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Ferrari F310B 1997 M・Schumacher | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
よく考えたら、このコーナーでフェラーリをお話しするのは始めてである。どちらかというと、イギリス系のチームのマシンが多かったからね。大体、私自身、イギリスにはよく行くんやけど、イタリアには行ったことがないので、書くにもそのネタとなるものがないので、まぁ〜いた仕方なし!っということか!!。 っで、今回、お話しするのは先日、引退or勇退??した、マイケルの97年に駆ったマシン「フェラーリF310B」である。個人的には、このマシンから2000年シーズンを戦ったF2000くらいまでが、良くも悪くも一番彼らしい戦いを演じた時期だと思っている。それ以降は確かに常勝であったけど、どちらかというと他がだらしなかった!っという感が否めないからである。もっとも、今シーズンは久々に白熱した戦いが見られたが、残念ながら彼がハッキネンと見せたような戦いではなかった。理由はアロンソと彼とでは全く人種というか世代の違うドライバーで、どうしても同じラインで戦いを見るということが出来なかったからである。かつて、セナがシューマッハとのバトルで見せた違和感のように・・・・・・。 前年の96年にベネトンからフェラーリに移籍してきた彼だったが、チーム状況は万年、にっちもさっちも行かないダメ・ダメ状況で今でこそ、巨匠??とされているジャントッドも復活に躍起になっていた。またマシンの方も、奇才ジョンバーナードがデザインしていたにも関わらず、彼自身にかつての勢いはすでになく、送り出すマシン全てが不発に終わっていた。もっとも、95年のマシン412T2はそれまでとは大きく異なるオーソドックスなデザインで、特にハイノーズが主流になっていた当時にあって、あえてペンシルノーズを採用していたのはある意味、奇異を狙うデザインのようにも思えたものだった。良い意味でシンプルなメカニズムだったせいか、このシーズンで初のそして最後の優勝となったジャンアレジがカナダで勝利を挙げたのは非常に印象的であった。しかし、ゲルハルトベルガーとジャンアレジというベテランンドライバーをもってしても、当時のフェラーリとしてはこの辺がポテンシャルの限界であった。そこへ、ルカモンテデモゼーロ率いるフェラーリの上層人が優勝請負人として投入したのが、シューマッハ彼であったわけである。
しかし、マイケルをもってしても、96年マシンF310は全くの駄作で、その様相が92年の近代フェラーリ最高の駄作とされているF92A(二階建てのシャシーのやつね!)を彷彿とさせるデザインであったため、見て目も非常にイケテなかったのである。 当然、それをデザインしたジョンバーナードはその年をもってチームを追われることになり、変わって加入したのはベネトン黄金期をシューマッハ、ロス・ブラウン等とともに築いたタイでダイビング満喫中だったロリーバーンであった。 余談であるが、ジョンバード自身、フェラーリ在籍中に自身のデザインスタジオをイギリスに設立し、そこでマシンのデザインを一手に行っていたらしいが、イタリアの本社ファクトリーでの作業を希望する会社側と少なからず対立があったため、マシンの開発が上手く進まず、それに伴い社内でのジョンの立場も次第に危うくなっていたとの一部情報が何処かに当時記載されていたかのように思う。その記事には締めくくりに 「ジョンはカリスマから、今ではただの気難しい中年オヤジに没落してしまった.・・・・・」 っとあったのだが・・・。 またロリーバーンの加入とともに、同じくベネトンから移ってきたのはマイケルのブレインとも呼ばれ、先程引退したロスブラウンであった。ロス・ブラウンはフェラーリの組織を、組織効率をよくする為にシステマチックに変更していった。今では至極当たり前になっているフェラーリの類まれな組織力であるが、当時はそれすらままならなかったため、結果的にはロスブラウンの力がいかにチーム、強いては会社組織に好影響を及ぼしたかが今になって痛感するところである。 とはいえ、このF310Bというのは、ジョンバーナードが前年にデザインしたマシンの改良型で、開幕前にはやはりトラブルが多発していた。特にエンジンに関しては深刻で、パワーはあったのだが燃費は悪く、その上、信頼性も低く、シーズン序盤はもっぱら、一発アタックの予選ではこのエンジンを、信頼性が要求される決勝では、完璧ではないものの、幾分マシな前年型のエンジンを使うと言う、非常に効率の悪い戦いを強いられるのであった。 エアロダイナミックス面を見ると、マシンフォルムがご覧のように当時の最強マシン「ウィリアムズFW17」に非常に良く似ているのが分かる。さすがに当時はフェラーリ独自のエアロダイナミックスを生み出すにはチーム力が乏しく、当時の最強マシンを模倣して戦うしかなかったようである。 また、現在では雄に3メートルを超えるホイールベースを初めて送り出したのは、この少し後に最強マシンに成り上がったマクラーレンが初の試みであった。 それに驚くことにパワーステアリングがフェラーリとして初めて採用されたのも、このマシンからである。ウィリアムズなどはセナが事故死した94年のFW16ではすでに試験的にであるが採用されていたことを考えると、実は当時のフェラーリのマシン自体がいかに遅れていたが分かる。
逆に言えば、こんなスッテンテンの時代遅れのマシンで、マイケルはシーズン序盤のモナコ、カナダ、フランスで3勝を挙げ、その後もベルギー、日本で勝利を挙げ、合計3勝し、シーズン最後まで最強マシンを駆るヴィルニューブとタイトル争いを演じたのはさすがと言わざるを得ない。(最終戦では例のワザとぶつけちゃった事件があったけども・・・・・) マシンのポテンシャル面においても、マイケルが頑張っているのにチームも感化されたのか、シーズン中盤には新開発のコンパクトな軽量モノコックを投入することになり、また空力面おいても、新型のフロントウイング、そして現在では至極常識なカーボンファイバー製の薄っぺらい流線形のサスペンションアームを投入するなどをし、次第にそのポテンシャルも向上していったのである。 余談ではあるが、 この年より長年のマールボロのパートナーだった、マクラーレンがウエストの乗り換えたため、マールボロはフェラーリへのバック・アップに一極集中させ、マシンカラーもそれまでのもっと濃い赤だったロッソコルサから、幾分明るいマルボロの赤になったらしい。ちなみに今のはもっと明るくて、これはボーダフォンの赤なんだそうだ。ってことは、ボーダフォンが離れる来季はどんな赤になるんだろう?? 今思えば、昨今のフェラーリの常勝時代の幕開けを飾るに相応しかったのが、このF310Bではないだろうか!ちなみにワタクシ・・・・、シューマッハ時代のフェラーリのマシンの中では、コレが一番のお気に入りである!! |
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