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  ポケットティッシュのお接待

予備知識として接待なるものがあることは知っていたが、そんなに身近にあるとは考えもしていなかった。
それが歩き始めた初日に接待をいただいてびっくり仰天した。

それは3番金泉寺を出た時のことだった。雨の中で次の大日寺への道を確認しているときに、突然後ろから「これをどうぞ」と声をかけられた。振り返ると女の人が缶入りのお茶を持って雨の中を駆けてきた。お接待は断っていはいけないと聞いていたので、慌ててただ「ありがとうございます」とお礼を言っただけだった。その人はまた雨の中を駆け戻ったが、団体バスの方向らしかった。こちらは初めてのお接待にすっかり気が動転しろくにその人の行く方も確認しないまま歩き出してしまった。それが初めていただいたお接待だった。

お金をいただいたときも同じような驚きがあった。100円という金額はわずかなものだったが、一見して頂くのが気の毒になるようなそんな雰囲気をした身なりのおばあさんからのものだった。年金の中からなけなしのお金を出してくれたのかと想像せざるを得ないような。その100円重みは何物にも変えがたかった。道中で使ってほしいと渡してくれたお金だったかもしれないがとてもとても使う気にはなれない。それ以降もいただいたお金は使わずにとってある。この旅の宝もの。

お接待を頂き、えもいわれず感動したことが数回ある。
一度は松山の近く48番西林寺を打った後、近くに杖の渕という名水が出るという所に立ち寄ったときのこと。
ここ杖の渕は弘法大師が杖をついて水を出したといういわれのある場所。
せっかくの名水だから一口飲んでペットボトルに入れさせてもらえばと思っていた。ところがその日はあいにく日曜日ということもあったのだろうか、大きなポリタンクを4つ5つ抱えた人が行列している。最後尾についたがなかなか前に進まない。並んでいる人が「歩きの遍路さんなんらお願いすれば先に水を汲ませてもらえるよ」と親切に言ってくれたが、先を急ぐ旅でもないし、歩きだからと言うことに甘えるのも心よしと思わなかったのでそのまま列に並んでいた。水くみ場のすぐ隣にうどん屋さんがあった。たまたまそのうどん屋さんの店の方が通りかかり「店の中に同じ水があるから、ペットボトル1本なら分けてあげる」と店の中に招き入れてくれた。水をペットボトルに入れてくれた上、冷めたい水をコップに入れて出してくれた。その日は暑い日だったので思わずごくごく飲んだ。そうしたらもう一杯水を出してくれた。本当にあり難かった。
ちょうど昼時だったのでそこでうどんを食べて終わって出ようとしたら、別の店員さんが「お急ぎですか」と聞く。「別に先を急いではいませんが」と答えると、いま「コーヒーのお接待を用意していますからそれを飲んでいってください」というではないか。
そこでコーヒーをありがたく頂いてお礼を言い、納め札を渡して店を辞した。
再び歩き始めたら、なぜか分からないが無性に感動してしまった。見ず知らずの人にここまでしてくれるお接待と言うのはいったいなんだろうと。

杖の渕

写真左手に弘法大師の立像が見える。
右側の建物の一階にうどん屋さんがあり、建物の左、この写真のほぼ中央に名水の出る場所があった。この写真では見にくいが水を汲みに来た人影がちらちらと見えている。
この辺り一帯は公園になっておりこの日は日曜だったので家族連れを多く見かけた。


こんなこともあった。
観音寺に泊った時のこと。数日前から鼻がぐすぐすし手持ちのテッシュを使い果たしてしまった。朝、近くのコンビにでも寄ってテッシュを買わなくてはと思いながら宿を出た。歩き出して5分と経たないころ、一人のおばあさんとすれ違った。一呼吸間があってそのおばあさんが「こんなものですまないけれど」と言って差し出されたのはなんと1個のポケットテッシュ。あまりのタイミングに絶句してしまった。お大師さんの配慮に相違ないと思いつつ押し頂いた。
都会ではポケットテッシュの数個は道を歩いていればすぐ手に入るご時世。しかしこれほどに強い感動をもって頂いたテッシュはいまだかつてない。全く・・・・である。

接待に関してはここには書ききれないほど多くの思い出がある。 接待にはいろいろな思いが込められていると聞く。
接待をしてくれる人は日常の生活者。一方それを頂く自分は遍路という非日常の世界を旅している者。日常と非日常を結ぶ媒介が弘法大師と単純に考えていいものかどうか判然としない。
接待があったからこそ遍路旅がいっそう中身の濃いものになったことも紛れもない事実だ。
接待してくださったあの方々は、自分がただ遍路姿をして歩いているというそのことだけでそうした行為をしてくれた。立場を変えて考えたとき、自分ははたして見ず知らずのお遍路さんに接待するだろうか。その気になるだろうか。

重い課題を負わされた気がしている。四国から帰った今でもそのことは時々考える。おまえは人に優しくしているかと。

分け入っても分け入っても   重い荷物を背負って   雨に濡れても   いい顔とは
接待する人   鈴の音  内子町寄り道  宇和町寄り道   団体巡礼と野宿遍路   ポケットティッシュの接待