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キバシュウ

姑獲鳥で

「ただ木場に至っては姓を呼ぶよりも長くなっているから、全然省略にはなっていないのであるが」

とありますが、
多分榎さんは省略したいだけじゃないんですよ。
呼びやすさってものがあるんですね。
二音節語というのは据わりが悪いんじゃないですかね。
芸能人の愛称とかでありますよね、長くなってんじゃねーかみたいなの。
あ、ぱっといい例が思い付きませんが。
美紀→ミキティ、とか。

でももしかしたら、木場修に限っては、子供の頃の榎さんが覚えきれなかっただけとか(笑)。

「キバシュウタロウ」→「キバ……シュウ……なんだっけ?」みたいな。

ところで、同人サイトでよく見かける「修ちゃん」て呼び方ですが、
原作では狂骨で1回出てきただけだと思うんですよね。
しかもそのとき木場修本人は、誰だよそりゃあみたいな反応をしてるので
呼ばれ慣れてないように思います。
まあ、人前で子供の頃の呼び方を久し振りにされたので照れくさかったのかもしれませんが。
可愛いので(両方とも)1回だけとは言え、私もこの呼び方は好きですけどね(笑)。

記憶2

記憶に関する中禅寺説の一端。

「現実と仮想現実の区別が体験している本人には絶対に判らない」
「言葉に依る情報も、体験した情報も記憶になってしまえば結局同じになってしまう」

さて、これらは体験した記憶も言葉による情報記憶も同じ蔵に収められるところから来るもので、
脳が都合の良いように都合のよい記憶(情報)を引き出してきて仮想現実を体験させることもあるという話なわけですが。


だとすると榎さんの脳って改めて驚異的ですよね。
言葉による情報すら本人の体験とごっちゃになるなら
他人の視覚的記憶であれ、それの記憶を「視た」という体験そのものは榎さん本人が実際してるわけで。
榎さんが体験した記憶なのか、
他人の記憶を視たことによる記憶なのかっていうのは
言葉による情報以上に混同されそうな気がします。

今のところ原作によれば、その辺の混同なく榎さんは生活しているようですが。

だから魍魎で、人一倍聡明で適応力があると書かれていたのでしょう。

でも……なんだかつらいな……。

記憶

姑獲鳥読んでたら、後々の話の種とも言うようなセリフが出ていた。

中禅寺:「脳の働きひとつ物理的に解明できていないのに、心だの霊だのが解る訳ないじゃないか。」

関口「しかし君の論法で行くと僕が囓った心理学や精神神経医学はどうなるんだね。」


この辺踏み込もうとしたのが狂骨だよね。
それから

中禅寺:「早い話、君がこの世に誕生したのはついさっき、ここに来る直前で、君はそれまでの記憶を一切合切持ったまま、ぽこんとこの世に生まれ出たのだとしても、今の君には区別することは出来ないじゃないか。」

これは塗仏だと思うんですよ。
一切合切とはいかないけれど、偽りの記憶を持たされていたのに、自分では気付かずに生きてきた人たちの話だよね。

ところで、姑獲鳥冒頭から記憶の話をしていて、
そして榎さんという人物を創出し
狂骨や塗仏や、
しばしば出てくる記録と記憶は違うという話とか
「記憶」というものに対するこだわりが強いんだなと改めて思いました。

これ読み込むと、初期作品にその後の作品の萌芽というものがまだいろいろあるんじゃないだろうか。

役に立たないインテリ

塗仏の司登場シーンに、駱駝の福さんて人が出てきますよね。
この人もちょっと再登場希望なんですが、私。
こういう、インテリのはずなのに、それを生かして生きてないというか、社会にあまり役立ってないというか、
その手の人多いような気がするんですよね、このシリーズ。

筆頭が榎さんかもしれませんが(笑)。

多々良先生だってそんなようなものだし
(インテリの具合が偏りすぎてるせいもあるだろうけど、この人の場合)
お潤さんもそうですよね、ある意味。
水商売やらなくたって何かできそうな気はするんですけどね。

そういうタイプの方はモデルとしていそうですよね、京極先生の周りに。

お潤さんの過去、榎さんだけはちょっとだけ知ってたりするんでしょうね。
何か視えて。あそこ暗そうだし(笑)。

ごきげん中禅寺♪

「今昔続百鬼」に中禅寺が登場したとき、話の終わりのほうであの京極堂が笑ったと、何かかなり珍しいことのように何か京極関係の本の中で書いてた人がいましたけど
そのとき私は、え、そんなの、百器徒然では榎さんのコスチューム見て爆笑してたじゃん、と思ったんですが、
それどころの話ではなかった(笑)

あの姑獲鳥単行本の最初の50ページ内。

・気難しい古本屋は顔を少し上げてにっと笑った
・京極堂は何故か楽しそうにそういうと
・京極堂は一層楽しそうな顔になり
・京極堂はそういうと可笑しそうに笑った
・京極堂はそういうと--一層愉快そうに笑った
・京極堂は、まったくだといって笑った
・いきなり目の前の男が高笑いを始めたので私は我に返った。
 「あっはっはっは、君、関口君……」
・京極堂は腹を抱えて笑っている
・京極堂はそういうと再び大笑いした


ごきげんじゃないか。
むしろ笑い上戸かおまえは。

それだけじゃないんだぞ。
関くんに副業のことを訊かれて「驚いたような顔」をしたり、
「君だって巧い喩を使うじゃないか」と褒めてみたり。

仏頂面で登場した中禅寺ですが、後々のことを思えばこのころは随分愛想のいい、好い人じゃないか(笑)。
よく、榎さんの性格が姑獲鳥のときは違うと言われるけど、それを言うなら中禅寺も違うぞ。
でも私は姑獲鳥の榎さんも当然ながら榎さんの一部と思っているので
とすると中禅寺も本質はむしろ百器徒然の悪ガキノリというか、基本面白いことが好きなんだろうな。
だから榎さんなんかと(なんかって…)ずっと付き合い続けてるんだろうな。