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富田林寺内町の探訪

江戸時代の町並みが残る寺内町(じないまち)をご紹介します

大阪市内から近鉄電車で富田林駅まで30分。駅から徒歩10分。
ひっそりとした佇まいを残すお寺や町家を巡りながら、お手軽な歴史散歩に出かけてみませんか? 皆様のお越しをお待ちしています。

富栄戎神社(とみさかえびすじんじゃ)・山中田坂(やまちゅうだざか)

Tourist guide to Jinaimachi town, Tondabayashi, a histric district and heritage site of Japan, Tomisaka Ebisu Shrine and Yamachuda slope
富栄戎神社 
 
富栄戎神社(とみさかえびすじんじゃ)
 
寺内町の入口のひとつ・山中田坂
富田林寺内町には、重要伝統的建造物群保存地区に選定されている歴史的な町並み以外にもその歴史を記すものが多くあります。その一つが「山中田坂(やまちゅうだざか)」です。この坂は、寺内町の東の端、石川と寺内町を結ぶ急な坂であり、明治時代になって新しく道ができるまでは、石川の東岸(山中田方面)と寺内町を結ぶ唯一の道で、この急な坂を多くの人や物資が行き交っていました。

富田林寺内町は、興正寺別院を中心とした宗教自治都市として成立しましたが、次第に宗教色が失われていき、街道の要衝であったことや石川の水運に恵まれたことなどにより、周辺の農作物が集積し、商業が盛んな在郷町として発展しました。山中田坂は、寺内町の発展を支え、この町の歴史を見届けてきました。現在でもこの坂を登ると、昔を思い起こすことのできる石垣や伝統的な町家などの姿が残されています。

また、この坂の頂にある「富栄戎神社」もその一つです。地元の人によると、江戸時代から明治初年頃にかけて、寺内町には、酒屋の同業者組合があり、その組合を「恵比寿講」と呼んでいました。河内の酒造業の中心的な組織であった「恵比寿講」が、商売繁昌を願って祭っていたのが、この神社です。

神社は、元々、別の場所にありましたが、明治時代の中頃に、現在の場所に移されました。その際、御神体は宮町にある美具久留御魂神社(みぐくるみたまじんじゃ、富田林市貴志)にあずけられ祭られたそうです。そして、戦後になって、戎神社を祭るための「富栄戎講」が組織され、御神体を現在の場所に迎えました。毎年1月9日の早朝には、美具久留御魂神社の宮司による祈祷が行われています。また、1月9日~11日の夕方ごろまで「十日戎」の行事が行われ、「富栄戎神社」は福を授かろうと訪れた人で賑わいをみせています。
(宵戎:1月9日 9時-20時 十日戎:10日 9時-20時、残戎:11日 9時-12時)

「えべっさん」という名で広く親しまれているこのお祭りに皆さんも訪れてみてはいかがでしょうか。
(富田林市教育委員会文化財課 平成15年12月号から引用させて頂きました。管理人)
   
   
   
 
この日は富栄戎神社の十日戎。戎さんは耳が遠いのでしっかりと願いを聞き届けてもらえるように、正面から参拝した後に脇から裏に回って、後ろからも木槌で板戸を三回叩いて、家内安全、商売繁盛を祈願しました。「えべっさん、しっかり聞き届けてや。頼むでぇ。」開運絵馬を掲げて、露店の福飴を片手に戎神社を後にしました。(2010年 1月 9日、管理人) 
 
伝統的建造物「富栄戎神社」(とみさかえびすじんじゃ)完成予想図(イメージ)
2016年暮れに社殿の改修が終わり、装いも新たになりました。(2017年1月3日撮影)
   
   
伝統的建造物「富栄戎神社」(とみさかえびすじんじゃ)が保存修理中です。

富田林寺内町の東端、じないまち展望広場や山中田坂の北側にあります、「富栄戎神社」(通称:富田林のえべっさん)は、現在、老朽化による保存修理を行っています。 全てを新しくするのではなく、使える部材は使いながら、伝統的な建造物として後世に伝えられる修理です。 今までお世話頂いていた方々から引き継いで、新しく「富栄戎神社えびす講」が発足し、運営にあたっていきます。 平成29年(2017年)1月の十日戎(9日~11日)には、修理の終えたばかりの「富栄戎さん」がお目見えしますので、福を授かりに、是非訪れてみてはいかがですか。 また、「富栄戎神社えびす講」ではご寄進を賜っております。 この保存修理事業に賛同いただける方は、以下までご連絡ください。(代表世話人・中尾様 連絡先 090-5979-2226)  

(2016年11月6日 管理人)
山中田坂(やまちゅうださか) 
 寺内町(富栄戎神社)に通じる坂 (山中田坂)
寺内町(富栄戎神社)へ通じる(山中田坂)
 寺内町へ通じる坂
寺内町(富栄戎神社)へ通じる坂(山中田坂)
 
新しく整備された山中田坂
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じないまち探訪記
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地域活性化への取り組み
LLPまちかつ ~富田林寺内町の古民家で、新しくお店の出店をお考えの方に~

Information

所在地
東筋・堺町(山中田坂)

歴史(由来)
富田林のえべっさん、寺内町の繁栄をずっと見守ってきました。江戸時代から明治初年にかけて富田林寺内町に酒屋の同業組合があり、それを「エビス講」と呼んでいました。戎神社はこの「エビス講」により祭られていました。戎神社はもともと新道中腹にありましたが、明治23年に新道をつける時に今の場所に移し、御神体はながらく喜志の宮(美具久留御魂神社)におあずけしてあったのですが、戦後富栄戎講ができ、御神体を喜志の宮からお迎えして盛大に祭られるようになりました。
ここから二上山や葛城山を望む石川 (大和川の支流)河川敷へは山中田坂 (やまちゅうださか)を下るとすぐです。
(じないまち瓦版第10号、じないまちをまもりそだてる会行)


山中田坂 (やまちゅうだざか)
寺内町の外廓には土塁(土居)を廻らし、その外に竹を植え、四門(木戸門)を設けて朝夕に開閉したのは平和な商区を保護するためであった。四門は山中田坂(千早街道方面)、向田坂(東高野街道)、西口(平尾方面)、壱里山口(東高野街道)に設けられた。富田林に残る最も古い宝暦3年(1753年)の絵図にも町の周辺に土居が描かれている。


宝暦3年(1753年)の村絵図

ボランティア・ガイド


団体でお越しの場合には、地元のボランティア・ガイドによるご案内も可能です。(事前のお申込みが必要)

ガイドのお問い合わせや事前のお申込みは下記のじないまち交流館までお電話ください。


じないまち交流館
〒584-0033
大阪市富田林市富田林町9-29
TEL.0721-26-0110
FAX.0721-26-0110
(午前10時~午後5時、月曜休館、12月28日~1月4日休館)

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