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  いい顔とは

遍路をしているとしだい次第にいい顔になるらしい。

結願も間近というあるお寺で「このあたりまで来ると皆さんいい顔になるんです」と話をされたご婦人がいた。その場は「そんなもんかな、お世辞で言ってくれているのだろう」と他人事と思いながら聞いていた。その寺で撮った写真を帰宅してからまじまじと見ると、我ながら確かにいい顔かもしれないと思うような具合に撮れていた。

いい顔というのはどういう顔かというとこれがなかなか言葉で言うのはむずかしい。
ただ温和なというだけではない。邪気がないとでも言うのだろうか、謀りごとをしていない、余計なものが落ちてしまった後の顔とでも言えばいいのだろうか。
毎日毎日疲れ果てるくらい歩くと、歩くこと以外は考えなくなるし、精も根も尽き果てると何も考えられなくなる。下手な考え休むに似たりというが、人知の及ぶ下手な考えを起こさなくなる。そうしたある種つき抜けた状態になるといい顔ってやつに到達するのかもしれない。

遍路をしていた時、行き交う人にはできるだけ挨拶するよう心がけた。それは四国の道を歩かせていただくのだから、四国の人に挨拶するのは当然のことと思ったからなのだが。会釈だけのときもあるし、声に出して「おはようございます」とか「こんにちは」とか言うこともある。バイクに乗っている人に向かって挨拶したこともあったし、あるいは道路際の畑で仕事をしている人に対してそうすることもあった。
挨拶を返えしてくれる人もいれば、そ知らぬ顔で通り過ぎる人もいる。中にはこちらより先に挨拶してくれる人もいる。そんなことを何日もやっているうちに、向こうからやってくる人の顔を見ているとこの人は挨拶を返してくれる人かどうかかなり見当がつくようになってきた。この作業はなかなかおもしろい。挨拶してくれそうな人だと予測して、その通りになるとうれしいものだ。一見してダメだという人がいる。いわゆるケンのある顔ってやつ。このての顔はまず挨拶を返してもらえない。
実は歩いていると退屈になるのでこんなことを考えていたのである。

この癖が遍路を終えてもとれていない。街を歩きながら、この人はどっちに入るだろうかということをほとんど無意識に判断している。残念ながら街中で見ず知らずの人に挨拶することはないから、判断が当たっているかどうか確かめるすべがない。
それでもいい顔の人を見つけるとほっとする。
そんなことを考えながら街を歩いていて気がつくのは、やっぱり子供っていい顔をしているということだ。

遍路を終えた日から時間が経つほどに元の顔に戻るんだろうなと思いながら、毎朝鏡を見ながら髭を剃っている。


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