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近鉄長野線・富田林駅 (近鉄ホームページ・路線の履歴書より) 寺内町への最寄駅。金剛山、葛城山方面へのバスが発着。寺内町まで徒歩で約10分です。 明治31年開業。当時の河陽鉄道(関西鉄道柏原−富田林間)は大阪鉄道(略称:大鉄電車)を経て現・近畿日本鉄道となるが、近鉄を形成する路線では一番古い区間。大正12年に電車運転に切り替わるまでは、蒸気運転の拠点駅で、構内西側には機関庫もあった。 (近鉄電車ストーリー目次) 寺内町には、昭和初期に大鉄電車社長を務めた越井氏の住宅がある。同氏は地元の素封家で材木業・越井林業をはじめ広く事業を営み、昭和4年古市−久米寺延長や20m級大型車増備など積極的に大鉄電車の経営を推進した。(関西 電車のある風景 今昔II 高山禮蔵著 JTB) |
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寺内町(じないまち)観光案内板 富田林駅前(改札口)の正面にあります。 また駅前に富田林観光案内所があります。 (電話:0721−24−5500番) |
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富田林駅前広場に建つ楠氏遺跡里程標 明治35年2月に建設、各史蹟地への里程を刻して、史蹟探訪者の便を図りました。日下部鳴鶴の書。(「平成南河内名所図会」53頁(富田林ライオンズクラブ)より引用させて頂きました。) 楠木正成ゆかりの千早赤坂城址や西行法師ゆかりの弘川寺へも駅前からバスが発着しています。 |
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興正寺別院(寺内町の中核寺院) 本堂及び開基・証秀上人紀念塔(右) 浄土真宗興正寺派(京都堀川)の別院です。 |
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武田邸より興正寺別院(鐘楼・鼓楼)方面 (城之門筋) |
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木格子 (東)奥谷家住宅(非公開) |
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城之門筋 (当て曲げの道) 辻の四角で、わずかづつ交差道路がずれており、いわゆる当て曲げ(あてまげ)の構造が見て取れる。 右側: (本)奥谷家住宅(非公開) 左側: (東)奥谷家住宅(非公開) |
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橋本家住宅(城之門筋・林町)(非公開) | |||||||||||||||
虫籠窓(むしこまど、橋本家住宅) 形状は町家の建築年代によって異なり、それぞれの町家に個性的な表情と趣を添えている。 |
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虫籠窓と煙出し(木口家住宅) | |||||||||||||||
虫籠窓(仲村家住宅) |
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虫籠窓と煙出し(杉田家住宅) | |||||||||||||||
虫籠窓と煙出し(田守家住宅) | |||||||||||||||
虫籠窓 - 白壁とのコントラストの妙。 (杉田家住宅、城之門筋) |
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木口家住宅(城之門筋・林町)(非公開) | |||||||||||||||
杉田家住宅(城之門筋・堺町)(非公開) | |||||||||||||||
田守家住宅(城之門筋・堺町)(非公開) 「寺内町煎餅」寺内町煎餅」の図柄にも取り入れられています。 |
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寺内町の入り口(旧東高野街道沿い)に設けられた道標(宝暦元年、1751年設置) |
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寺内町に出入りする旅人に火の用心を知らせたもので、町衆の町を守る心意気が感じられます。大火がなく、古い町並みが残ったのもこんな気遣いがあったからかもしれません。 | |||||||||||||||
石川河川敷 寺内町のある高台から、眼下に石川を、遠くには葛城・金剛連峰を望む 富田林ふるさと情報 (観光マップ) |
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