日本語教材紹介
ダウンロードできる教材 津市教員作成教材 翻訳文書 多文化共生教育資料 部会たより
          
多文化共生教育資料
作文  外国につながる子どもが自分について書くきっかけに
     外国につながる子どものくらしや気持ちを知り、考え合う資料に
あきらめないお母さん 5年  お母さんは、今年の3月に、免許をとるために、ぎふ県へ行くことにしました。帰りがおそくなって、おばあちゃんちにとまることもありました。お母さんが1週間いないこともあったので、さびしかったです。お母さんのおいしいごはんが食べたいなあと思いました。お母さんと弟はおばあちゃんちに行って、お兄ちゃんは友達の家へとまって、家族がばらばらになっていました。お母さんに早く帰ってほしいなあと思いました。
ブラジルへ帰る 5年  ○○が2ヶ月になったころ、お母さんが、「ブラジルに帰る。」と言いました。ぼくは、「帰りたくない。」と言いました。なぜかというと、6年生になって、みんなともういちど、運動会で組み立てをしたかったからです。それから、みんなといっしょに、修学旅行に行きたかったからです。
エスペランサに協力するお父さんとお母さん 6年  ぼくの家族は、エスペランサに協力しています。きっかけは、ある日の新聞記事でした。お父さんが新聞を見ていた時、エスペランサの活動している写真を見たことからはじまりました。お父さんとお母さんは、新聞記事を読んで、お父さんとお母さんさんは、台所に何かないかとさがしていました。家で買い置きしてあるものや、砂糖、洗剤などを見つけてお母さんといっしょに車にのせて学校へ届けに行きました。そして、エスペランサについてのプリントをもらって家へ帰りました。
日本に来てからのこと 6年  お母さんは僕が保育園に通っていた時、がんで病院へ入院しました。その時、お父さんは、昼勤の時はいつも帰りにお母さんの所へ看病に行っていました。ぼくたちは土曜日と日曜日にお母さんの所へ見舞いに行っていました。だから、家で料理を作る時間が無かったので、夕ご飯はいつも弁当を買って食べていました。
 お母さんが入院をしていたので、小学校の入学式に来てくれたのはお父さんでした。
運転免許がとりたい 5年  お母さんは、日本の免許を取りに行きました。お母さんは運転免許センターに試験を受けに行きました。でも、免許は取れませんでした。日本語の試験だったからです。日本語が分からないのに、日本語でする試験を受けにきたので、大勢の人に笑われたとお母さんは言っていました。ぼくはそれを聞いて、お母さんがかわいそうだと思いました。お母さんはがんばったけど、試験は全部×でした。お母さんは、それでも車の免許がほしいです。
わたしの夢と国籍条項 5年  しかし、私の夢の中で国籍条項というのにひっかかってしまう仕事があります。だから、その仕事につくことができません。そのことを知ったのは、四年生の頃だと思います。そんなことがあることを初めて知った時、こんなきまりがあったんだと思い、家へ帰ってお母さんと話しました。お母さんもこの国籍条項のことは知りませんでした。私のお母さんは、私が警察官になることを期待していました。わたしの夢をかなえるために家族で話しあって日本の国籍をとることも考えました。
お父さん ありがとう 2年  昼休みのほかは、5分ぐらいのきゅうけい時間しかありません。お父さんは、わたしたちのかぞくのために、手が黒くなってもがんばっているのだと思いました。手を止めないでむちゅうでやっています。わたしは、お父さんの手は、きかいで黒くなるのかなあと思いました。それで、聞いてみたら、「手で、きかいをうごかしているから。」と言いました。お父さんは、手がまっ黒になっても、がんばってやっているんだなと思いました。
Eくん ありがとう 3年  ぼくは、ひとりぼっちで遊んでいました。ぼくが一人ぼっちで遊んでいると、Eくんが、「あそぼ」ってさそってくれました。ぼくはうれしかったです。Eくんがさそってくれてなかったら、ぼくは、一人ぼっちでした。  それで、Eくんがいなかったら日本語もわかりませんでした。ぼくは、Eくんにかんしゃしています。
ぼくの思い 6年  教室の中にいると、先生の言っていることすらぼくには理解できなくて、ぼくのことをだれも必要とせず、変な子だとまわりから思われているように思えてなりません。教室で、ひとりぼっちだと感じています。ぼくを呼んでくれるのですが、ときどき、何をすればいいのかわからないのです。
私の家族 6年  私の家族は、全部合わせると、5か国の国籍になります。
 お父さんの方をたどってみると、ブラジル人、スペイン人、ポルトガル人、アフリカの人、ブラジルのインディオというように、たくさんの国の人がいます。
私の気持ち 5年  去年、たいへん困ったことがありました。ペルー人の男の人が、ある少女を殺害したという事件です。毎日、ニュースで伝えていました。私は、そのニュースを聞いて、「これで、わたしたち外国人が悪く思われるのではないか」と心配になりました。
食文化のちがい 5年  お昼ごはんを食べるとき、私がお弁当をあけると、近くにいた友達が、
「えっ?お弁当の中、全部ぎょうざ?」
「ええっ?どうした?」
と、おどろいて大さわぎになりました。私は、ちょっとはずかしいと思いました。
家族の仕事のこと 3年  このしごとをはじめる前に、お母さんは、いろんな仕事をさがしていました。でも、子どもが3人いると、いつ休むかわからないという理由で、なかなかはたらくしごとが見つかりませんでした。
でも、今の仕事の社長さんは、とてもやさしくて、わたしたちが病気になったときは、休んでもいいよと言ってくれています。
ぼくの家族 3年  お母さんは、今、おなかの中に赤ちゃんがいます。病院でけんさをすると、お金がいるので、ぼくは、お金をためようと思いました。そして、
「おこづかいは、いりません。」
と言いました。
日本の友だちに分かってほしいこと 4年  一人の男子がもう一人の男子とないしょ話みたいに、
「○○君って、悪いこといっぱいするやん。外国人の人達ってみんないっしょじゃない。」
と話していて、私はそれを聞いたとき、心が傷つきました。私が、みんなに分かってほしいことは、人は一人一人ちがっているっていうことです。
わたしの大すきなかぞく 6年 「わたしがくびにされたのは、びょうきでいっぱいやすんだからだよ。ちがう人をわたしがしごとをしていたところへいれたから、
『やすんだから、しごとがないよ。』
っていわれたの。」