白い古書、ぞっき本も、時を経て読むと面白いものです。

今月の一冊は、これ!


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 外箱の表側


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 「ゑげれす…」の表紙


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 「A stands for Admiral」


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 「Z stands for Zeus」



ゑげれすいろは人物

著 者:川上 澄生
 濤書房(1974年発行)

 正月くらいはのんびりしたい。昼酒を聞こし召してのほろ酔い加減。文字を読むのも億劫なれば、大人の絵本を繙きましょう。厄介な話はありません。ちょいとレトロな木版画。眺めていればそのうちに、トロトロトロリのこっくりこ。夢見心地が眠りに落ちて、やがて彷徨う桃源郷。目覚めてみればあら不思議、気分は爽快元気横溢。浮世の憂さも消え失せて、やれ有り難や、なまんだぶ。

 1974年(昭和49年)は狂乱物価、超能力、コンビニ誕生、中ピ連、ベルばらと続き、10月に立花隆「田中角栄研究―その金脈と人脈」が『文芸春秋』に掲載され、「巨人軍は永久に不滅です」と長嶋引退。11月には田中首相辞任、北海道神宮本殿が放火で全焼。そんな中でサントリーのテレビCMに登場したのが「へっぽこ先生」(左写真・上2枚)でした。
 I stands for Instructor
 ○ Instructorは學校の先生 ○ 實は私はへつぽこ先生 ○ 私の履歴も變てこだ ○ 給仕人だの居候 ○ 鮭罐詰製造人夫 ○ 看板の圖案描き ○ 羅紗問屋の番頭 ○ それから學校の先生だ

 ナレーションと相まって妙に郷愁に駆られ、時を同じくして復刻出版されたこの本を躊躇なく購入したのでした。扉から奥付まで袋綴じ32枚64頁の小さな本ですが、幾度眺めても飽きることがありません。開く度に新しい発見があり、ささくれ立った心が穏やかになり、癒され慰められます。私にとって、純な心と感性の度合いを推し量るバロメーターかも知れません。

 《A stands for Admiral ○ Admiralは海軍大將 ○ 胸には勳章 ○ 白い髭 ○ 旗はたはたとひるがへり ○ 天氣晴朗 ○浪高し》から《Z stands for Zeus ○ Zeusは又のおん名をJupiterと申し上げ ○ オリンパス山上に宮居し給ひ ○ 或る時は白鳥と化身して ○ 御微行遊ばされる》まで、25枚の木版画が並びます。濤書房の刊行書案内に「テレビのCMでおなじみのユーモア溢れる絵本。あなたの部屋でのくつろぎの時間に、へっぽこ先生や山高帽の紳士が語りかけます」とあります。この案内文が内容の総てを語っていますが、さらに巻末の平野威馬雄「挽きたての珈琲のなかで」から、一節を。

 《澄生の作品には りくつも せつめいもない。りっぱな学問がかゝれているのでもない……たゞあるのは 誰の心にも ほのぼのとした あたゝかさをあたえてくれる なつかしい風物だけだ……ノスタルヂアのリズムだけだ
 しんせつで ていねいで あかるくて まごころのこもった『ひとりごと』なのだ
 挽きたてのモカの一滴を口にふくんで ペチカのほとりで ひもとくに ふさわしいものばかりだ
 幼い子から少年……そして青年……おとな……の だれにでも とびついてくる美と愛の世界だ》

 『ゑげれすいろは人物』出版時の昭和10年、川上澄生は宇都宮中学の英語教師だった。「へっぽこ先生」の履歴は、加・米放浪帰国後の澄生の履歴でもある。北海道との関係で言えば、昭和20年追分町に疎開、後に白老町に移り、苫小牧中学嘱託教師を務めている。昭和24年に宇都宮へ戻るまでの作品「安平川」「寂寥地方」「胆振國白老村にて」「苫小牧市」「えぞがしま」「あいのもしり」が『我が詩篇』に収録されている。

 『ゑげれすいろは』(1930年12月・やぽんな書房)/『川上澄生作品集』(1974年6月・朝日新聞社)/特装本『川上澄生作品集』(1975年9月・朝日新聞社)/『川上澄生全集』全14巻(1978−79年・中央公論社)=現在、中公文庫に収録


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