The Journey of INDIAN PACIFIC
Part 2
Adelaide-Broken Hill-Sydney


The Transcontinental Railway Journey in Australia
Distance from Adelaide to Sydney: 1,691km



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29/Dec/2002(Sun)
Adelaide, SA
Broken Hill, NSW
Last Night in Indian Pacific

30/Dec/2002(Mon)
Blue Mountains
Arriving at Central

My round trip of the continental Australia
is accomplished
by this transcontinental journey!


 
29/Dec/2002(Sun)
  
 
Adelaide, SA  
Keswick Terminal アデレード、ケズウィック・ターミナル(Keswick Terminal)に到着したのは、朝の6時。ここで列車を後にする人は、みんな眠そう。皆さん、ご苦労様です。
 カルグーリの時と同じく、駅を出たところにツアーバスが待っていたので、ガイド兼運転手のおじさんにA$16.50-のツアー代金を支払い、バスに乗りました。朝が早いと言うこともあってか、カルグーリの時ほどツアーに参加した人数は多くはありませんでした。
 バスはまず、市内中心部のノース・テラスに向かい、大学、博物館、美術館等の歴史建造物を見て回ります。その後、バスはイースト・テラス、ヴィクトリア・スクエアを回り、再び北に向かい、トレンス川を越え、アデレード設立時に指揮を執ったウィリアム・ライト大佐の銅像のあるライト展望台(Light's Vision)に到着。ここでバスを降りて写真撮影です。
 展望台を出発した後も、しばらく碁盤の目状に整備された市内をぐるぐる回り、バスは最後にケズウィック・ターミナルに戻りました。
 アデレードの町は、前年に続き2度目だったので新鮮味は全く無いのですが、僕にとっては、前回訪れた色々な場所と再会できた懐かしさを感じさせるツアーでした。
アデレードの様子を知りたい方は、こちらをクリック
 ホームに戻ると、アデレードからの乗客も多いせいか、改めてチケット等チェックしながらの乗車となります。
Breakfast 僕はパース出発時にチケットをアテンダントに手渡してしまったため、パースから乗っている旨を口頭で伝えました。名前を聞かれたので、自分の名前を言うと、係の人がリストと照合し、乗車OKとなりました。
 再び乗り込んでしばらくすると、列車は逆方向に動き出しました。アデレードを出てから2時間弱の間、この列車は今まで来たルートを逆方向に走り、Rocky Riverという場所でパース方面のルートと分かれるのです。

 発車してすぐに朝食の時間になりました。
 アデレードで降りた人が多かったせいか、レストランはすいていました。
 「たまにはお友達つくりを休んでも良いかな」と思い、誰もいないテーブルでこの列車に乗ってから初めて、一人で食事をとりました。
 朝食を終えて部屋に戻ると、早起きが効いてきたのか、前日に続いてまたもや睡魔が襲ってきて、僕はしばらくの間、深い眠りにつきました。
 くーすかぴー!

 
Broken Hill, NSW
Broken Hill フィレビーフ、ラム、ハンバーグ、ソーセージの非常に重い肉の盛り合わせのランチを食べた後、しばらくすると、列車は最終目的地のあるニュー・サウス・ウェールズ州(NSW)に入りました。
 NSW州に入ってすぐの町、ブロークン・ヒルに停車。ここでこの列車の旅最後の市内観光ツアーに参加します。
 ブロークン・ヒルは、内陸のアウトバックの町。町の名前は鉱物資源の採掘活動によって切り崩された丘を意味します。銀、銅、亜鉛の埋蔵量では世界一の鉱脈に位置します。
 空飛ぶお医者さんの基地があることでも有名で、この基地からNSW州、ヴィクトリア州(VIC: Victoria)、サウス・オーストラリア州(SA: South Australia)の過疎地域へセスナ機で飛び、医療活動を行います。広大なオーストラリアならではのサービスです。
 また、この町は大都市シドニーと同じNSW州にありながら、SA州の州都アデレードに近いと言う変わった地理的特徴を持っています。

RFDS ここでも、駅前にツアーバスが待っているので、今までと同じようにガイド兼運転手のおじさんにA$16.50-のツアー代金を支払い、バスに乗り込みます。
 バスは切り崩された丘を右に左に見ながら空飛ぶお医者さんの基地、Royal Flying Doctor Service of Australia(RFDS)を訪れ、設立の経緯やかつて使用していた通信機器を展示した博物館、実際に使用しているセスナ機の駐機場などを見学することが出来ます。
 その後、バスは町の中心部をぐるぐると回り、タウン・ホールなど歴史ある建造物を見て回った後、地元の鉱物資源より作られたお土産物屋さんの前に停まります。ここで、20分程の買い物を楽しんだ後、バスは駅に戻りツアーは終了です。
 列車が遅れてこの町に到着したため、ツアーの時間が短くなってしまい、少し物足りなさの残るツアーとなったのは残念でした。この町が飛行機では簡単に来ることの出来る町ではないことを考えると、本当に残念です。
 もう少しゆっくりしたかった…

 
Last Night in Indian Pacific
 夕方になり、とうとう最後の晩餐がやってきてしまいました。
 今回一緒に食事をしたのは、Jonica & Peterのご夫婦。ご主人の名刺をもらって見てみたら、職業は弁護士。気品のある出で立ちはそのためか。(?)パース近郊の町在住で、この列車でシドニーに行き、パースに戻るときもこの列車を使うとか。いやはや、何とも羨ましい。
 初日の僕の自己紹介を覚えてくれていたそうで、「そんなにこの国が好きなら住めば良い。日本ではアメリカ英語を学校で習うらしいけど、君の英語のアクセントはオーストラリア英語に近いから、きっとすぐに馴染むさ。」よく分からない理由付けですが、「オーストラリア英語のアクセントに近い」と言う言葉をもらったときは、ちょっとだけオージーに近付いたような気がして、嬉しかったです。
 家族の話、仕事の話、そして僕がオーストラリアのどこに行ったのかなど、話のタネは尽きません。「ニュージーランドでファームステイをしたことがある。動物好きなもんで、3頭の犬とハードだったけど楽しく仕事をしている時、僕は幸せだった。」と言うと、奥さんが「それじゃぁ、次にオーストラリアに来るときはパースに来なさい。そして必ず私にコンタクトすること。そうすれば、そこいらの動物園では体験できない、動物と楽しめる場所に連れて行ってあげるから。」とのお言葉。「時期は…そうねぇ…この時期だと、暑さもすごいしハエも邪魔だから、9月は来ることは出来るの?」と勢いついてスケジュールまで決められそうな始末。でも、次の旅行に繋がるお誘い。出会ってそんな時間も経ってないのに、こんなことを言ってくれるなんて、僕は本当に幸せ者です。
 食事が終わった別れ際に、「ほらっ、あなた、名刺に住所も書かないとダメでしょ!」となぜか怒られる弁護士のご主人。かわいそう…

 食事が終わり、部屋に戻ろうとすると、体格の良いお兄さんとばったり遭遇。
 一瞬、怖そうだなぁと思ったけど、僕の肩を叩きながら「調子はどうだい?」と典型的なオージー流のお気楽な挨拶。彼の名前はKent。「タバコみたいな名前だね」と言うと、「ハッ、ハッ、ハッ、お前、面白いこと言うなぁ。ワッ、ハッ、ハッ、ハッ…」となぜか大うけ。シドニー・バスの運転手さんで、アデレードの実家でクリスマス休暇を過ごした後、シドニーに戻る途中だそうです。この列車に乗る前に僕が滞在したパースは毎日36度〜38度と非常に暑かったのですが、彼が休暇を過ごしたアデレードも同じだったそうで、32度を下ったときは無かったそうです。
 彼を僕の部屋に招き、また色々な話をしました。
「今年(2002年)の9月、僕の妹が結婚して新婚旅行でバリに行ったんだけど、その2週間後にあのテロが起きたんだ。」←T-Kay
「お前、マクドナルドは好きかい?俺らは今、あの店には近付かないようにしてるんだ。何たって、アメリカの象徴だからね。」←Kent
ワトソンズ・ベイ(Watsons Bay)って行ったことはあるかい?一度は行ってみるもんだぜ」←Kent
「空港からシティに行く地下鉄、便利だけど、なんであんなに高いのか納得できん!」←T-Kay
それから彼は、ここでは全てを書ききれないほど、シドニーの情報を僕にくれました。さすが、シドニー・バスの運転手さん!感謝、感謝!

 シャワーを浴びに行くと言ってKentが自室に戻ったので、日記をつけようとラウンジに。
 そうすると、ご年配の夫婦が「こっちに来なさい」と言って僕を呼ぶので、行ってみると老紳士が「お前は日本からきたんだろ?日本のサムライ魂は素晴らしい!何たって…宮本武蔵と佐々木小次郎が…黒船が来たとき…」…この内容は割愛させていただきます。まぁ、よくご存知だこと。(所要時間は約25分でした。)

 …と、インディアン・パシフィック最後の夜、この列車の旅の終わりを惜しむかのように、乗客同士の新たな出会いと楽しい語らいがいつまでも続きました。
 「本当に素晴らしい旅になった。」と僕は心底実感していました。

 
30/Dec/2002(Mon)
 
Blue Mountains
near Lithgow 最終日の朝、目を覚ましてブラインドを上げると、列車はリスゴー(Lithgow)と言うシドニーの郊外列車の終着駅を通過していました。
 山地に点在する家とその家に絡まる低い雲。
 エッ、こんなところに雲?列車がこんなに高い場所を走っていると言う事は…そうです、大陸横断の行程の中で唯一の山岳地帯を走っているのです。ブルー・マウンテン(Blue Mountains)はすぐそこまで迫っています。
 この列車の旅をするまで、僕はシドニーを8回も訪問しながら、このブルー・マウンテンを訪れたことは1回もありませんでした。かつて、ブルー・マウンテンの麓のローソン(Lawson)と言う町に住んでいた大学時代の友人にも何度も勧められていたのですが、何故かご縁の無い場所でした。
 だから、今回のこの列車の旅が終わった後に、新年を迎えながらシドニーにしばらく滞在するつもりだった僕は、今回の滞在でブルー・マウンテンには必ず行く予定でいました。
(シドニー到着後に訪れたときの様子は、こちらをクリック)
Blue Mountains 実際に行く前に、車窓から見たブルー・マウンテンの写真を撮ってみようと思い、僕は着替えてラウンジに向かいました。
 ラウンジには、昨晩知り合ったKentがもういて、コーヒーを飲んでいます。
「よう、やっぱり来たな」と僕にウィンク。
「右側の方がいい写真が撮れるよ。」と言ってくれました。
 窓にかじりついて、シャッターチャンスを窺い、パチリと1枚。
 青い山並みに低い雲がかかる、少し不思議ですが、本当に綺麗な風景です。こう言う風景が楽しめる場所に鉄道を敷くなんて、オーストラリアの鉄道関係者も心憎いね、などと僕は勝手に感心していました。
 無事に写真を撮り終えた僕は、しばらくその素晴らしい風景を堪能し、インディアン・パシフィックで最後の朝食に向かいました。 

 
Arriving at Central
 ブルー・マウンテンを過ぎると、見慣れた光景、駅が目につくようになりました。
 ペンリス(Penrith)、ブラックタウン(Blacktown)パラマタ(Parramatta)、リッカム(Lidcombe)、ストラスフィールド(Strathfield)…あぁ、シドニーに帰って来たという実感が湧いて来ます。
 終点に近付くと、部屋をノックする音。
 開けると、アテンダントが僕に「乗車証明書」を持ってきてくれました。
 あぁ、大陸横断の旅はもうすぐ終わるのか…と、ちょっとセンチな気分。
 「列車はまもなくシドニー・ターミナルに到着します。2番線、および3番線に到着します。」と車内放送。
 ん?「2番線、および3番線」?何それ?
 終点の一つ手前レッドファーン(Redfern)を通過してすぐ、列車は一旦停止しました。
Just arrived at Central! 終点のシドニーの鉄道のターミナル駅、セントラル(Central)はホームが短いため、30両にも及ぶ長い編成を2つに分けてホームに入線させるのです。
 列車は再びゆっくりと動き出しました。僕の乗っている車両は先にセントラル駅に入線しました。
 途中ブロークン・ヒルの近くで30分ほどの遅れが出たものの、遅延回復に努めた結果、列車はほぼ定刻どおりにセントラルに到着し、67時間の長い勤めを終え、完全に停止しました。
 今や友達となった同乗者の人たち、列車のスタッフの人々、そして4,350kmを走り抜いた列車も、みんな本当にお疲れ様でした!

 アテンダントがカギを外してドアを開けると、乗客はみんな列車を降り、年末年始をシドニーで過ごす人、家路に着く人など、それぞれが自分の次の人生に向かってホームを後に別れていきました。

 4,350km、67時間、3泊4日の大陸横断の鉄道の旅。
 数字だけ見ると長い旅だったし、列車の中での色々な思い出を振り返るとあっと言う間の短かった旅でした。
 普段は中々チャンスの無いアウトバックの小さな町をいくつも訪れることが出来たのも大きな収穫ならば、お金では決して買えない世界中の人たちとの交流が出来たのも大きな収穫。
 今言えることはただ一つ。
今までで一番素晴らしい旅だった。全ての人、モノに、本当にありがとう!
 大地を走り抜け、素顔のオーストラリアを垣間見た充足感でいっぱいの僕は、第2の故郷シドニーの小さな常宿で長旅の疲れを癒したのでした。
シドニーを満喫したいときは、ここをクリック

 
My round tirp of the continental Australia is accomplished
by this transcontinental journey!

今回のこの大陸横断旅行を以って、
僕は数回に分けてのオーストラリア大陸一周を達成しました。

シドニー(Sydney, NSW)ブリスベン(Brisbane, QLD)→ケアンズ(Cairns, QLD)ダーウィン(Darwin, NT)
ブルーム(Broome, WA)→ポート・ヘッドランド(Port Hedland, WA)
パース(Perth, WA)
カルグーリ(Kalgoorlie, WA)アデレード(Adelaide, SA)
ブロークン・ヒル(Broken Hill, NSW)
→シドニー(Sydney, NSW)

飛行機での移動が多いし、
メルボルン(Melbourne)のあるヴィクトリア州(VIC: Victoria)をショート・カットしてしまっていたり、
トランジットのためだけに滞在した場所もあったりして、
決して完全とは言えないけど、
一周した形にはなってますよね?ね?

 
やっぱりパースに戻りたい!

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The Outline of Indian Pacific
PART 1

27/Dec/2002(Fri)
Perth (East Perth Terminal)
First Sitting? Or Second Sitting?
Pipe Line is Life Line
People from Worldwide
Kalgoorlie, WA

28/Dec/2002(Sat)
The Nullarbor Plain
Cook, SA
Jeremy & Vashti
PART 2

29/Dec/2002(Sun)
Adelaide, SA
Broken Hill, NSW
Last Night in Indian Pacific

30/Dec/2002(Mon)
Blue Mountains
Arriving at Central


My round trip of the continental Australia
is accomplished
by this transcontinental journey!
早くシドニーに行きたい!



Adelaide(SA)  Broome(WA)  Canberra(ACT)  Capricorn Coast(QLD)  Darwin(NT)  Gold Coast(QLD) 
 Perth & Suburbs(WA)  Port Macquarie & Wauchope(NSW)  
Sydney(NSW)
The Journey of Indian Pacific
What about Australia do you wanna know?


  


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