大阪市内から近鉄電車で富田林駅まで30分。駅から徒歩10分。
ひっそりとした佇まいを残すお寺や町家を巡りながら、お手軽な歴史散歩に出かけてみませんか? 皆様のお越しをお待ちしています。
江戸時代、富田林市域を通る街道として、南北に通る東高野街道や巡礼街道、東西に通る富田林街道や廿山(つづやま)街道などがありました。市域を縦断する街道に、東高野街道と巡礼街道があります。 東高野街道は高野山参詣のための街道のひとつで、石清水八幡から生駒山西麓を南下し、石川を渡り、藤井寺、羽曳野、富田林市域を通り、河内長野市域で西高野街道と合流し、紀見峠を越えて高野山に向かいます。 巡礼街道は、西国巡礼三十三所観音霊場を巡る巡礼の道です。第4番札所槙尾山施福寺を出て、河内長野市域で東高野街道と合流し、錦郡・新家・甲田を通って富田林寺内町に入った巡礼街道は、寺内町の北端で東高野街道と分かれ、水路沿いに北へ進み、宮と平の集落を抜けて羽曳野市域に入り、羽曳野丘陵沿いに第5番札所葛井寺へ向かいます。 街道は、同じ道筋でも場所によって名称が違ったり、同じ名称であっても時代によって道筋が違ったりします。また、時代の変化とともに、開発などによって新しい道筋が作られた結果、当時の道筋が分からなくなっていたり、道筋が残っていて普段から通っていても、それが昔からの街道であることを知らなかったりします。街道沿いに残された道標や古い絵図を見ると、昔の名称や道筋が見えてきます。 (富田林市教育委員会文化財課主催で、2016年4月19日から5月8日の期間中、観光交流施設きらめきファクトリ-2階を会場に開催された写真パネル展示企画展「とんだばやしを通る街道と・・・」から説明の一部を抜粋して掲載しています。2016年5月15日 管理人) |
|||||||||||
河内名所図会(石川と富田林村、1801年) |
富田林は古くから交通の要衝で、東高野街道 (高野参詣道のひとつで、京都と高野山を結ぶ。京街道とも呼ばれます。)と富田林街道 (堺と富田林、さらに大和国境・水越峠を結ぶ)が交差する交通の要所でした。商人等の往来が栄え、また、大和川・石川の水運 (舟運、剣先船)を利用した往来も盛んでした。 | ||||||||||
東高野街道 高野参詣道として平安時代から開かれた古道(官道)で、京都と高野山を結ぶ。中世に入っての高野詣の盛行には、高野聖(こうやひじり)の活躍(勧進と納骨推進)が大きく影響したものと思われ、それによって庶民へと拡大していったと考えられている。 経路としては洞ヶ峠(京都府八幡市と大阪府枚方市の境)から南下して、星田(交野市)、中野(四条畷市)、中垣内(大東市)、宝蔵新家(東大阪市)、瓢箪山(東大阪市)、恩智(八尾市)、安堂(柏原市)、古市(羽曳野市)、富田林・寺内町(富田林市)、錦織(富田林市)、長野(河内長野市)、三日市(河内長野市)、紀見峠(大阪府河内長野市と和歌山県橋本市の境)、学文路(橋本市)を経て、不動口に通じる。 富田林へは古市(羽曳野市)で竹内街道(たけのうちかいどう)と交差し、喜志、新堂を経て富田林に達し、旧寺内町に入り(壱里山口)亀ヶ坂筋を南へ行き、堺筋を西行、興正寺別院北側を通って南北の富筋を南へ突き当たる。その突き当たりの辻の東北角に「町中くわえきせるひなわ火無用」と彫られた珍しい道標が建っている。 宝暦元年(1751年)建設で「左 ふじい寺」、「右 まきのを・高野山」を指している。東高野街道はさらにこの先、富田林高校正門前を経て、石川沿いに南下し錦織へと通じる。 (引用:「大阪の街道」神野清秀著、松籟社刊) |
|||||||||||
「町中くわえきせる、ひなわ火無用」(西林町) |
この道標は、京都から高野山に通じる東高野街道の道しるべとして建てられたもので、刻字から宝暦元年(1751年)11月の建立であることがわかります。室町時代の末期、石川の河岸段丘上に建設された富田林寺内町は江戸時代を通じ、南河内随一の商業都市として発展し、東高野街道を通って多くの旅人が往き来しました。 「くわへきせる」や「ひなわ火」は、当時の旅人が携帯した必需品のひとつで、江戸時代の風俗を良くあらわしています。 道標に刻まれた銘文は、町中での火の用心を呼びかけたものです。 寺内町には藁葺きの民家が密集し、高台ゆえに水の便が悪く、町全体が火事の予防に細心の注意を払っていました。この道標以外にも、北の壱里山町や富山町には用心堀と呼ばれる防火用水の設備があり、町衆が共存共栄の精神で町を守ってきたことをうかがい知ることができます。大火がなく、古い町並みが残ったのもひとつにはこんな気遣いがあったからかもしれません。(富田林市教育委員会) |
||||||||||
戦国時代の商業ニュータウン(宗教自治・自衛都市)として成立・発展した富田林は、石川河岸段丘上に位置し、「富田芝」と呼ばれた荒地を開墾し南北碁盤目状に六筋七町の計画道路と町割を整備しました。河内名所図会にもその様子が描かれています。 戦乱から町を守るために、周囲には土塁(石垣)、竹林や環濠をめぐらせていました。また、外から中に通じる入口には木戸口を設け、朝夕に開閉したとの記録が残っています。焼き払いや夜盗が横行した時代背景があり、帯刀武士の通行も許可されませんでした。入り口に当たる各所には、道案内の道標や旅人・住人の健康と安全を祈願したお地蔵さんが立っています。今でも寺内町の南側(石川沿いの段丘傾斜地)には当時の土塁跡や竹林、坂道がいくつも残っており、宗教自治・自衛都市であった名残が偲ばれます。 |
|||||||||||
富田林村の古絵図 (宝暦3年、1753年) |
寺内町全景写真(富田林市提供, 無断転載禁止) |
||||||||||
竹薮(石川河川敷から向田坂付近) |
富田林村の古絵図 (安永7年、1778年) |
||||||||||
旧富田林街道沿いの地蔵尊 (本町地蔵尊) |
山家坂(やまかさか、寺内町南側の口のひとつ) |
||||||||||
|
|||||||||||
寺内町の成立と歴史 | 歴史逸話 | ||||||||||
寺内町の成立と歴史 宗教自治都市 寺内町の成立と歴史 在郷町としての発展 寺内町の成立と歴史 繁栄と衰退 寺内町の成立と歴史 繁栄と衰退(昭和40・50年代の頃) |
吉田松陰 仲村家に滞在 - 嘉永六年二月・三月 桜田門外の変と富田林の木綿問屋 大久保利通が杉山邸に来たこと 郡役所新築に対する葛原氏の意見書 明治十八年 富田林開発記念碑 興正寺別院 木沢与平氏の「年代記」 富田林駅前の「楠氏遺跡里程標」 浄谷寺の釣鐘 |
||||||||||
歴史的建造物(一覧)・建築様式 | |||||||||||
歴史的建造物一覧(寺院・町家) 歴史的建造物一覧(寺院・町家)(続き) 歴史的建造物一覧表(寺院・町家) |
寺内町の建築様式 寺内町の建築様式(続き) |
||||||||||
寺内町の町割(都市計画)・交通 | 歴史的町並み景観の保存・地域コミュニティー活性化 | ||||||||||
寺内町の町割(都市計画) 東高野街道と石川の舟運 寺内町の入口(街道口) |
歴史的町並み景観の保存 歴史的町並み景観の保存(続き) 寺内町の景観(保存・美化・調和) 富田林寺内町をまもりそだてる会 地域活性化への取り組み |
||||||||||
「カラー 歴史の町並」(文・那谷敏郎 写真・橋本治朗、淡交社刊、1975年初版) | |||||||||||
既に絶版になっている書籍ですが、富田林市中央図書館の蔵書の中から見つけた1冊です。全国各地の歴史的町並みを著者が訪ねて書かれた紀行文で、富田林にも足を運んでおられます。富田林寺内町の歴史について、エッセー風にわかりやすい文章で記されており、小生のお気に入りです。出版社である淡交社編集部の事前許諾を頂戴しましたので、抜粋・引用の上、紹介させて頂きました。 (2012年9月10日、管理人) | |||||||||||
北口地蔵尊と道標(右奥)
北口地蔵尊と道標
北口地蔵尊が祀られている場所は西国三十三ヶ所観音霊場巡礼街道・旧富田林村 (寺内町)の北入り口の角に当たり、古くから多くの人々の信仰を集め親しまれてきました。元は道の南側に祀られていましたが、車馬の通行が増えるにつれ、現在の位置に移されました。東北隅にある道標に「左 ふじい寺 右 まきのお寺 」と書かれているのは、元々道の南側にあったものをそのままこちらに移し変えられたため、実際の方向とは向きが逆になっている訳です。
地蔵尊の右側には、「安永七年戊戌(つちのえいぬ)天四月二日, 俗名巳ノ喜兵衛」と刻まれており、1778年4月に巳ノ喜兵衛という人によって造られたことがわかります。(富田林市教育委員会)
(富田林市提供、禁無断転載)
道順
寺内町へは近鉄長野線富田林駅又は富田林西口駅下車徒歩10分です。先ずはじないまち交流館へお立ち寄りください。
散策地図がもらえます
富田林駅前の観光案内所又はじないまち交流館で散策地図がもらえます。
立ち寄ってみたいお店
休憩所(トイレ)
じないまち交流館、寺内町センター、じないまち展望広場にあります。
車でお越しの方へ
寺内町は道幅が狭く、中には公共駐車場がありません。車でお越しの場合には、2014年2月に新しくオープンした富田林市営東駐車場(有料)をご利用ください。一般用の普通乗用車及び団体用のマイクロバス(1台分、市役所に要事前予約)を駐車できます。重要文化財・旧杉山家住宅まで徒歩5分、じないまち交流館まで徒歩15分。
尚、団体用の大型観光バスでお越しの際は、富田林市役所にお問い合わせください。宜しくご協力お願いします。
じないまち交流館
〒584-0033
大阪市富田林市富田林町9-29
TEL.0721-26-0110
FAX.0721-26-0110
(午前10時~午後5時、月曜休館)