推理小説にはフーダニットとハウダニットというのがあるのを知りました。
フーダニットは『Who done it?誰が殺したのか?』に焦点が当たるもので、
昔マガジンで連載してた『金田一少年の事件簿』などが例として挙がります。
一方のハウダニット。
こちらは『How done it?トリックは何?』に興味が注がれ、
例を挙げるなら…おなじみの古畑任三郎ですね。
他にもホワイダニット『Why done it?動機は何?』などもあるようですが、
この作品:容疑者Xの献身はハウダニットの形式です。
と、ここまで把握した上で本題ですが。
フーダニットとハウダニット、どちらの形式が好きですか??
フーダニットの場合は犯人がわかっていないので、
構図的には刑事役(もしくは探偵)が複数の登場人物に尋問していく形式となります。
犯人役は最初から居たり居なかったりいろいろですね。
で、他にも証拠探しやら聞き込みやらいろいろあるので…
どうしても刑事役にスポットが当たることが多いです。
一方ハウダニットはというと。こちらは犯人がわかっているので、
『いかに犯人が追求をかわしていくか?』もしくは『いかに刑事が追い詰めていくか?』という展開になります。
刑事役は他の登場人物にも聞き込みをしますが、
結局はこの2人のやりとり、“心の中の心理戦”に話が移行していくわけです。
もちろんどちらの形式も“犯人が仕掛けたトリックが命綱”なのは変わりませんが、
はなしの進め方にはそれぞれ特徴があるようです。
どちらが好きというのは難しい問題ですね…
が、しかし。
個人的にはどちらかというと“ハウダニット”の方が好きであります。
というのは。フーダニットは“犯人探し”と“トリック”の合わせ技で勝負している感じがしますが、
ハウダニットはホント“トリック1本”の勝負です。
そのトリックひとつの良し悪しにより作品の出来が決まるのですから…ハマったときの読後の余韻は最高です。
また作家の実力を図るのにも最適なのではないでしょうか??
作家の人たちにとって『どっちが得意でどっちが苦手』とかやっぱりあるんですかね…
と、いろいろ書いてみましたが。たまにはこんなことを考えながら推理小説を読むのもどうでしょう??