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富田林寺内町の探訪

江戸時代の町並みが残る寺内町(じないまち)をご紹介します

大阪市内から近鉄電車で富田林駅まで30分。駅から徒歩10分。
ひっそりとした佇まいを残すお寺や町家を巡りながら、お手軽な歴史散歩に出かけてみませんか? 皆様のお越しをお待ちしています。

寺内町の成立と歴史(在郷町として発展)

Tourist guide to Jinaimachi town, Tondabayashi, a historic district and heritage site of Japan, History Page 2/4
商品作物の流通と在郷町としての発展

18世紀に入って近在の村々に綿作りや菜種作りがさかんになるにつれて、その買い集めや加工、取引をする問屋が増えた。富田林は石川谷における産業の中心地として、米をもとにしての酒造りの家、菜種から油をしぼり取る油搾り問屋、木綿から織った河内木綿の問屋などが、元禄・宝永の頃から次第に栄え、大きな店が軒を並べるようになり、各地の商人や近在からの出入りも多く、町場の賑わいは年とともに加わり、商取引も広く大きくなっていった。中世の宗教自治都市・寺内町の性格は次第に失われて、近世地域商業都市・在郷町としての経済発展を遂げることになった。

河内名所図会(享和元年、1801年)
河内名所図会」には以下のように記されている。

南河内、都会の地也。いにしへは、富田芝とて、広き野にてありしが、天正の頃、公命によりて、市店建続きて、商人多し。特には、水勝れて善れば、酒造る業の家数の軒をならぶ。又、名産葡萄は農家の前栽に棚作り、多く栽る。初秋の頃は、鈴のごとく生て、市に出す。其味、他にまさりて甘美也。葡萄酒も此地の名産としらる。風土の奇也。

 
出身の村名を屋号や呼び名として最近まで使われていたものに平尾屋(越井家)、別井屋(橋本家)、黒山屋(田守家)、新堂屋(北野家)、板持屋、貴志屋(杉本家)、飛鳥屋、岩瀬屋(奥谷家)、坂田屋(田中家)などがある。
(出典)富田林商工会議所「富田林」(昭和49年9月)、富田林教育委員会「富田林寺内町」(昭和50年)よりそれぞれ抜粋して収録。
 
黒山屋・田守家住宅(木綿問屋)
 
新堂屋・北野家住宅(木綿問屋)
 
別井屋・橋本家住宅 (酒造業)

十津川屋・葛原家住宅(酒造業)
商家の隆盛

各家の子弟は、堺に奉公に出て商売を見習い、町に帰って、身つけた商策を発揮するのが、この町の豪家の習いだった。堺で身につけたのは商策だけではなく、勤倹節約「入るを計って出るを制す」ることで、冗費を省くことに専念したが、そこで浮いた余力を、家、道具、什器など、家財にかけることだけは惜しまなかった。

そこで、大屋根の煙出しの形に凝ったり、店前の木格子に贅をつくすなど、今に残って微動もしない建築が生まれてくる。贅をつくすといっても、ただ豪奢(ごうしゃ)を衒(てら)うというのではなく、抑制のある繊細さがうかがわれるのは、やはり畿内、先進文化地区の洗練さによるものだろう。経済的な地位が、堺から大坂(浪華)に移ると、この町も大坂に顔を向ける。こんどは子弟の修業の場は船場になる。いまでも、町の旧家では、堺、船場との姻戚、親戚関係を持つものが多い。本来の地主から発展したとはいえ、商業としても富田林は成功した。石川の清流を利用した酒屋、河内特産の棉をつかうもめん屋、金剛山系にある自家の持山から木を切り出しての材木屋や、薬種問屋で成功した。

(出典)「カラー 歴史の町並」(文 那谷敏郎、写真 橋本治朗、淡交社刊 昭和50年10月23日)、富田林市中央図書館蔵書 から一部抜粋引用させて頂きました。
酒造業の繁栄

富田林の酒造株高は米六百十六石で酒造家は7軒であった。このうち、天保5年から明治2年まで続いたのは長左衛門(杉山)、徳兵衛(仲村)、茂兵衛(葛原)、伊助(奥谷)、忠兵衛(橋本)の5軒であった。その造り高は5軒合わせて四千三百八十石余で河州全体の酒屋(72軒)の二万四百二十七石余の二割一分強を占め、他地方にも販売していた。江戸に廻送されたものも少なくなかった。正徳6年(1716年)の一か年間に江戸に廻送した樽数は二千、その石高は六百石に達している。

(出典)富田林商工会議所 「富田林」(昭和49年9月)、富田林教育委員会 「富田林寺内町」(昭和50年)よりそれぞれ抜粋して収録。
 
重要文化財・旧杉山家(わたや)住宅
 
石田家住宅(旧・万里春酒造)の酒蔵
寺内町の成立と歴史  歴史逸話
寺内町の成立と歴史 宗教自治都市
寺内町の成立と歴史 在郷町としての発展

寺内町の成立と歴史 繁栄と衰退
寺内町の成立と歴史 繁栄と衰退(昭和30-50年代の頃)
吉田松陰 仲村家に滞在 - 嘉永六年二月・三月
桜田門外の変と富田林の木綿問屋
大久保利通が杉山邸に来たこと
郡役所新築に対する葛原氏の意見書 明治十八年
富田林開発記念碑 興正寺別院
木沢与平氏の「年代記」
富田林駅前の「楠氏遺跡里程標」
浄谷寺の釣鐘
歴史的建造物(一覧)  建築様式
歴史的建造物一覧(寺院・町家)
歴史的建造物一覧(寺院・町家)(続き)
歴史的建造物一覧表(寺院・町家)
寺内町の建築様式
寺内町の建築様式(続き)
寺内町の町割(都市計画)・交通 歴史的町並み景観の保存・地域コミュニティー活性化
寺内町の町割(都市計画
東高野街道と石川の舟運
寺内町の入口(街道口)
歴史的町並み景観の保存
歴史的町並み景観の保存(続き)
富田林寺内町をまもりそだてる会
地域活性化への取り組み
 「カラー 歴史の町並」(文・那谷敏郎 写真・橋本治朗、淡交社刊、1975年初版)
既に絶版になっている書籍ですが、富田林市中央図書館の蔵書の中から見つけた1冊です。全国各地の歴史的町並みを著者が訪ねて書かれた紀行文で、富田林にも足を運んでおられます。富田林寺内町の歴史について、エッセー風にわかりやすい文章で記されており、小生のお気に入りです。出版社である淡交社編集部の事前許諾を頂戴しましたので、抜粋・引用の上、紹介させて頂きました。 (2012年9月10日、管理人)


Information


(富田林市提供、禁無断転載)


歴史(略年譜)
1561年 富田林寺内町の誕生
    (興正寺別院開基) 
1574年 浄谷寺、富田林移転
1582年 本能寺の変
1580年 豊臣秀吉 天下統一
1600年 関ヶ原の戦い

1608年 妙慶寺開基
1615年 江戸幕府の天領
1638年 興正寺別院本堂再建
1644年 杉山家住宅建造
1688年 51業種149店舗が商売

1720年頃 妙慶寺本堂再建
1751年 防火用心石碑
1753年 木口家住宅建造
1775年 町割が六筋八町に
1782年 仲村家住宅建造

1830年 浄谷寺本堂再建
1853年 吉田松陰仲村家に逗留
1854年 (南)葛原家三階蔵建築
1868年 明治元年
1875年 大久保利通 杉山家訪問
1883年 警察署、郡役所富田林へ
1898年 河陽鉄道富田林開通

1923年 大阪鉄道があべの橋開通
1926年 金剛自動車運行

1947年 農地改革
1957年 府教育委員会 町家調査
1983年 旧杉山家住宅 重文指定
1986年 城之門筋 日本の道百選
1990年 仲村家住宅 府文化財
1997年 重要伝統的建造物群保存地区選定

2007年 美しい日本の歴史的風土     百選
2009年 都市景観大賞「美しいま     ちなみ優秀賞」受賞
2014年 興正寺別院 重文指定
2018年 関西まちづくり賞受賞
2018年 重要伝統的建造物群保存地区・西側に選定地区拡大

歴史逸話
Art Gallery
Books
明治の明星派女流歌人・石上露子
東高野街道

ボランティア・ガイド



団体でお越しの場合には、地元のボランティア・ガイドによるご案内も可能です。(事前のお申込みが必要)

ガイドのお問い合わせや事前のお申込みは下記のじないまち交流館までお電話ください。


じないまち交流館
〒584-0033
大阪市富田林市富田林町9-29
TEL.0721-26-0110
FAX.0721-26-0110
(午前10時~午後5時、月曜休館)

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