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富田林寺内町の探訪

江戸時代の町並みが残る寺内町(じないまち)をご紹介します

大阪市内から近鉄電車で富田林駅まで30分。駅から徒歩10分。
ひっそりとした佇まいを残すお寺や町家を巡りながら、お手軽な歴史散歩に出かけてみませんか? 皆様のお越しをお待ちしています。

寺内町の建築様式

Tourist guide to Jinaimachi town, Tondabayashi, a historic district and heritage site of Japan, fine arts of architecture, Page 1/2
 伝統的建造物・町家建築 (民家建築)の造形

寺内町は町の外廓や町割などの遺構はかなりよく旧規を留めているが、建築遺構としては中世に遡るものは一棟も残されていない。江戸時代に入り宗教自治都市・寺内町の性格を失いながら、次第に在郷町として栄えていった富田林は、17世紀後半以降の遺構がほぼ年代を追って現存している。その発展の歴史を辿ることができると共に、見事な近世の町並みを留めている。

近世・富田林の町家の特徴は、多くのものが街路に正面に接している。住宅の形式は、土間に隣り合って居室を2列に横方向に広げる農家系の建物である。母屋は柱を塗り込めた低い二階(厨子)を持ち、表側のミセや居室の開口部を格子で囲む町家的構成である。屋根は土間や釜屋の上で落棟を重ね、多くは入母屋造りである。屋根瓦葺きは、圧倒的に桟瓦葺きが多い。相対的に言って、本瓦葺きは桟瓦葺きに先行するものであり、桟瓦の出現は江戸時代も後半になってからと言われている。このため、江戸時代の中期以降にも富田林にはなお茅葺の民家が多くあったものと推測される。実際に戦後にも富田林の町中には茅葺きの民家が2戸残っていた。そして、それら茅葺きの家が屋根を改造し、厨子二階風の町家に改造したのは江戸時代も末の頃と考えられる。

寺内町の建築遺構のうち、本瓦葺きの建築物は、興正寺別院本堂妙慶寺本堂重要文化財・旧杉山家住宅仲村家住宅田守家住宅杉田家住宅木口家住宅葛原家住宅佐藤家住宅越井家住宅などである。
(出典)富田林商工会議所 「富田林」(昭和49年9月)、富田林教育委員会 「富田林寺内町」(昭和50年)よりそれぞれ抜粋して収録。著者蔵書

家の石垣、土台に使う石は、古い家のものほど、丸みを帯びた花崗岩が使われている。これは、金剛山が花崗岩の山で、そこから流れ出る石川が運んできた転石を使ったからである。後世になるにしたがい、石川の流量が落ち、転石では間に合わなくなったので、わざわざ山から石を切り出してきた。山から切り出された石は丸みがなく角ばっているので、このことは、現在、富田林に見る古い家々の年代基準ともいえる。
(出典)「歴史の町並」(文 那谷敏郎 写真 橋本治朗 淡交社刊 昭和50年10月23日より抜粋・引用させて頂きました。富田林中央図書館蔵書)

富田林の町家は街路に面して、その外観は主屋(母屋)、塀、蔵の組み合わせで構成されています。建物の正面は、柱を塗り籠めた厨子二階(つしにかい)と、庇の下に荒格子を構えています。妻側の多くは、入母屋か八棟造り。妻壁や蔵の側面には水切りのために設けられた小庇が趣を添えています。その上に、しっとりと黒光りする瓦屋根。屋根は土間や釜屋の上で落棟を重ね、なかにはいくつもの妻壁をもった豪壮華麗な町家も見受けられます。全体に農家的技法を取り入れることで、町家の機能に造形美が加わりました。

町家の間取り
代表的な町家の様式は、下図の示したように六間取り、または裏手、下店を欠いた四間取りが基本です。店の間の表は出格子で、全面は犬矢来で覆われている場合もあります。下店部分はべかこと呼ばれる荒格子になっています。(出典 「じないまち探求誌」より一部抜粋) 
 
 
本瓦葺き・煙出し櫓(越屋根)(奥谷家住宅

桟瓦葺き・虫籠窓(東奥谷家住宅
 
厨子二階・虫籠窓(佐藤家住宅

木瓜窓(上野家住宅
 
漆喰塗り装飾持ち送り(東奥谷家住宅
 
袖うだつ(南奥谷家住宅
 
鬼瓦(佐藤家住宅
 
魔除け瓦人形(鐘馗さん)(杉田家住宅

鐘馗さん(魔除けの瓦人形)(渋谷家住宅) 
 
渋谷家住宅の鐘馗さんと向き合う小田家住宅の鬼瓦
 
雨蓋瓦(興正寺別院山門)
 
小庇と文様(西野家住宅)
 
雨蓋瓦(興正寺別院山門) 

雨蓋瓦(興正寺別院山門) 
寺内町の成立と歴史  歴史逸話
寺内町の成立と歴史 宗教自治都市
寺内町の成立と歴史 在郷町としての発展

寺内町の成立と歴史 繁栄と衰退
寺内町の成立と歴史 繁栄と衰退(昭和40・50年代の頃)
吉田松陰 仲村家に滞在 - 嘉永六年二月・三月
桜田門外の変と富田林の木綿問屋
大久保利通が杉山邸に来たこと
郡役所新築に対する葛原氏の意見書 明治十八年
富田林開発記念碑 興正寺別院
木沢与平氏の「年代記」
富田林駅前の「楠氏遺跡里程標」
浄谷寺の釣鐘
歴史的建造物(一覧)・建築様式 
歴史的建造物一覧(寺院・町家)
歴史的建造物一覧(寺院・町家)(続き)
歴史的建造物一覧表(寺院・町家)
寺内町の建築様式
寺内町の建築様式(続き)
寺内町の町割(都市計画)・交通 歴史的町並み景観の保存・地域コミュニティー活性化
寺内町の町割(都市計画
東高野街道と石川の舟運
寺内町の入口(街道口)
歴史的町並み景観の保存
歴史的町並み景観の保存(続き)
寺内町の景観(保存・美化・調和)
富田林寺内町をまもりそだてる会
地域活性化への取り組み
 「カラー 歴史の町並」(文・那谷敏郎 写真・橋本治朗、淡交社刊、1975年初版)
既に絶版になっている書籍ですが、富田林市中央図書館の蔵書の中から見つけた1冊です。全国各地の歴史的町並みを著者が訪ねて書かれた紀行文で、富田林にも足を運んでおられます。富田林寺内町の歴史について、エッセー風にわかりやすい文章で記されており、小生のお気に入りです。出版社である淡交社編集部の事前許諾を頂戴しましたので、抜粋・引用の上、紹介させて頂きました。 (2012年9月10日、管理人)

Information


富田林寺内町城之門筋
(富田林市提供、禁無断転載)

重要文化財・(旧)杉山家住宅

杉山家は富田林寺内町の創設にかかわった旧家の一つであり、江戸時代は造り酒屋として栄えました。現存する家屋は寺内町で最も古く、江戸時代中期の大規模商家の遺構です。明治時代の明星派女流歌人・石上露子(本名 杉山タカ)の生家でもあります。昭和58年(1983年)国の重要文化財に指定され、富田林市が維持・管理しています。


(用語解説)
解説文は「古建築辞典」(武井豊治著、理工学社)より引用しています。

本瓦葺き
桟瓦の出現以前の瓦葺きの材料・工法、すなわち平瓦と丸瓦を交互に並べる瓦葺きのこと。

桟瓦葺き
桟瓦で葺いた屋根のこと。

煙出し櫓(越屋根)
台所庭に置かれた竈の煙を屋外に出すためのもので、屋根の棟の部分に開口部を設けて、その上に小屋根(越屋根)が作られている。

厨子二階
(ずしにかい、つしにかい)
塗り屋造りの瓦葺き農家の、天井の低い二階のこと。関西地方に見られる。

虫籠窓(むしこまど)
塗り屋造りで塗り格子を付けた二階の窓をいう。厨子二階の通気孔から発生したと考えられている。町家でも多く用い、文様や商標を形どったものがある。

木瓜窓(もっこうまど)
木爪形(木爪を輪切りにした紋様)の輪郭の窓。(五大家紋の意匠のひとつに由来すると言われる。)

持ち送り
庇(ひさし)や出窓などのように突出する部分を支えるために、壁や柱などに取り付ける板材や斜め材をいう。

袖うだつ (袖壁)
建物から外部へ突き出した壁。民家の二階軒下の両方の妻に突き出した壁は防火の役目をもった。

魔除け瓦人形(鐘馗さん)
鐘馗(しょうき)さんは、唐の玄宗にとりついていた疫鬼を退散させたという中国の故事にちなむ魔除けの神。京都でもよく見かけますが、町家の庇屋根の上に載っている瓦人形の鐘馗さんは、通りを挟んでちょうど向かい側の家の鬼瓦に対面する位置に置かれています。富田林・寺内町にある城之門筋を挟んで、それぞれ向かい合う杉田家住宅田守家住宅。渋谷家住宅と小田家住宅。いずれも魔除けの鐘馗(しょうき)さんが、それぞれ相手側の鬼瓦に向かって置かれています。


雨蓋瓦(あまぶたかわら)
隅棟の下方にあって、瓦の接合部を覆う飾り瓦。動物などの飾りをつけたものが多い。留め蓋瓦(とめぶたがわら)ともいう。

 寺内町の建築様式
 屋根・屋根瓦
 虫籠窓
 格子窓
 土蔵
 煙だしの越屋根
 鐘馗さん(魔除けの瓦人形)
 袖うだつ

ボランティア・ガイド

団体でお越しの場合には、地元のボランティア・ガイドによるご案内も可能です。(事前のお申込みが必要)

ガイドのお問い合わせや事前のお申込みは下記のじないまち交流館までお電話ください。


じないまち交流館
〒584-0033
大阪市富田林市富田林町9-29
TEL.0721-26-0110
FAX.0721-26-0110
(午前10時~午後5時、月曜休館、12月28日~1月4日休館)

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