去年は私にとっては母のことで気が狂いそうでした。三カ国語話し、ピアノは独学、小学校から英文科までの主席の母が痴呆になり、はや7年。とうとう自分で警察や消防車も呼ぶようになり、数年前やっと通院にこぎ着け、デイサービスも、ヘルパーもつけたが、その後が一人になる。日増しに妄想が激しくなり、医者から強制入院(私は家庭裁判所で審判で後見人に:しばっても家族が連れてこいということだ)、だましだましで体が悪いからと言うことで入院に成功。しかし措置入院は3ヶ月が限度で、都内では痴呆病棟から痴呆病棟への転院は許可されず。特別養護老人ホームは三カ所まで申し込み可だが、3年待ち。つなぎに老人保健施設に入れようとするがこれも半年待ち。5カ所も申し込み、その都度書類を書き、家族が相談に行き、連絡を待つ。この繰り返しだった。家にはおけず、今は一年契約の有料老人ホームに年会費300万、月々12万払ってる。 だが痴呆の激しい老人はいずれも拒否される。しかも介護保健の利く老健施設は入所中は保健の関係で病院に通えない。これが日本の医療の現実だ。 憤りを感じる。よく家族が痴呆の親を殺す記事があるが、本当に今のシステムでは何もできないのが現状だ。金銭にゆとりがない人には介護保健の穏健すらない。また仕事で休みが取れない人はなおさら。私も休みを取るのでさえ周囲にはばかり冷たい目で見られる。 これが日本だ。公的資金で金融機関を保護するのなら、金融機関の給与をもっと減らすなり、担保の土地を受け取るべきだろう。どちらが税金どろうぼうなのだ。業界が寄ってたかって、国から公共事業費をかすめ取る。これが許されるのか。 今の日本を立て直した老人から金をむしり取るような、企業経営が果たして本当の福祉なのか。 まともに家に帰り母の顔さえ見ることができなかった。なんども一人で暑い部屋でクーラーもつけずにいる母を見つけ、水分を与えたことか。でも早退すら許してもらえない。なのに家からすぐの人がさっさと帰り、今私が帰ろうとすると急に仕事を頼まれる。果たしてこれが学校なんだろうか。 母の死で国へ帰ったジーコ、人は彼を批判する。でも私は批判する風土の日本が狂ってると思う。いっそ退職しようかと思った。口先の福祉や人権は私には聞き飽きた。 何しろ教師になる前、月一回、身障者にボランティアで詩を教えていたが、教師になったら「教師はそんなことできないからやめろ」「自分の詩に自己満足してるんじゃないの」そんなこと言われた。私の作品も読みもせずにね。 そういう人が今、福祉や人権を唱える。母は語学の天才、父も国連の外郭団体の日本支部長。今さら国際理解教育なんて何十年も前に私自身が味わった。200人もの外国の人に囲まれて育ったら自然とそんなこと分かる。でも人は私を変わり者という。特に教師が、、。 私は、口先の人間が大嫌いだ。味わった事のない者がなぜ批判できるのか。 まあいい、私の最後の仕事だ。戦い続けてやる。言葉にとらわれる人権教育か実利にかなう人権か私は挑戦する。 新春に闘志を思う。
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