保護の下に発達した各種専売の商店市場のことであり、「公事」とは「座」に賦課すべき公課を免除する意である。即ち、「富田林の寺内に住む商人からは租税をとってはならぬ。」ことを定めている。


熱心な信者達が各地から寺内に移り住んだ。御坊様への志納と町内の負担金以外に租税はかからないから、田地を持たず商いする人などが、こぞって集まった。そのようにして、保護されながら寺内町としての富田林村は着々と作られたのである。
寺内町の成立と歴史  歴史逸話
寺内町の成立と歴史 宗教自治都市
寺内町の成立と歴史 在郷町としての発展

寺内町の成立と歴史 繁栄と衰退
寺内町の成立と歴史 繁栄と衰退(昭和40・50年代の頃)
吉田松陰 仲村家に滞在 - 嘉永六年二月・三月
桜田門外の変と富田林の木綿問屋
大久保利通が杉山邸に来たこと
郡役所新築に対する葛原氏の意見書 明治十八年
富田林開発記念碑 興正寺別院
木沢与平氏の「年代記」
富田林駅前の「楠氏遺跡里程標」
浄谷寺の釣鐘
歴史的建造物(一覧)  建築様式
歴史的建造物一覧(寺院・町家)
歴史的建造物一覧(寺院・町家)(続き)
歴史的建造物一覧表(寺院・町家)
寺内町の建築様式
寺内町の建築様式(続き)
寺内町の町割(都市計画)・交通 歴史的町並み景観の保存・地域コミュニティー活性化
寺内町の町割(都市計画
東高野街道と石川の舟運
寺内町の入口(街道口)
歴史的町並み景観の保存
歴史的町並み景観の保存(続き)
寺内町の景観(保存・美化・調和)
富田林寺内町をまもりそだてる会
地域活性化への取り組み
 「カラー 歴史の町並」(文・那谷敏郎 写真・橋本治朗、淡交社刊、1975年初版)
既に絶版になっている書籍ですが、富田林市中央図書館の蔵書の中から見つけた1冊です。全国各地の歴史的町並みを著者が訪ねて書かれた紀行文で、富田林にも足を運んでおられます。富田林寺内町の歴史について、エッセー風にわかりやすい文章で記されており、小生のお気に入りです。出版社である淡交社編集部の事前許諾を頂戴しましたので、抜粋・引用の上、紹介させて頂きました。 (2012年9月10日、管理人)

Information


(富田林市提供、禁無断転載)

歴史(略年譜)
1561年 富田林寺内町の誕生
    (興正寺別院開基) 
1574年 浄谷寺、富田林移転
1582年 本能寺の変
1580年 豊臣秀吉 天下統一
1600年 関ヶ原の戦い

1608年 妙慶寺開基
1615年 江戸幕府の天領
1638年 興正寺別院本堂再建
1644年 杉山家住宅建造
1688年 51業種149店舗が商売

1720年頃 妙慶寺本堂再建
1751年 防火用心石碑
1753年 木口家住宅建造
1775年 町割が六筋八町に
1782年 仲村家住宅建造

1830年 浄谷寺本堂再建
1853年 吉田松陰仲村家に逗留
1854年 (南)葛原家三階蔵建築
1868年 明治元年
1875年 大久保利通 杉山家訪問
1883年 警察署、郡役所富田林へ
1898年 河陽鉄道富田林開通

1923年 大阪鉄道があべの橋開通
1926年 金剛自動車運行

1947年 農地改革
1957年 府教育委員会 町家調査
1983年 旧杉山家住宅 重文指定
1986年 城之門筋 日本の道百選
1990年 仲村家住宅 府文化財
1997年 重要伝統的建造物群保存地区選定

2007年 美しい日本の歴史的風土     百選
2009年 都市景観大賞「美しいま     ちなみ優秀賞」受賞
2014年 興正寺別院 重文指定
2018年 関西まちづくり賞受賞
2018年 重要伝統的建造物群保存地区・西側に選定地区拡大

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