北極亭日乗


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平成十七年二月



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平成十七年二月二十七日(日曜)曇

 先週二十二日火曜日の事。出掛けに雪掻き為して少々遅く成り、五時半頃銭湯へ行きたれば、馴染みの面々サウナにて世事談議たけなわ。京都議定書発効で地球環境は変化するか、寝屋川の教職員三人殺傷犯は精神異常者か、堤義明・元コクド会長と其れに絡む西武鉄道前社長の自殺で西武王国は如何成るか、果ては「愛子様かまくら体験」の話迄、熱さ凌ぎの馬鹿話。「如何言ふ事?」と問はるれば我も愚か、仲間に入りて得々と語りおりたれども、或る老人の言に打たれ以後口噤みたり。サウナにて冷や汗三斗の体。

 何処の御隠居か知らねど先々週一度見掛けたる御老体にて、誰ぞが「ね、そふでしょう? 父さん」と声掛けたれば「わしに聞かれても、何も分かんないべ。昼間居眠りばっかしで、風呂来てまんま食ったら寝るし、新聞読まんべしテレビも観んし、わし何も分からんさ」と笑ふておる。何も分かりおらぬに、知ったか振りの受け売り話続け来た我が身恥ずかしゅうて、御老体の顔真面に見られなんだ。何故なれば、御老体の言葉「新聞読んだとて、テレビ観たとて、結局あんた等には何も分かっておらんのさ」と我には聞こへし故なり。

 然様な事有りて此の一週間、新聞読まずテレビニュース観ずの日々でありしが、女房殿の話聞き、銭湯客の話聞きおれば世の動き耳に入り、さして不自由感ぜず過ごし来たり。然も雑音消へて心安らかに寛ぎ暮らしおりたる様にも感じらる。銭湯にては御老体の言葉意に介せずの風にて、相変はらず世事の彼此話題にして、やれ彼れが如何の此れが如何のと論評・解説尽きぬ面々多く、何時もの如く「どふ思ふ?」と問ひくるなれど、大概の話は「どんなもんなんですかねぇ……」と言葉濁し置けば済みしなり。付き合ひ大ひに楽と成りぬ。御老体「馬鹿話と言へど無責任なる物言ひは慎むべし」と教へ呉れしか。



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平成十七年二月二十日(日曜)曇

 昨夕より雪降りて就寝前十五センチ程積もりしを除雪せしも、今朝起床して窓より眺むれば三十センチも降り積もり御負けにブル入りて玄関前の雪堆し。今日も一汗かかせて貰ひますわひとて九時頃より始末始めたれば、三時間を要す。外気殊の外暖かく、雪解け行くか徐々に湿り気多くなりて我が腕に重し。夕方積み上げし雪山見やれば心持ち嵩減りたる様にて幾分雪解け進みしか。

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 十九日午後零時三十分、映画監督・岡本喜八(本名=岡本喜八郎)氏死去。享年八十一歳。我が国映画産業仄暗き中、又一人娯楽映画作りの名手失ひたは残念なり。後を継ぐ者出で来るを信じ、合掌。

 岡本作品幾本観しか、と題名思ひ出しみたれど十数本止まり。然も中にストーリー忘れおるものも有りて、我が記憶力の衰退尋常ならず呆け症状昂進せる程に老ひしかと苦笑せる始末。なれど八十歳にて尚映画作りに燃へた岡本監督の若さ見習はねばの思ひ我が胸中に沸々たり。思ひ出せぬなれば調べみむとて書棚探したれば、一冊有りたり。「kihachi フォービートのアルチザン」(東宝出版事業室、1992年1月刊)。

 此れに拠るに、岡本喜八監督作品は一九五八年のデビュー作「結婚のすべて」より一九九一年「大誘拐 RAINBOW KIDS」迄三十七作品。其の後、一九九五年「EAST MEETS WEST」完成、遺作と成りし二〇〇二年の「助太刀屋助六」を加へ、四十四年間に撮った劇場用映画は三十九作品なり。四十作目と成る筈でありし「幻燈辻馬車」は山田風太郎の同名小説を自ら脚色し、仲代達矢、緒形拳らキャスト決まりて昨夏より撮影開始の予定であったに、監督の体調悪しくクランクイン延期され来たり。風太郎の伝奇的雰囲気横溢せる明治物をば如何料理するか興味津々完成待ちおりたに、遂に日の目見ぬまま"幻"と消へたは何とも惜しく残念至極なり。

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 19日、静岡・県営愛鷹多目的競技場(沼津市)にてコンサドーレ対J1磐田のプレシーズンマッチ行われ、コンサ0−1で負けり。昨年12月、天皇杯準々決勝対戦時と同じ0−1の負けなれど、内容は数段上の試合ぶりと言ふてよし。守備につきては申し分無く、1点はスローインのミスに因る失点にて、J1の強豪相手に退けを取らぬ堂々の戦ひぶり。昨季よりの課題、決定力不足克服せば先明るし。時に各選手の凡ミス凡プレー散見されるも、チーム力は確実に成長しおるなり。



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平成十七年二月十三日(日曜)曇一時

 七日開幕の「第五十六回さっぽろ雪まつり」本日閉幕。真駒内会場は今回を最後に四十年の歴史に幕。足運びしこと数度なれど、四十年続き来て消滅すは残念至極にて、或る種感慨感傷禁じ得ず。真駒内会場の大雪像には滑り台が付き物にて例年、子供等大勢押しかけ賑はひおりたに、子等には寂しく成らふ。雪像作りの自衛隊さんが何やら忙しく成り来りて手が回りかねる故の支援縮小らしが、平和なればこその「まつり」なるに、手が回らぬと言ふは平和が危ふく成り来った証しかや。十日夜、現職首相としては初の「雪まつり」見物せし小泉首相、「こんなに見事だとは思はなかった。大したものだ」と語りしと。なれば自衛隊さんが忙しく成る様な政治しなさるなや、無垢の子等の為にも。

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 首相も見たなれば我見ずに済まされじと十一日夜、晩酌後の勢ひも有りて八時前、女房殿の制止振り切り大通公園会場へ向かひたり。大通公園に着きてテレビ塔の電光時計見やれば、時既に20時35分。此の時間にても結構な数の見物人参集して通路に列成しおりたり。十分程も歩き行けば、冷気足元より全身を覆ひて攻め来る。ややっ、酒の勢ひにて出で来たが・・・些か軽率・・・女房殿止めるも無理からぬ事・・・等と一瞬思ふも、来た上は見物せんとて西一丁目より西十丁目迄見尽くしたり。どれも皆、上々の出来にて楽し。

 一丁目:雪だるま家族のおもてなし。二丁目:走るSL城。三丁目:ロボッツ。四丁目:地球からのおくりもの、POWER ASIA。五丁目:だから米チェン、ライプチヒ旧市庁舎。七丁目:ノルウェー王国国会議事堂、森の妖精トロール。八丁目:名古屋城。九丁目:KAO 人気者と雪ダルマ。十丁目:ヘンゼルとグレーテル、これが台湾だ!

 やはり眼を惹くは大氷像「ライプチヒ旧市庁舎」、大雪像の「ノルウェー王国国会議事堂」「名古屋城」。雪氷像の建築物は大きければ大きひ程見映へがするものにて、ライトアップされ夜空を背景に浮かび上がる光景は得も言はれぬ趣。正に「一時幻想の世界に遊ぶ」の感して心嬉しくなりき。寒さ些か身に応へたれど見物せしは正解、正解と戻り来たれば十一時前。女房殿、ほとほと呆れ果てたか既に床に就きておりたり。冷へし体温めんと酒一合、行平鍋にて燗為して呑む。旨し。翌朝女房殿、雪まつりの様子聞くでも無く一言有りそふな雰囲気にて我に接しおりたれども、余程呆れたか何も言はなんだ。

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 昨日の読売夕刊「土曜茶論」。《大学入試に向かう途中で列車を乗り間違えた受験生を助けようと、JR東日本が本来は停車しない駅に東北新幹線の列車を止めた。この対応をどう考えるべきなのだろう。今回のテーマは「受験生のための"温情"停車 是か非か」――》。掲載されおる意見諸々、一つ事にも人夫々考へ方の違ひ有るは当然なれど、此式の事に「非」を唱へる御仁が居るとは思ひもよらなんだ。「非」とせる御仁も列車に乗り合はせ居たとして、果たして其の場で「非」と言へたかどふか。事は二月三日付同夕刊掲載の記事。

 《受験生乗り違えに東北新幹線"温情停車"/東北新幹線が二日、大学入試に向かう途中で列車を乗り違えた受験生のため、本来は止まらない宇都宮駅で停車していたことが分かった。/JR東日本などによると、受験生は福島市の高校三年生の男子生徒。東北学院大(仙台市)の地方試験会場がある福島県郡山市に向かうため午前八時過ぎ、福島駅で仙台発東京行き「Maxやまびこ104号」に乗ったが、この列車の次の停車駅は大宮駅で、途中の郡山駅には停車しないことに気付いた。相談を受けた車掌は、車内放送で乗客に断り、宇都宮駅に停車した。男子高校生は宇都宮駅で下り列車に乗り換えて郡山駅に向かい、試験には無事間に合ったという。》

 「是」とせる意見。女性読者(43)「困っている人がいたら手を差し伸べるのは、人間社会の基本ですよね。その当たり前の行為が、どうして議論の対象になるのか分かりません」。其の通り。人間として人間社会に生きおれば当然の考へ方。其れが出来ぬのは、人間社会に人間とは言へぬ人間が多くなり過ぎた所為やも知れぬ。が、斯様に考へる女性が居る限り我悲観せず。嬉し。

 「是」。タレント・うつみ宮土理氏「ほかの乗客が自分の時間を少しずつ出し合って、一人の若者を助けたと考えれば、すてきな話じゃありませんか。/ダイヤが乱れるというリスクをあえて冒したJRの決断は、人間が時間に管理されるだけの存在ではないということを示した点でも、意味があったと思います」。時間とは何ぞや、と問ひ掛ける深遠なる意見。エンデの時間泥棒を思ふ。車内放送にて臨時停車の事情を聞き、乗り合はせた幾人の乗客が「公共交通、然も新幹線、ダイヤ通りに運行せよ」と熱り立ったらふか。否、寧ろ「止めてやれ。止めて当然」と考へ、無事降ろして「頑張れ、祈る合格」と夫々心の中で激励為して、皆幸せな気持ちをば共有しておったやも知れぬ。

 「非」とせる意見。早大教授・加藤諦三氏(67)「若い人は将来の為に、失敗の経験を積んでおく必要がある。/一人の若者が失敗を失敗として経験できるチャンスをわざわざ摘み取ってしまった」。受験生は乗り違へたと気付ひた時点で既に失敗を経験しておるに、加へて受験にも失敗して経験を積めと言ふかや。若者の将来に必要なは「失敗を失敗として経験する」事では無く、「失敗せし場合の対処法を学ぶ」事なり。助けやらねば命に関はる失敗に対しても「失敗を失敗として経験できるチャンス」と加藤氏は言へるか。「命に関はる失敗の話では無ひ」と言ふのなれば、氏の意見に意味は無からふ。

 「非」。男性読者(34)「大切な商談に間に合わないという場合でも、JRが新幹線を止めてくれることはないでしょう。なぜ社会人はダメで受験生なら許されるのか」。何故さふか、先ず自分で確り考へよ。女性読者(43)「今回は行き過ぎたサービス。こうした例外を認めるなら、どんな場合が該当するのかをきちんと定めて乗客に周知させ、公平性を確保するべきです」。杓子定規は兎角社会を窮屈にしはせぬか、規則規則で固めぬでも臨機応変対処にて済ますが人間らしし。扠又、此処に「公平性」持ち出すは如何なものか。

 我が意見、記事の最後に有りたり。男性読者(34)「社会の厳しさを教えることも確かに必要だと思います。/(しかし)この時代にあっては後者(寛容の精神を教えること)が大切。/悲観的な展望しか見いだせないような時代だけに、その中にも優しさが存在することを教え、若者に希望を与えることが何より求められていると思うからです」。大人は反省せねばならぬ、悲観的展望しか見出せぬ様な時代を到来させた責任を。其れ故大人は若者に示さねばならぬ、人間の優しさと生きて在る事の楽しさを。然すれば「是、非」明白なり。

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 人間諦めが肝心と言ふが、諦めてはならぬ。諦めなんだ故の勝利、忘る可からず。九日、埼玉スタジアムにてのサッカー二〇〇六年ドイツW杯アジア最終予選B組第一戦、日本対北朝鮮。2−1で我がイレブン勝利せり。引き分け終了の雰囲気の中、最後の最後迄勝つ事を諦めなんだ果敢なるプレーに惜しみ無き拍手を送りたし。ジーコ・ジャパン、間違ひ無く日々進化中。

 4分、MF小笠原満男FK直接蹴り込み先制。61分、DFナム・ソンチョル同点弾。「欧州組」高原、中村投入でゴール狙ふも奏功せなんだが、終了間際のロスタイム(91分)、79分投入のFW大黒将志がゴール前、福西からの絶好のパスを振り向きざまに左足を振り抜ひて決勝ゴール決めしなり。テレビ観おりて我即座に思ふたは、「人間、最後の最後迄諦めたらあかん」。

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 七日朝、羅臼町相泊海岸にてシャチの群れ十二頭、流氷に挟まれ身動きならず自力脱出不能に陥れり。地元住民懸命の救出作戦も流氷の前に効果無く、八日朝には自力にて流氷の外へ脱出せる子シャチ一頭を除き、残り悉く絶命せしなり。此れも貴ひ命なれば、合掌。自然の摂理と言ふは容易かれど、我等人間に罪無きか。外海へ逃れし子シャチ、一日も早く仲間見つけて楽しく暮らし呉るるを願ふのみ。海広ければ楽しき事も多からふ、確り生きなされや。



 

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平成十七年二月六日(日曜)雪

 二日、玄関前の氷割り及び雪運びにて二時間。三日、十五センチ程積もりて朝食前に三十分除雪、日中断続的に降り夕刻より本降りにて十時頃玄関前除雪するも就寝前には既に元の木阿弥。四日、雪掻き雪運び午前中二時間半、午後一時間半要したり。五日、昨日来の雪にて除雪及び雪運び朝より三時間強、断続的に降り続く中の作業、排雪場所限界。本日六日、床の中にてブルの轟音聞きて起き見れば我が家の前にも雪の山脈出来おりて、置き去りし量生半ならず、雪運びおりし裏庭最早満杯にて、家の前に城壁が如くに積み上げ置くの外無し。

 雪と闘ふつもり毛頭無けれど、隣近所の家々皆除雪成して奇麗にしおれば我が家のみ積もるに任せて放り置くも出来ず、老体の身にも処理出来る分は始末せねばの思ひ。我が老夫婦の手に余りたれば其れ迄、傍目には見苦しき佇まひに映るやも知れぬが、雪に埋もれて閑居するも北国らしき暮らしぶりと思ふて眺め呉れるを願ふのみ。老ひの身には既に運動過多、腕脚鍛へられしか筋肉痛無けれど腰への負担日々に増し来るやふにて起居するに腰重し。其れにても「降らば降れ、積もらば積もれ」と天からの便り有り難く頂戴するの心境、此れも齢取りたる故か。在るが侭に全て受け入れ生きるも亦楽しき日々なり。

            ◇……………◇          ◇……………◇          ◇……………◇

 日毎の雪掻きの折々に思ひし事ども少しく記し置く。

 考へみれば六、七十年前には「冬に雪はつきもの」と降るに任せ積もるに任せて悠然と暮らしおりて、除雪だ排雪だと大騒ぎせなんだに、人が増へ町が大きくなるに従ひ雪が敵の世に成ってしもふた。唯一馬橇が冬の交通手段であった我が幼少時、雪掻きは出入り口のみにて其の先本通り迄は人馬が踏み固めた細ひ道一本。其れで何の不自由も無かったに、今は皆狭き敷地に車持ちおれば雪掻き雪捨てせねば身動きならぬ。大雪なれば鉄道、乗合自動車運休となるは当然と運転再開のんびり待ちおりたに、今は忙しなき世にてあれば公共交通機関運休とあらば即、生活、経済活動に支障を来す有り様。便利な世の中の背中合わせの不便、如何な文明も脆く自然の前に無力であるを我等自覚すべきなり。

 つひ半世紀前迄、田舎の冬暮らしは雪に埋もれて辛抱強く春を待つ日々なるも苦にはならなんだ。吹雪続けば二、三日隣人さへも訪ね来ず、他人に会はぬ日ざらに有りたれど、田舎の冬は斯く在るものと思ひおりたれば何の不便も感じず、寂しくも無く、空しくも無く、吹雪止みたれば嬉々として雪野を転げ回り遊びおりたり。夜はラジオにて歌謡曲、落語、講談、浪曲等に聴き入りて倦むこと無く、ごふと吹雪く風音耳に「明日は如何遊ぼふか」と思案しつつ心満たされて眠りに就く日々。何も欲さなんだ故に心満たされおりたるか、「冬籠もりの後に巡り来る歓喜の春」を思ふて心満たされおりたるか。

 其の頃の田舎にては我が家も周囲も共に倹しき暮らしぶりなれば、互ひに妬み羨む事も無く、誰もが皆、無欲恬淡として笑ふておった。何かが欲しと言ふて即叶へられる様な暮らし向きで無ひ事を承知故、欲しがらなんだだけやも知れぬが、是が非でもと執着はせなんだ。人間に欲望有るは否定はせぬが、ああしたひ斯ふしたひ、彼れが欲しひ此れが欲しひと際限無く欲望膨らまし行けば満たされる事無く果てに残るは不満ばかりにて、自ら不幸の蟻地獄に飛び込むが如きなり。万事足るも良し足らざるも良し、溢れ来る我欲に拘泥執着する事無く唯今在るを有り難く思ひ、「満たされ幸せと思ふ心も、満たされず不幸せと思ふ心も、此れが我が身」と今在る全てを受け入るれば心楽なり。

 初詣でにて「福来らずとも良し、災ひ至らしめるな」と願ひしが、「日々楽し、今生きて在るは有り難し、有り難や有り難や」と暮らしおれば、今は仮令災難降り懸かかりても我動ぜず。起きたる事は元に戻せぬなれば嘆ひても詮無きなりと考ふれば、其れだけの事。災難に遭ふは不幸なれど、災難克服の過程が己が幸福を築く過程と考ふれば「其れも亦楽し」なり。自棄糞と言はれやふが負け惜しみと言はれやふが「こんなもんかひ」と笑ふて暮らすが一番。現実を受け入れぬ限り事は始まらぬ。苦しみと対峙せず、己の不幸を嘆き悲しむばかり、天を呪ふて泣き叫ぶばかりでは喜びは得られはせぬ。我が身を不幸と思ふなれば其の不幸を全て受け入れ、不幸に身を委ねるがよし。さすれば己の不幸が如何に些細なものか見へ来るものなればなり。

 雪降り積もるも楽し、雪掻くも楽し、己が楽しと思へば何事も楽し。人間気の持ちやふと言ふが、確かなり。笑ふて暮らすも一生、泣ひて暮らすも一生なれば笑ふて暮らすに如くは無く、御負けに笑ふ門には福も来る。不幸だと言ふ者は、不幸不幸と思ひ込む内に幸せを感じる力が衰弱してしもふて、不幸の直ぐ側に無数に在る小さな幸せに気づかぬ侭居るのやも知れぬ。不幸だと言ふ者は幸せ感知器の感度を上げよ! 幸せの数は不幸の億兆倍、何時も我らを取り囲み我らが気づくを待って居る。「今日生きて在るは有り難き事なり、天に地に、神に仏に唯々感謝」の思ひ持て今日一日の全てを受け入るれば、感知器の感度上がるなり。楽しと思へば何事も楽し、間違ひ無き事なり。



              
                  
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