大阪市内から近鉄電車で富田林駅まで30分。駅から徒歩10分。
ひっそりとした佇まいを残すお寺や町家を巡りながら、お手軽な歴史散歩に出かけてみませんか? 皆様のお越しをお待ちしています。
戦国時代の宗教自治・自衛都市として成立・発展した富田林は、石川河岸段丘上に位置し、「富田が芝」と呼ばれた荒地を開墾し南北碁盤目状の計画道路を通した町割を整備しました。戦乱から町を守るために、周囲には土塁(土居・石垣、高さ10メートル)、竹林や環濠をめぐらせています。 また、外から中に通じる入り口は12か所設けられ(壱里山口、念西口、飴屋口、三昧口、浄谷寺口、西口、向田坂、山家坂、亀が坂、山中田坂など)、このうち壱里山口、山中田坂、向田坂、西口の4か所には木戸口(木戸門)を設け、朝夕に開閉したとの記録が残っています。焼き払いや夜盗が横行した時代背景があり、帯刀武士の通行も許可されませんでした。入り口に当たる各所には、道案内の道標や旅人・住人の健康と安全を祈願したお地蔵さんが立っています。 今でも寺内町の南側(石川沿いの段丘傾斜地)には当時の土塁跡や竹林、坂道がいくつも残っており、宗教自治・自衛都市であった名残が偲ばれます。 |
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安永7年 (1778年)の村絵図 |
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寺内町全景(富田林市提供、無断転写禁止) |
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近世に大和川支流・石川(写真上部)の河岸段丘に開墾されて発展を遂げた富田林・寺内町(写真中央部)。石川の舟運や良水を利用した酒造業発達は、寺内町の経済的発展に大きく貢献しました。左手に延びる道路は、国道309号線と金剛大橋。右手上には府立富田林高校と市立富田林小学校(手前)のグランド。 | |||||||||||
北口地蔵尊(旧富田林街道と旧巡礼街道の分岐点) |
北口地蔵尊脇の道標(旧富田林街道と旧巡礼街道の分岐点) 「左 ふじい寺(紫雲山葛井寺)」 「右 まきのお寺(槇尾山施福寺)」 |
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北口地蔵尊と道標 北口地蔵尊が祀られている場所は西国三十三ヶ所観音霊場巡礼街道・旧富田林村 (寺内町)の北入り口の角に当たり、古くから多くの人々の信仰を集め親しまれてきました。元は道の南側に祀られていましたが、車馬の通行が増えるにつれ、現在の位置に移されました。東北隅にある道標に「左 ふじい寺 右 まきのお寺 」と書かれているのは、元々道の南側にあったものをそのままこちらに移し変えられたため、実際の方向とは向きが逆になっている訳です。 地蔵尊の右側には、「安永七年戊戌(つちのえいぬ)天四月二日, 俗名巳ノ喜兵衛」と刻まれており、1778年4月に巳ノ喜兵衛という人によって造られたことがわかります。(富田林市教育委員会) |
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本町筋の地蔵尊(旧富田林街道沿い) |
念西口道標(北側の入口) |
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寺内町の北縁 (環濠跡に沿ってくねった道路になっています) |
寺内町の北縁(環濠跡・念西口) |
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浄谷寺口(西側の入口、坂道になっている) |
西口地蔵 |
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享保15年(1730年)11月、寺内町は壱里山町、富山町の全域と、北会所町の西方が全焼する大火に見舞われています。享保15年の大火の際に火が止まったところに地蔵が埋まっており、それを祀ったのが西口地蔵であるという言い伝えがあります。 (富田林市教育委員会文化財課主催で、2016年4月19日から5月8日の期間中、観光交流施設きらめきファクトリ-2階を会場に開催された写真パネル展示企画展「とんだばやしを通る街道と・・・」から説明の一部を抜粋して掲載しています。2016年5月15日 管理人) |
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山中田坂(富栄戎神社へ通じる東南の入口) |
山中田坂(富栄戎神社へ通じる東南の入口) |
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富田林郡役所跡の石垣(西側の入口) |
山家坂(南側の入り口のひとつで石川に下る坂) |
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向田坂(旧東高野街道からの西南側の入口) |
向田坂(旧東高野街道からの西南側の入口) |
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向田坂から石川に連なる一帯の竹林(土塁跡) |
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寺内町の成立と歴史 | 歴史逸話 | ||||||||||
寺内町の成立と歴史 宗教自治都市 寺内町の成立と歴史 在郷町としての発展 寺内町の成立と歴史 繁栄と衰退 寺内町の成立と歴史 繁栄と衰退(昭和40・50年代の頃) |
吉田松陰 仲村家に滞在 - 嘉永六年二月・三月 桜田門外の変と富田林の木綿問屋 大久保利通が杉山邸に来たこと 郡役所新築に対する葛原氏の意見書 明治十八年 富田林開発記念碑 興正寺別院 木沢与平氏の「年代記」 富田林駅前の「楠氏遺跡里程標」 浄谷寺の釣鐘 |
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歴史的建造物(一覧)・建築様式 | |||||||||||
歴史的建造物一覧(寺院・町家) 歴史的建造物一覧(寺院・町家)(続き) 歴史的建造物一覧表(寺院・町家) |
寺内町の建築様式 寺内町の建築様式(続き) |
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寺内町の町割(都市計画)・交通 | 歴史的町並み景観の保存・地域コミュニティー活性化 | ||||||||||
寺内町の町割(都市計画) 東高野街道と石川の舟運 寺内町の入口(街道口) |
歴史的町並み景観の保存 歴史的町並み景観の保存(続き) 富田林寺内町をまもりそだてる会 地域活性化への取り組み |
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「カラー 歴史の町並」(文・那谷敏郎 写真・橋本治朗、淡交社刊、1975年初版) | |||||||||||
既に絶版になっている書籍ですが、富田林市中央図書館の蔵書の中から見つけた1冊です。全国各地の歴史的町並みを著者が訪ねて書かれた紀行文で、富田林にも足を運んでおられます。富田林寺内町の歴史について、エッセー風にわかりやすい文章で記されており、小生のお気に入りです。出版社である淡交社編集部の事前許諾を頂戴しましたので、抜粋・引用の上、紹介させて頂きました。 (2012年9月10日、管理人) |
(富田林市提供、禁無断転載)
富田林寺内町への道順
寺内町へは近鉄長野線富田林駅又は富田林西口駅下車徒歩10分です。先ずはじないまち交流館へお立ち寄りください。
散策地図がもらえます
富田林駅前の観光案内所又はじないまち交流館で散策地図がもらえます。
立ち寄ってみたいお店
休憩所(トイレ)
じないまち交流館、寺内町センター、じないまち展望広場にあります。
車でお越しの方へ
寺内町は道幅が狭く、中には公共駐車場がありません。車でお越しの場合には、2014年2月に新しくオープンした富田林市営東駐車場(有料)をご利用ください。一般用の普通乗用車及び団体用のマイクロバス(1台分、市役所に要事前予約)を駐車できます。重要文化財・旧杉山家住宅まで徒歩5分、じないまち交流館まで徒歩15分。
尚、団体用の大型観光バスでお越しの際は、富田林市役所にお問い合わせください。宜しくご協力お願いします。
重要文化財・興正寺別院
真宗興正寺派に属し、富田林・寺内町の成立と発展の中心となった寺院です。地元の人からは御坊さん(富田林御坊)として親しまれています。応永年間(1394-1412年)に毛人谷(えびたに)御坊に草創。
永禄3年(1560年)に京都・興正寺第16世証秀上人が現在地に移建。
重要文化財・(旧)杉山家住宅
杉山家は富田林寺内町の創設にかかわった旧家の一つであり、江戸時代は造り酒屋として栄えました。現存する家屋は寺内町で最も古く、江戸時代中期の大規模商家の遺構です。明治時代の明星派女流歌人・石上露子(本名 杉山タカ)の生家でもあります。昭和58年(1983年)国の重要文化財に指定され、富田林市が維持・管理しています。
(南)葛原家住宅・三階蔵
酒造業で栄えた商家。三階蔵は日本に少ない貴重なもので、寺内町のランドマーク的存在。各層に庇を廻し本瓦葺き。妻を表に向けて白壁を際立たせている。年貢米を入れる蔵であった。1854年建築
団体でお越しの場合には、地元のボランティア・ガイドによるご案内も可能です。(事前のお申込みが必要)
ガイドのお問い合わせや事前のお申込みは下記のじないまち交流館までお電話ください。
じないまち交流館
〒584-0033
大阪市富田林市富田林町9-29
TEL.0721-26-0110
FAX.0721-26-0110
(午前10時~午後5時、月曜休館)