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  通し打ち

当初区切り打ちにするつもりだった。遍路旅がいかなるものか良く分からないし、体力的にも自信がもてない。2週間もしくは高知あたりまで行っていったん打ち止めのつもりでスタートした。それがいつの間にか通し打ちになってしまった。理由はいくつかある。

宿の寿食堂のオヤジさんに言われたように、徳島県を出るころには通し打ちができるくらいに歩けるものだというのは確かに信憑性があった。宿に着いたときや朝出発するときは足がかなりつらい状態にある。しかしその辛さも歩き始めると次第に薄らいでいく。こんな毎日の繰り返しで、辛い状態ではあっても不思議なことに歩くのを止めようとは思わない。
そうこうして高知にたどり着いても止める理由がない。足が全くいうことをきかなければ止めていただろう。仕事かなんかで先のスケジュールがあれば止めていただろう。緊急の用が発生したら止めていただろう。遍路旅がつまらないものだったら止めていただろう。
しかしそうした止める理由が全く発生しなかった。

もうひとつの要因は、旅のスタートから先になったり後になったりする遍路仲間ができたせいでもある。一人旅ではあるが全くの一人というのはどこか心もとない。一緒に歩かなくとも誰かが近くにいることでずいぶん精神的に支えられたところがある。
一人旅とは言うものの実は一人ではなかった。遍路仲間やその他大勢の人に支えられての旅であった。もちろんお大師さんも含めてだけれど

それでも高知に着いたときは最低の目標を達成できたという気の緩みが出た。
あの時は桂浜の国民宿舎に泊ったのだが、酒を飲みすぎた。ビールに日本酒、それに缶チュウハイ。さすがに翌日は二日酔いでいささか頭が痛かった。
それからの一週間ほど、足摺岬を越えて宇和島の手前までは精神的な満足感のない、なんとなくの旅であった。このまま通し打ちにすべきかどうか、どこまで行くのか迷っていた。
とりあえず宇和島まで行ってみようと仮の目標を立てては見たものの、目標を達成しようという元気はあまり出なかった。
そんな状態から救われたのは、昼食で立ち寄った「みやこ」(43番 明石寺の手前にあるレストランと民宿)のご主人との話だった。遍路旅といって肩肘張らず時間に余裕があったら観光するくらいの気持ちで歩いたらいいんですと、かのご主人は話された。全く目からウロコとはあのことだった。確かに遍路だから観光してはいけないというものではない。せっかく四国まで来たのだから風物を見て回るのも意味があるはずと。それからは時間の余裕を作り観光見物も適度に織り込みながら歩いた。これは気分転換に最適で、それ以降リラックスして歩けるようになった

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