大阪市内から近鉄電車で富田林駅まで30分。駅から徒歩10分。
ひっそりとした佇まいを残すお寺や町家を巡りながら、お手軽な歴史散歩に出かけてみませんか? 皆様のお越しをお待ちしています。
【Tourist guide to Jinaimachi town, Tondabayashi, a histric district and heritage site of Japan, Jyounomonsuji Street】 | |
江戸時代の商家が軒を連ねる富田林市寺内町。その中心部を南北に結ぶ延長約400メートルの城之門筋は8月10日の「道の日」を記念した「日本の道百選」に選ばれました。(昭和61年、1986年) 城之門筋の名前の由来は、その通りに面する、寺内町の中心にある興正寺別院の山門が、豊臣秀吉が築城した京都・伏見城の門が移築されたと伝えられていることにちなみます。2012年に実施された学術調査により、安土桃山時代の城門遺構(伏見城の遺構である可能性が高い)であり、記録によると京都の興正寺本山から再移築されたものであることが確かめられています。 |
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城之門筋と富田林寺内町の町並み(富田林市提供、無断転載禁止) |
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興正寺別院山門と鼓楼 |
興正寺別院山門と鐘楼 |
興正寺別院と日本の道百選顕彰碑 |
日本の道百選顕彰碑 |
興正寺別院・鼓楼 |
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富山町 |
富山町から南方向(富田林御坊方面) |
富山町から南方向(興正寺別院方面)・正面は嶽山 |
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南会所町 |
南会所町 |
壱里山町から南側を望む |
御坊町(妙慶寺本堂) |
当て曲げの辻 | |
北会所町・当て曲げの辻 |
「当て曲げの辻」石標(右手は用心堀、暗渠) |
林町・当て曲げの道 |
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堺町(堺筋) | |
用心堀と岩永橋 城之門筋に沿って用心堀(暗渠)が通っており、架けられた岩橋の耳石に刻まれた文字「岩永橋 (がん恵はし)」は、岩瀬屋(奥谷家住宅)が永久に繁栄することを念じて刻まれたと言われている。城之門筋に沿って筋ごとに小石橋が架けられた。車両の通行などによる負荷や傷みから守る為に、用心堀に架けられていた現物の石橋は、現在、(旧)杉山家住宅内に保存されています。(現在の城之門筋に架かる石橋は、レプリカ(複製)です。) |
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富山町・用心掘(岩永橋) |
富山町・用心掘(がん恵はし) |
用心堀に架かる岩永橋(富山町) |
岩瀬屋(奥谷家住宅) |
北会所町・用心堀(古手屋橋) |
北会所町・用心堀(古手屋橋) |
背割り水路 | |
「背割り水路」の石標(路面) |
隣り合う屋敷地の境界線になる「背割り水路」 |
休日にスケッチをされるご訪問者(林町) |
休日にスケッチをされるご訪問者(堺町) |
休日にスケッチをされるご訪問者(林町) |
休日にスケッチをされるご訪問者(林町) |
ライトアップ | |
富山町 |
壱里山町 |
壱里山町 |
北会所町 |
(富田林市提供、禁無断転載)
重要伝統的建造物群保存地区
富田林市富田林町の一部にあたる寺内町は、1997年(平成9年)に国から重要伝統的建造物群保存地区に選定されました。大阪府下では唯一の指定となっています。
寺内町にある約500棟の建物の内、江戸時代から昭和初期頃までに建てられた181棟の建造物が伝統的建造物に特定されています。保存地区内において通常道路から見える建物等の外観の現状を変更(増改築、改修、模様替え、色彩の変更、新築、除却など)する時には、予め市教育委員会・文化財保護課に申請して許可を得る必要があります。伝統的民家(町家)は白壁、板塀、格子戸など往時の姿のままに外観の保存・復元・修景作業を終えて、今も人々が生活の場として暮らしながら、素朴で静かな佇まいを今に伝えています。
寺内町の主だった商家には由緒・由来を記した案内板が設けられ、石畳の街路には路面灯を兼ねた道標や案内標識なども整備されています。電信柱の配置や各戸の電気メーターなどもできる限り目立たないような工夫が施されています。
また、寺内町では伝統的な町並み景観に配慮して、新しく建築される建物も周囲の景観に調和した外観となっています。
当て曲げの辻
富田林・寺内町は、戦国時代の宗教自治都市であり、東西南北碁盤目状の町割を現在もそのまま残している。防衛上の理由で、当時の城下町にも見られたように、直交する2つの道路(南北が筋、東西が町)をわずかにずらし、侵入してきた外敵が遠方をまっすぐに見通せない構造になっています。
用心堀
河岸段丘の高台ゆえに水の便が悪く、町全体が火事の予防に細心の注意を払っていました。旅人に町内での火の用心を知らせる道標以外にも、北の壱里山町や富山町には用心堀と呼ばれる防火用水の設備があり、町衆が共存共栄の精神で町を守ってきたことをうかがい知ることができます。大火がなく、古い町並みが残ったのもひとつにはこんな気遣いがあったからかもしれません。
背割り水路
町家は「町」(東西方向の通り)に面して建ち、今も東西の道路の両側の家によって町会組織がある。敷地と敷地の背割り(境界)として城之門筋を起点にして、それぞれ東西方向に向けて排水路(下水道)が流れている。
寺内町燈路
毎年8月第4土曜日の夜には、約千基の行燈が寺内町の通りの両側に並べられ、一斉点火されます。この日は多くの来訪者が訪れ、地元の夏の風物詩として定着しています。富田林寺内町をまもりそだてる会共催。
富田林御坊を中心に門前四周に七筋八町の碁盤目状の町割を整備した。南北の通りを「筋」といい、東西の通りを「町」という。筋は東より西へ数えて、東筋、亀が坂筋、城之門筋、富筋、市場筋、西筋の六つを数え、今ひとつの筋は、他の筋よりやや狭く筋通りも規正のままに取り残され、筋の名も逸している。町は北から南へ数え、壱里山町、富山町、北会所町、南会所町、堺町、御坊町、西林町、東林町の八町名を数える。宝暦3年(1753年)から安永7年(1778年)の間に林町が東西二町になり、一町が加わり六筋八町となりました。 |
団体でお越しの場合には、地元のボランティア・ガイドによるご案内も可能です。(事前のお申込みが必要)
ガイドのお問い合わせや事前のお申込みは下記のじないまち交流館までお電話ください。
じないまち交流館
〒584-0033
大阪市富田林市富田林町9-29
TEL.0721-26-0110
FAX.0721-26-0110
(午前10時~午後5時、月曜休館)