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  団体巡礼と野宿遍路

四国を廻るスタイルにはいろいろなパターンがある。
団体バス、自家用車、公共交通機関を使う、自転車、それに歩き。歩き遍路でも全くの歩きで通す場合と厳しいところだけタクシーやバスを使うという人もいるし、全くの歩きでも私のように民宿や旅館に泊まる人と野宿しながら歩くという人もいる。

団体バスの場合88ヶ所と高野山まで行って11日から12日というのが平均的な日程である。従って一日8から9ヶ寺を廻ることになる。一つの寺を参拝するのに必要な時間は20分前後。お寺にいる時間だけで一日3時間くらいにはなる。あとはバスに乗って移動。時々宿で団体さんと一緒になることがある。見ていると朝の出発は結構早い。だいたい7時には出るようである。納経所が始まるのが7時からだからそれに合わせているのだろうが、数多くの寺を廻るためバスだからといってそれ程時間の余裕があるわけでもなさそうだ。
夕方4時頃歩いていると、団体バスが横を追い越して行くのを目にする。その時間帯だとこっちは宿を目指して歩いていることが多いがバスの場合にはもう一カ所くらいは十分回れるので次の寺に行くのだろうなと後ろ姿を見やることになる。
室戸岬や足摺岬に行くにはこちらは3日がかりになるが向こうは2時間もあれば着いてしまう。そんなときはつくづく楽でいいなとうらやましくなる。

それでも団体には団体の辛さもあるように思えた。一つは宿である。団体だと当然相部屋になる。それが気にならない人ならどうってことはないが気の進まない人にはイヤだろうなと思う。その点シーズンオフの歩き遍路の場合、相部屋はほとんどなかった。泊まり客がたった一人ということもまれではない。ただし、宿舎の情報に乏しいので、エイヤで宿を頼むと外れ宿に当たることもある。

二つ目は団体行動で時間は決められているから、もう少しここでゆっくりしたいと思ってもそれは出来ない相談ということになる。まだ自家用車なら自由度は大きい。自家用車の人もかなり見受けた。

それでも総合的に見て団体バスに乗れば楽だろうとは思うが、次に四国参りをする機会があったらバスで廻るかと聞かれたらNOという返事になる。これははっきりしている。
歩くのは正直つらい。つらいけれども歩かないと得られないものがある。その最たるものがお接待だと思う。お接待は歩いていればこそいただける最高のプレゼント。お接待のない遍路旅は薬味のない料理みたいなものだ。一度その味を知ると薬味のない旅はしたくない気がする。
歩いていると土地の人とふれあう機会が多い。車から顔を出して「どこまで行くの」と声をかけてくれたり、聞きもしないのに「次のお寺さんはこう行きなさい」とわざわざ言ってくれたり。
道に迷うこともしばしばあったがそんなときにこそ土地の人と親密なふれあいが出来る。店で道を尋ねたら車で送ってやると言われたことが一度ならずあった。「歩いていますから」とお断りしてしばらく歩いていると、後ろから車で追いかけてきて「心配だから見に来たよ」なんてこともあった。またある時はバイクに乗っているおばさんに道を聞いたら、わざわざバイクから下りて一緒にお寺まで話をしながら歩いてくれたこともあった。
ともかく、歩いていると無心になれるところがある。そんなことを経験するととてもバスで廻ろうという気にはならない。

歩き遍路が団体を見てあの人達はと、ある種の感慨を持って眺めているのと同じことが、野宿遍路に当てはまる気がした。
ある時、道が分からなくなりスーパーで店員さんに道を聞いていたら、そこに野宿の人が通りがかり「道も知らないのか、そこまで連れてってやる」といわれたので後ろからついていった。途中警察署があってそこで「道が分からなければパトカーに乗せてもらえばいいじゃないか」などと雑言を吐かれた。むかっとしたがすぐそこまで案内してもらうのだからと我慢した。
ここまで言う人は少ないだろうが彼ら野宿をしている人から見ると、毎日ぬくぬくと布団で寝られる奴らは遍路の風上に置けぬ位の気持ちがあるのかななんて思ったりしたものだ。

いろんな廻り方がありそれぞれに長短がある。お年寄りの場合には歩きたくても歩けないというケースも多いだろう。そんな人にはやっぱりバスがベターな選択になろう。要はその人のいいと思う方法でやればいいのだ。

分け入っても分け入っても   重い荷物を背負って   雨に濡れても   いい顔とは
接待する人   鈴の音  内子町寄り道  宇和町寄り道   団体巡礼と野宿遍路   ポケットティッシュの接待