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富田林寺内町の探訪

江戸時代の町並みが残る寺内町(じないまち)をご紹介します

大阪市内から近鉄電車で富田林駅まで30分。駅から徒歩10分。
ひっそりとした佇まいを残すお寺や町家を巡りながら、お手軽な歴史散歩に出かけてみませんか? 皆様のお越しをお待ちしています。

本町公園 (honmachi park)

   
公園入口に設けられた寺内町案内板
 
織田作之助(左)と石上露子(右)の記念碑
 
石上露子記念碑
  小板橋 ≪石上露子≫

ゆきずりのわが小板橋 しらしらと一枝のうばら
いづこより流れか寄りし 君まつと踏みし夕べに
いひしらず沁みて匂ひき

今はとて思いに病みて 君が名も夢も捨てむと
なげきつつ夕わたれば ああ、うばらあともとどめず
小板橋ひとりゆらめ


「明星」明治40年12月号所収 
 
石上露子歌碑
「みいくさにこよひ誰が死ぬさびしみと髪ふく風の行方見まもる」
 
  石上露子(杉山タカ)1882年-1959年

1904年(明治37年)2月、世界の列強ロシアと日本が国運を賭けての戦争が始まった。日露戦争である。同年5月金州、南山の攻略は約1ヶ月余りにわたり激しい戦いが展開された。この戦いに大阪第四師団が参加、富田林及びその周辺の村落にも多くの戦死者を出した。この時、戦死者とその遺族の身の上を按じ、国の行末を思い、言い知れぬ深い不安と悲しみにおそわれて詠まれたのがこの短歌で、明治37年7月短歌誌の明星に夕ちどりの名で発表せられた。芝昇一 記
 
織田作之助記念碑・「土曜夫人」原稿
 
本町公園入口の意匠タイル
重要文化財・旧杉山家住宅が意匠に取り入れらています
本町公園近くに残る商家
(乾)奥谷家住宅
本町公園近くに残る商家
越井家住宅
 

Information

本町公園
富田林駅から寺内町へ向かう本町筋の途中にある本町公園(本町交番南隣)には、寺内町・杉山家に生まれ育った明治時代の明星派女流歌人・石上露子の歌碑・記念碑が建てられています。また、富田林に逗留した作家・織田作之助記念碑(作品「土曜夫人」の原稿)が建てられています。駅から徒歩3分。


石上露子
本名杉山孝。明治15年(1882年)、南河内一の大地主・杉山家の長女として生まれました。幼時から古典や漢籍、琴などに親しみ、二十歳頃から『明星』などに短歌,詩、小説などを発表しました。雅号は夕ちどり。

古典の教養をもとに、華麗さの中に深い憂いを漂わせた作風で評価され、富田林にいながら明治期の中央歌壇で注目を集め、明治36年に『新詩社』(明星発行の結社)の社友となり、与謝野晶子、山川登美子、茅野雅子、玉野花子とともに「新詩社の五才媛」と称されました。旧家の家督を継ぐ運命のため、思いこがれた初恋の人に対するかなわぬ思いを詠んだ“小板橋”(右記)は絶唱と評され、石上露子の名を不朽のものにしました。
石上露子を語る会

重要文化財・(旧)杉山家住宅

杉山家は富田林寺内町の創設にかかわった旧家の一つであり、江戸時代は造り酒屋として栄えました。現存する家屋は寺内町で最も古く、江戸時代中期の大規模商家の遺構です。昭和58年(1983年)国の重要文化財に指定され、富田林市が維持・管理しています。富田林駅又は富田林西口駅から徒歩10分(入場有料)

ボランティア・ガイド

団体でお越しの場合には、地元のボランティア・ガイドによるご案内も可能です。(事前のお申込みが必要)

ガイドのお問い合わせや事前のお申込みは下記のじないまち交流館までお電話ください。


じないまち交流館
〒584-0033
大阪市富田林市富田林町9-29
TEL.0721-26-0110
FAX.0721-26-0110
(午前10時~午後5時、月曜休館)

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