The Journey of INDIAN PACIFIC |
27/Dec/2002(Fri) Perth (East Perth Terminal) インディアン・パシフィックと言うこの優雅な列車は、海外から来る旅行者の憧れの列車であるだけではありません。普段は飛行機や自家用車で旅行を楽しむ地元オーストラリアの人たちにとっても、結婚したときや仕事を引退したときなど、人生の区切りに乗るとても特別な列車で、滅多に乗ることはありません。 列車がホームに入線した後も整備のために1時間ほど乗車を待たないといけないのですが、オージーにとってもそんな特別な列車だからか、待っている間も一生懸命中を覗き込んで、自分の部屋の様子を探る人たちや、お目当ての部屋を見つけて大声をあげて喜ぶ人たちがたくさんいました。 出発の30分ほど前に整備が終了し、乗車手続が始まりました。 オーストラリアの長距離鉄道では、日本のように駅構内に乗客のチケットを改める改札口の設備はありません。乗客は、スーツケースなどの大きい荷物をターミナルビル内の専用の受付に預け、貴重品、本やゲーム、ウォークマンなど暇をつぶすもの、日数分の着替えなどを手に、既に入線している列車の該当車両の乗車口に向かいます。そこで待ち受けているアテンダントが乗客のチケットをチェック、手持ちのリストと照合します。こちらの方が、日本と違って二度手間が省けて合理的。(^_^)v 僕はチケットに記された一等一人用寝台個室のあるM号車の乗車口に行き、チケットを見せました。 「あなたの部屋は5号室。後で食事時間のリクエストを聞きに行くから部屋で待ってて下さい。」と、ちょっとハスキーなアテンダントが僕に言いました。彼女の名はVashti。アデレードまで一緒です。(何気にタイプ。やったね!) |
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列車に乗り込むと、車両の真ん中を通路が蛇行しています。くねくねと曲がる通路を通り、部屋に入りました。色々なウェブサイトで「狭い」と言う評判を目にしますが、僕は「一人でいるには十分なスペース」だと思いました。 一人用の座席と、足を乗せるのにちょうど良いソファがもう一つ、座席の横にはクローゼットがあります。この座席、リクライニング出来ないのが、僕にとっては唯一のマイナス・ポイント。 通路が蛇行している部分の裏側にあたるドア横には洗面台と便器がコンパクトにまとめられており、洗面台の上にはバスタオルとアメニティ・キットが準備されていました。 ※洗面所は車輌の端にもあるので、僕は部屋の便器は使いませんでした。だって、クサいのいやだもん…(^ ^; 小さなソファの上にウェルカムキットとして搭乗記念のバッジと列車についてまとめた小冊子、お土産用のパンフレット、その日一日のスケジュールを紹介した紙が置かれていました。 それらに目を通しているうちに、列車は10分遅れでゆっくりと動き出しました。 |
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First Sitting? Or Second Sitting? 列車が発車してしばらくすると、乗車口で僕のチケットをチェックしたVashtiが僕の部屋に来ました。 「食事はファースト・シッティング(第1陣)とセカンド・シッティング(第2陣)のどっちにする?」と聞いてきたので、僕は迷わず第1陣を選びました。するとVashtiは、 「あなたはシドニーまで行くのね。それじゃぁ、シドニーに着く日の朝食までずっとファースト・シッティングになるから、準備が出来たら放送するけど、時間に気を付けてね。」と言って、第1陣用の赤いカードを僕にくれました。 僕が第1陣を選択したのは理由があります。 スケジュール上、第2陣は何かと第1陣のしわ寄せを受けやすいと言う情報を、僕は事前に色々なウェブサイトで入手していました。第1陣の人たちの食事の進捗によっては、第2陣の食事の時間が左右される可能性が大いにあり得るのです。 これにより、カルグーリでの夜の市内観光ツアーのスケジュールが非常にタイトになります。また、最終日はシドニーに朝の9時に到着する予定なので、第2陣の食事はかなりせわしないものでした。 また、食事はオードブル、メイン・ディッシュ、デザート全てを数種類から選ぶシステムになっているのですが、第2陣では在庫が尽きて食べたくないものを食べざるを得ないケースが起こり得ます。鶏肉が大嫌いな僕にとっては、これは何としても避けなければならないことなのです。 僕は「どっちが良いの?」と聞かれたら、迷わず第1陣をお奨めします。 ちなみに、第1陣と第2陣では、それぞれ以下の通り食事の名前が違います。
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Pipe Line is Lifeline 最初のランチを食べ終わり部屋に戻って車窓を眺めてみると、パースを出発してから続いていた家並みがめっきりと減り、線路も単線になりました。 車窓をずっと眺めている最中に車内放送が流れてきました。…と言っても、アテンダントによるアナウンスではなく、あらかじめ録音しておいたテープにより、流れる車窓を説明しているのです。 その説明を聞きながら車窓に目をやると、何かが列車と平行して走っています。パイプのようです。 テープによる説明とVashtiに聞いた話をまとめるとこんな感じです。 内陸にある金鉱の町、カルグーリは金鉱脈が発見されたことで非常に栄えましたが、その豊潤な金鉱脈とは引換えに、水源は地下水もほとんど望めない乏しいもので、長年この問題に悩まされ続けてきました。 そこで施された策が、大都市パース近くのマンダーリング・ダム(←名前は自信ありません)より560kmもの長さのパイプラインを施設して、水の安定的供給を実現すると言うことでした。このパイプラインは1903年に完成したので、僕が見たパイプラインは99歳と言う事になります。 つまり、列車の横を走るパイプの中には内陸で暮らす人のための貴重な命の水が流れているのです。「水はタダ」という感覚がすっかり身についてしまっている日本人にとっては、水を自由に使える有難さを痛感すると同時に、560kmにも渡るパイプラインが存在するオーストラリアの大きさを改めて実感しました。 |
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People from Worldwide パイプラインをず〜っと目で追っていると、今度は本物のアナウンスが。 「カルグーリでのナイトツアーの受付をラウンジで行います。また、ラウンジでは4時半からちょっとしたイベントを行いますので、ぜひともお越しください。」 インディアン・パシフィックのツアーには全て参加するつもりだったので、ラウンジに向かい、受付をしてもらいました。その後の「イベント」も気になるので、そのままラウンジに残りソファに座っていました。すると、先ほどのランチでお友達になったWaltがビールを片手に僕と同じテーブルにつきました。 彼の名前はWalter Lee。 「Leeなんて、中国人みたいな名前だろ?まぁ、それはともかく、俺のことはWaltって呼んでくれ。」と言うので、アデレードで彼と別れるまで、Waltと呼んでいました。 彼はパース近郊のGreen Headという人口300人の小さな町に住んでいて、甥っ子の結婚式でアデレードに行くためにこの列車に乗ったそうです。この列車は日曜日の朝にアデレードに到着する予定ですが、その日の午後に結婚式があるそうで、「忙しい休日になりそうだよ。」とボヤいていました。 Waltと色々な話をしているうちに、この列車内で一番の美人じゃないかと思われるアテンダントがマイクを持ってやってきました。 「ここに集まった人みんなとお友達になれるよう、自己紹介をしましょう!」 それぞれの自己紹介を聞いていると、この列車には本当にたくさんの国から来た人たちが乗っていることが分かります。地元オーストラリアはもちろんのこと、お隣のニュージーランド、アメリカ、イギリス、ドイツ、スイス、デンマーク、そして僕と同じアジア系では、マレーシア出身の中国系で現在シドニーに在住しているアメリカ国籍の4人家族がいました。そしてこのラウンジでただ一人の日本人が僕でした。 今まで全く違う世界で全く違う人生を歩んできた人々が同じ空間にいて、そして国境や人種に関係なく仲良くなる。 なんて素晴らしい事でしょう! 一等車のチケットはそれなりに高くつきましたが、こんなお金では買えない素晴らしい経験を自分がしていると思うと、僕はその場で身震いをする思いでした。そして確信しました。 「この旅行は、今までの中で一番良い旅行になる」と。 僕にマイクが回ってきました。 T-Kay:「皆さん、こんにちは。T-Kay(もちろん、その場では本名を名乗りました。)と言います。日本から来ました。今回が13回目の渡豪です。この列車でシドニーに行き、ハーバーブリッジの花火を見て新年を迎えます。ハーバーブリッジも楽しみですが、今はこの列車で旅行が出来て、とてもハッピーです。」 超美人ATD:「OK、あなたがそんなにオーストラリアが好きな理由は何ですか?」 T-Kay:「ポイントはいくつかあります。澄み切った青い空、フレンドリーな人たち、そしてきれいなビーチです。」 多少の緊張もあったので、一字一句を性格に覚えているわけではありませんが、大体こんな感じのやり取りをしました。 「13回目の渡豪」にはびっくりする人が多かったみたいで、この自分の一言のお陰で、この後、食事のときやラウンジで寛いでいるときにたくさんの人が僕に話しかけてきてくれ、そんな人たちとお友達になって色々な話をすることができました。 また僕が日本人と言う事で、僕に「アリガトウ」、「オハヨウゴザイマス」など、日本語で挨拶をしてくる人まで出てきました。 乗客の中に日本のご婦人の二人組も見かけましたが、恥ずかしいからか、英語に自信が無いからかは分かりませんが、食事時以外はずっと部屋にこもっているようでした。折角こんなに素晴らしい体験を出来るチャンスがあるのに、何てもったいない… |
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Kalgoorlie, WA インディアン・パシフィックでは、その行程の中で4箇所、数時間停車をして列車を整備し、その間に乗客の中から希望者を募って市内観光ツアーを、地元の観光業者に委託して、開催しています。短い期間に飛行機で移動する旅行では絶対に訪れることができない内陸の町やアウトバックなどを気軽に何箇所も見て回ることが出来るこのツアーは、僕にとってはとても楽しみでもありまた有難くもある企画の一つです。 カルグーリは東へ向かうルートの中ではその第1弾。夕食の後のナイト・ツアーとなります。 ここは世界で最も豊潤な金鉱脈の上に位置することで有名で、別名“ゴールデン・マイル”と呼ばれています。ウエスタン・オーストラリア州ではパース(Perth)、フリーマントル(Fremantle)に次いで3番目に人口の多い(といっても3万人)内陸の町です。 駅前にはすでに観光バスが待っているので、その場で運転手兼ガイドの女性にツアー代金A$16を支払ってバスに乗り込みました。 観光バスはカルグーリの駅を出た後、町の中心のハナン通り(Hannan St.)をゆっくり走り、市庁舎、ホテル、パブなど、ゴールドラッシュ時に建てられた歴史ある建造物や町の隆盛に貢献した人(名前は忘れました)の銅像などを一つ一つ丁寧に見ていきます。 この日、夕食時から雲行きが少しずつ怪しくなってきていたのですが、バスで街中を回っている頃には雷がひっきりなしに空で光っていました。 空一面に稲妻が走る状態が数十分続いている間、バスに乗っていた他の乗客が「昨日、女の子が雷に打たれて死んだってニュースがあったから、私たちも気をつけないとね。」 おいおい、こんなときにそんな怖い話をしないでよ〜。 この後、町外れにある、世界で一番大きい露天掘りの金鉱、Super Pitを見渡せる展望台にバスは向かいました。 ここに来たときは夜の9時を回っていたのに、現場はフル操業。列車で友達になったWaltが教えてくれましたが、ここは常に24時間稼動しているとのこと。う〜ん、金への飽くなき欲望が人を突き動かすのか… 写真を撮りましたが、何分にも暗がりでの撮影だったため、右のような写真しか取れませんでした。 何卒ご容赦下さい。 金鉱の様子を写真に収めている頃から、雨が降ってきました。 金鉱を後にして町に戻る途中で、雨はかなり強くなってきました。中心部に戻ると、道路では洪水がおきて川のようになっています。 内陸の雨の少ない町だって聞いてたのに、洪水ってどう言うことよ〜。何も自分たちがこうして観光しているときに降ることないじゃん! バスでは、方々で、「水、水!」と、道路が雨水で氾濫しているのを見て大騒ぎ。でも、運転手兼ガイドさんは平気な顔をしてバスを走らせています。それを見て、「こりゃ、それほど心配するような雨じゃないのかな…」と、僕は勝手に安心してしまいました。 その後、この悪条件の中、かつて日本人が就労していたときに使っていた長屋、そして売春宿などを回った後、列車が待つ駅に戻り、ツアーは終了しました。 ツアーは昼にやってほしいな…と言うのが、僕の正直な感想。丁寧に町を回ってくれたりしたけど、その様子を完全に見れたかどうかは、ちょっと疑問が残ります。 この大雨の中、列車が予定通りの運行が出来るかどうか、少し心配でしたが、定刻どおりに出発しました。僕はそのことを確認してから眠りに就きました。 |
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28/Dec/2002(Sat) The Nullarbor Plain 第一日目の夜は快適に眠れたとは決して言えませんでした。確かにベッドは快適だったのですが、カルグーリを予定通りに出発してからしばらく、途中停止してはガクンガクンと大きく揺れてその度に目を覚ますと言う状態がしばらく続いたのです。 それを何回か繰り返した後、やっと列車は安定して走行するようになり、ちゃんとした眠りにつくことができました。 眠りから目を覚まし、時計に目をやると朝の6時少し前、少し寝不足気味でしたが、窓のブラインドを上げてみると、もう外は明るくなっていて、そこには何も無い平原が広がっていました。 そうです。ナラボー平原(The Nullarbor Plain)です。 ナラボーとは、ラテン語で「木の無い場所」を意味します。その名の通り、窓の外に見えるのは見渡す限りの地平線と、低木や草しか生えていない赤茶けた大地だけ。時折、その大地をインディアン・パシフィックのシンボルであるウェッジ・テールド・イーグルが優雅に飛んで獲物を探しています。 日本では絶対に見ることの出来ない非日常の世界が、今僕の目の前に広がっているのです。 この列車での僕のお目当ての一つである風景を前にして、僕の眠気は吹っ飛びました。 自分の部屋のベッドは朝食が終わるまでは座席に戻らないため、着替えてラウンジでゆっくりと風景を楽しむことにしました。 ラウンジに行ってみると、既に早起きをして紅茶やコーヒーを飲んでいる人たちが2、3人。その人たちと"Good Morning!"、"Hi!"と挨拶を交わし、開いているテーブルにつきました。 ウェッジ・テールド・イーグルを写真に収めようと、何度もトライしてみますが、これが中々難しい!ファインダ覗くと遠くにいて小さいし、拡大して撮ろうとズームにすると、動きが早くてその間にどこかへ飛び去ってしまったりの連続で、結局写真は撮れず終いで朝食の時間が来てしまいました。 |
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Cook, SA Waltに無理矢理勧められて初体験したベジマイトの朝食を終えてしばらくすると、列車はナラボー平原のど真ん中の人口わずかのゴーストタウン、クックに停車しました。 ここで、インディアン・パシフィックを降りて2度目のツアーです。ここでは、セルフ・ガイド・ツアーとなります。まぁ、ぶっちゃけた話、自分で勝手に見て回ると言うことです。 クックは世界で一番長い鉄道の直線区間(478km)の途中にある駅。 ガイドには人口二人と書いてありますが、これは乗客の興味を煽る謳い文句かも知れません。二人だったら、町としての機能はおろか、その人の生活自体も不可能ですもんね。実際には多少の人は住んでいるとは思われます。 (「人口2人」は紛れもない事実で、この鉄道の道中のメンテナンスのために、二人の人が居住しているそうです。2008年4月20日加筆) クックには以前は200人ほどの人が住んでいました。その当時使われていた小学校、病院、ゴルフクラブ、プールなどの建造物はそのまま壊されずに残っていて、使われなくなったであろう車も放置されています。 この列車は、30両以上もの長い編成。あまりにも長すぎて、他の場所では、機関車がホームからはみ出してご対面できないケースが多いのですが、「平原のど真ん中」に途中停車するここでは、その中々ない先頭の機関車とのご対面のチャンス。この長大編成を引っ張りながら頑張っている機関車と会ってきました。 集落を少し離れれば、そこは正しく何も無い平原のど真ん中。 この場所で語ることはそんなに多くは無いけれど、逆にここでは多くを語らず自分が何も無い大陸のど真ん中にいることを体で実感する場所なんだと思いました。 僕の写真だけでは飽き足らない方、ぜひともこの列車にチャレンジしてみてください。 そしてこの地に足を踏み入れてみてください。言葉では言い表せない何かがここにはあります。 |
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クックを出発をしてランチを食べ終わった後、満腹感と昨晩の寝不足が効いてきたのか、僕はこの日、自室で夕方まで深い眠りに入りました。 くーすかぴー! |
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Jeremy & Vashti この日のディナーを食べ終え、ラウンジでお土産を物色していると、ある男の子が僕に話しかけてきました。 彼はあのラウンジでの自己紹介の時にもいたJeremy。彼はマレーシア出身の中国系で現在シドニー、タロンガ動物園の近くに在住しているアメリカ国籍のお父さん、Heng Wongさんのの一人息子です。父親の仕事の関係でアメリカからシドニーに移り住んでから、まだ1年しか経っていないそうです。僕が彼と同じ、この列車の中で数少ないアジア系であること、そして「13回目の渡豪」を聞いて僕にすごい興味を持ったそうです。年齢を聞いてみると16歳の高校生。僕のちょうど半分です。彼自身はアメリカで生まれ育ったため、母国語は英語で、中国語は話せないどころか、漢字も全く読めないそうです。なんだか不思議。 彼はオーストラリアでは現在住んでいるシドニーとこの列車に乗る前に滞在したパースしか知らないそうで、僕が今までどこに行ったか、お勧めの場所があったら教えてほしいなどと聞いてきたので、僕は日本人に縁があり、とてもきれいなビーチがあるブルーム(Broome)と、シドニーから車で簡単にいける地元の人たちのリゾート地、ポート・マックォーリー(Port Macquarie)の様子を詳しく教えました。 オーストラリアに住んでいる人に、自分がオーストラリアの情報を提供して、本当に役に立つかどうかがちょっと心配…(^ ^; 彼とは、メールアドレスも交換し、ラウンジで一緒に写真も撮ったので、後日送ることを約束しました。 この夜、僕にはどうしてもやっておきたいことがありました。それは、パースを出発してからずっと色々と話をしたりお世話にもなったVashtiの写真を記念に撮らせてもらうこと。 Jeremyとだいぶ長く話をしたため、時計は既に夜中の12時をとっくに回っていました。こんな時間に頼んで大丈夫かなと、ちょっと心配でしたが、乗務員室で仕事しているところにお邪魔して頼んでみると、笑いながら、 「あまり頼まれたことがないから、ちょっと恥ずかしい〜。」とハスキーな声でご返事。 「それってOKってことだよね?」と聞くと微笑んで頷いてくれました。 カメラを向けると、最高の笑顔を見せてくれ、右の写真のように相成りました。 Vashti、本当にありがとう!あなたのその素敵な笑顔とハスキーボイス、僕は絶対に忘れません! 大仕事(?)を成し遂げた僕は、この夜は深い眠りに就きました。 深い眠りから目を覚ますともうすぐアデレードに到着するところ。 着替えて歯を磨いてしばらくすると、列車はアデレード、ケズウィック・ターミナル(Keswick Terminal)に到着しました。 ここで、別の列車でパースへ引き返すVashtiやこの後すぐに甥っ子の結婚式に出席するWaltと別れの握手をして、僕は3つ目の市内観光ツアーへと向かいました。 |
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