大阪市内から近鉄電車で富田林駅まで30分。駅から徒歩10分。
ひっそりとした佇まいを残すお寺や町家を巡りながら、お手軽な歴史散歩に出かけてみませんか? 皆様のお越しをお待ちしています。
【Tourist guide to Jinaimachi town, Tondabayashi, a historic district and heritage site of Japan, Residence of the (east) Okutani family Page 2/2】 | |
出格子窓 |
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荒格子(無双窓) 地元ではべかこ窓とも呼ばれています。 鴨居の外に連子板を打ち、内側に連子板を組んだ戸を入れた窓。戸の移動によって開閉する。「無双」とも「無双連子窓」とも「無双戸」ともいう。 |
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用心堀と岩永橋 西側の城之門筋に沿って用心堀 (暗渠, 1.5m)が通っており、架けられた岩橋の耳石に刻まれた文字「岩永橋 (がん恵いはし)」は、岩瀬屋が永久に繁栄することを念じて刻まれたと言われている。(複製)城之門筋に沿って筋ごとに小石橋が架けられた。 車両の通行などによる負荷や傷みから守る為に、用心堀に架けられていた現物の石橋は、現在、(旧)杉山家住宅内に保存されています。(現在の城之門筋に架かる石橋は、レプリカ(複製)です。) |
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岩永橋 |
がん恵いはし |
持ち送り(軒庇の支柱) 庇(ひさし)や出窓などのように突出する部分を支えるために、壁や柱などに取り付ける板材や斜め材をいう。 |
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寺内町せんべい 母屋の越し屋根(煙だし、かまどの煙抜き)や出格子が特徴で寺内町せんべいの図柄にも取り入れられている。 |
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(東)奥谷家住宅 |
非公開
建築年代
1826年 (文政9年)
所在地
城之門筋・富山町
歴史(由来)
当家は西向かいにある奥谷家の分家である。本家2代目岩瀬屋伊右衛門の子 伊六岩長を初代として油屋を営んでいた。
屋号
岩瀬屋
建物の特徴
屋敷地は一区画の西半分。母屋、納屋、土蔵が周囲を取り巻く。今の建物は分家の時に建てられたもので、建築年代は1826年(文政9年)と伝えられている。母屋(入母屋造)は敷地の西南寄りに建ち、敷地の周囲には土蔵や納屋が配置されて現存している。また、北側にある長大な土蔵は現在、内部を改造して借家の長屋となっている。
煙出し櫓(越屋根)
台所庭に置かれた竈の煙を屋外に出すためのもので、屋根の棟の部分に開口部を設けて、その上に小屋根(越屋根)が作られている。
虫籠窓(むしこまど)
塗り屋造りで塗り格子を付けた二階の窓をいう。厨子二階の通気孔から発生したと考えられている。町家でも多く用い、文様や商標を形どったものがある。
出格子窓
柱間内に作られる平格子窓に対して、柱より外側に張り出して設けられる格子窓。形態的には様々なものが見られるが、意匠はいずれも繊細で京格子とか千本格子などと呼ばれている。
ボランティア・ガイド
団体でお越しの場合には、地元のボランティア・ガイドによるご案内も可能です。(事前のお申込みが必要)
ガイドのお問い合わせや事前のお申込みは下記のじないまち交流館までお電話ください。
じないまち交流館
〒584-0033
大阪市富田林市富田林町9-29
TEL.0721-26-0110
FAX.0721-26-0110
(午前10時~午後5時、月曜休館)