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富田林寺内町の探訪

江戸時代の町並みが残る寺内町(じないまち)をご紹介します

大阪市内から近鉄電車で富田林駅まで30分。駅から徒歩10分。
ひっそりとした佇まいを残すお寺や町家を巡りながら、お手軽な歴史散歩に出かけてみませんか? 皆様のお越しをお待ちしています。

田守家住宅(続き)

Tourist guide to Jinaimachi town, Tondabayashi, a histric district and heritage site of Japan, Residence of the Tamori family Page 2/2
   
 城之門筋に面する田守家土蔵。手前から綿蔵、米蔵、衣装蔵の順に並んでいる。 中央の米蔵は、通気のために屋根を浮かした格好をした「置き屋根」構造。手前の綿蔵と中央の米蔵は内部が借家(長屋)となっている。 (手前から)木綿蔵、米蔵(「置き屋根」)、衣裳蔵
城之門筋

屋根の形式等が三つとも異なっており、木綿蔵には腰に焼き板がはってあり、真ん中の米蔵は「置屋根」といい、屋根を(浮かせて)置いたような形になっています。奥の衣裳蔵は「はちまき」といわれる形式。
(じないまち瓦版7号、富田林寺内町をまもりそだてる会発行)
 
堺筋側から見た土蔵(城之門筋
手前から)母屋西妻、衣裳蔵、米蔵、長大な木綿蔵が立ち並び、往時の賑わいが偲ばれる。
 
置き屋根(米蔵)
 
北側の木綿蔵内部が借家として利用されている。
(借家への入口木戸)
 
 
   
 
寺内町せんべいの図柄にもなっています。
 

内部が借家に改造された長大な木綿蔵南会所町 

外観の修復工事を終えた木綿蔵 
田守家住宅

Information

非公開

建築年代
18世紀中期

所在地
城之門筋堺町(堺筋)

歴史(由来)
当家は屋号を「黒山屋」と称し、寛永年間にその祖先が大阪府南河内郡美原町黒山からこの地に移住してきたことからこの名をとった。明治中期頃まで代々木綿商を営んでいた。当時の流行り歌にも、「一に杉山、二に佐渡屋、三に黒さぶ 金が鳴る」と唄われたと伝わります。

屋号
黒山屋

建物の特徴
屋敷地は一区画の半分を占める。母屋は18世紀前半の建築と考えられ、寺内町に現存する町家遺構としては、(旧)杉山家住宅に次いで古い年代の建築である。母屋の表側(堺筋面)は大きく改造されていたが、近年外観の復元が施され、歴史的町並みに大きく寄与している。母屋の裏方には、内蔵、衣装蔵、米蔵、木綿蔵など大小4棟の土蔵が建ち並ぶ。

 寺内町の建築様式
 屋根・屋根瓦
 虫籠窓
 格子窓
 土蔵
 煙だしの越屋根
 鐘馗さん(魔除けの瓦人形)
 袖うだつ

ボランティア・ガイド


団体でお越しの場合には、地元のボランティア・ガイドによるご案内も可能です。(事前のお申込みが必要)

ガイドのお問い合わせや事前のお申込みは下記のじないまち交流館までお電話ください。


じないまち交流館
〒584-0033
大阪市富田林市富田林町9-29
TEL.0721-26-0110
FAX.0721-26-0110
(午前10時~午後5時、月曜休館)

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