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富田林寺内町の探訪

江戸時代の町並みが残る寺内町(じないまち)をご紹介します

大阪市内から近鉄電車で富田林駅まで30分。駅から徒歩10分。
ひっそりとした佇まいを残すお寺や町家を巡りながら、お手軽な歴史散歩に出かけてみませんか? 皆様のお越しをお待ちしています。

とんだばやし歴史散歩(祢酒太郎著)


富田林開発記念碑 興正寺別院

重要文化財・興正寺別院
 
富田林開基証秀上人紀念碑
 
重要文化財・興正寺別院
富田林町時代に育ったものは、幼稚園から小学校時代にかけて、毎年四月十四日の朝、先生に引率されて御坊(興正寺別院)に行った思い出がある。大きな門を入って本堂の前右手のそびえている石造の「富田林開基証秀上人紀念碑」と彫られた碑の前に整列し、礼拝したあと、紙袋に入ったせんべいか饅頭をもらって帰るのがうれしかった。この日は門前から御坊町一帯におたいや店がならび、午後には境内で餅まきなどもあってにぎわい、子ども達には楽しい一日であった。

明治四十二年(1909)に書いた筆者の父の日記を見ると、
「四月十四日、晴天、午後四時半より雨、別院にて町開基上人の記念祭あり。本年は例年より非常に盛祭にて小学生に左記の歌を唱へしやられたり。

あわれ永禄その昔、うづら鳴くなる荒芝を
開きたまいし上人の、功はつきじとこしえに
祭りてここに今もなお、聖の御徳仰ぎつつ
富の林にますかがみ、いよいよ光を添えるらん」
と楽譜もそえて書かれている。
四月十四日は富田林の開基である証秀上人の忌日で昔からこの日は村中休暇にし、別院では大法会が営まれて来た。

さて、この記念碑はどのようにして建てられたのであろうか。
明治二十三年(1890)五月、府県制・郡制の公布で地方自治制が確立され、富田林村の初代村長に就任した仲村一郎氏は富田林が七百戸以上のまちになり、裁判所や郡役所もできて河内南部の小都会として繁栄したのは、当時から三百余年前、この地を開発した証秀上人のおかげであると考え、開発記念碑の建設の必要を痛感し、かねて村の有志と相談していたが、明治二十七年(1894)一月、開基上人記念碑建設発起人会を開き、つづいて村内各町の組長八名に建設委員を委嘱した。

一月三十一日の第一回建設委員協議会では、村内各戸に趣旨説明の案内文を廻覧し、建設についての賛同を得るとともに、建碑のための費用は、村費として賦課徴収することの承諾の印をとりあつめることを議決し、村民の調印を得た後は村会議員と諸事協議して進めてゆくことにした。 

予算は初め銅製の記念碑を予定して一基六百円、諸費二百円として、合計八百円を計上、このうち二百円は発起人で負担することにし、残金六百円を三カ年継続で協議費(村費)として徴収することにした。一カ年額二百円は二十五の等級に分けて賦課し、最高額は一戸十二円四十五銭三厘、最低額は一戸につき二銭四厘にした。

七月に記念碑の仕様書ができた。それによると、記念碑は石造で、総高さ二十一尺八寸、台庭総体の高さ三尺五寸、碑文石の高さ十一尺、頭頂石の高さ三尺八寸等、寸法や形がこまかくきめられ、石材は備中北木島産の白硬石を用いることが指定されている。この仕様書にもとづき、大阪朝日新聞に公募入札の広告が出された。広告料は二円四銭。入札は十一月十六日、入札者六名の中から堺市大小路東三丁の男里久吉氏が三百四拾六円五拾銭で落札、請負うことになり、翌二十八年四月十一日に竣工した。記念碑の文字は、京都の壬生伯爵に依頼し、揮毫の謝礼は五円、それに木綿問屋杉本家で白木綿一疋を一円二十五銭で買ってそえている。 

建碑式は五月二十九日、午後四時から興正寺法主をはじめ諸官衙の長、次官、地元各寺院の僧侶、寄付者を招いて挙行された。建碑式の費用は村費から支出せず、有志の寄付金を募った。表門の前には大きな緑門がつくられ、国旗で飾られた。御成門には紫チリメンの幕をかけ、境内は中央の幟柱から四方へ飾りちょうちんがつられた。

式は読経のあと、総代仲村村長が経過報告、門跡、郡長らが来賓祝辞を朗読、総代の答辞があって散席。式後、本堂で折詰弁当で来賓の宴会。余興には大阪の松廼舎みどり作詞の「愉快節」や「名古屋甚句」をうたって手踊りを見せた。この年の三月、下関で日清講和談判が開始され、四月には下関条約が調印された直後であっただけに「愉快節」や「名古屋甚句」の歌詞に戦勝気分が色濃く出ている。 

愉快節
日清談判ととのうて、占領地乗り出す日本軍、宇品に着いたら誰も彼も、勇み踊って迎うだろ。さすれば満州も台湾も、日本のうちだよ愉快だよ。二億両(テイル)のしろかねの、山か河内のみなみより、にわかに富んだはやし村、起こした人のほねおり、今のさかりの世に出して、そのほねおりを知らしよとて、建てたいしぶみその祝い、飲めやさわげやさかもりに、聞ゆるその声来てみれば、座敷じゃ踊りの声がする。「愉快じゃ、愉快じゃ」

仲村村長は、「富田林記念碑建設一件」として、発起人会から建碑式の決算書にいたるまでのくわしい記録をのこされている。ここにはその一部を紹介した。

「とんだばやし歴史散歩」祢酒太郎著  (富田林市立中央図書館蔵書)
昭和51年(1976年)11月3日発行
昭和52年(1977年)11月10日第2版

祢酒太郎氏略歴
1917年 富田林市富田林町に生まれる
1947年 京都帝国大学経済学部卒業
1970年 富田林市役所市史編集室長
1974年 河南町助役
1976年 河南町助役退職
研究発表
1975年 大阪歴史学会・地方史研究協議会編
    「地域概念の変遷」(雄山閣)
     第二部文化財保存
     「富田林・文化財保全の問題点」
寺内町の成立と歴史  歴史逸話
寺内町の成立と歴史 宗教自治都市
寺内町の成立と歴史 在郷町としての発展

寺内町の成立と歴史 繁栄と衰退
寺内町の成立と歴史 繁栄と衰退(昭和40・50年代の頃)
吉田松陰 仲村家に滞在 - 嘉永六年二月・三月
桜田門外の変と富田林の木綿問屋
大久保利通が杉山邸に来たこと
郡役所新築に対する葛原氏の意見書 明治十八年
富田林開発記念碑 興正寺別院
木沢与平氏の「年代記」
富田林駅前の「楠氏遺跡里程標」
浄谷寺の釣鐘
歴史的建造物(一覧)・建築様式 
歴史的建造物一覧(寺院・町家)
歴史的建造物一覧(寺院・町家)(続き)
歴史的建造物一覧表(寺院・町家)
寺内町の建築様式
寺内町の建築様式(続き)
寺内町の町割(都市計画)・交通 歴史的町並み景観の保存・地域コミュニティー活性化
寺内町の町割(都市計画
東高野街道と石川の舟運
寺内町の入口(街道口)
歴史的町並み景観の保存
歴史的町並み景観の保存(続き)
富田林寺内町をまもりそだてる会
地域活性化への取り組み
 「カラー 歴史の町並」(文・那谷敏郎 写真・橋本治朗、淡交社刊、1975年初版)
既に絶版になっている書籍ですが、富田林市中央図書館の蔵書の中から見つけた1冊です。全国各地の歴史的町並みを著者が訪ねて書かれた紀行文で、富田林にも足を運んでおられます。富田林寺内町の歴史について、エッセー風にわかりやすい文章で記されており、小生のお気に入りです。出版社である淡交社編集部の事前許諾を頂戴しましたので、抜粋・引用の上、紹介させて頂きました。 (2012年9月10日、管理人)


Information


(富田林市提供、禁無断転載)

富田林寺内町への道順
寺内町へは近鉄長野線富田林駅又は富田林西口駅下車徒歩10分です。先ずはじないまち交流館へお立ち寄りください。

散策地図がもらえます
富田林駅前の観光案内所又はじないまち交流館散策地図がもらえます。

立ち寄ってみたいお店

休憩所(トイレ)
じないまち交流館寺内町センターじないまち展望広場にあります。

車でお越しの方へ
寺内町は道幅が狭く、中には公共駐車場がありません。車でお越しの場合には、2014年2月に新しくオープンした富田林市営東駐車場(有料)をご利用ください。一般用の普通乗用車及び団体用のマイクロバス(1台分、市役所に要事前予約)を駐車できます。重要文化財・旧杉山家住宅まで徒歩5分、じないまち交流館まで徒歩15分。

尚、団体用の大型観光バスでお越しの場合は、富田林市役所にお問い合わせください。宜しくご協力をお願いします。


興正寺別院
真宗興正寺派に属し、富田林・寺内町の成立と発展の中心となった寺院です。地元の人からは御坊さん(富田林御坊)として親しまれています。応永年間(1394-1412年)に毛人谷(えびたに)御坊に草創。 永禄3年(1560年)に京都・興正寺第16世証秀上人が現在地に移建。

重要文化財・(旧)杉山家住宅
杉山家は富田林寺内町の創設にかかわった旧家の一つであり、江戸時代は造り酒屋として栄えました。現存する家屋は寺内町で最も古く、江戸時代中期の大規模商家の遺構です。明治時代の明星派女流歌人・石上露子(本名 杉山タカ)の生家でもあります。昭和58年(1983年)国の重要文化財に指定され、富田林市が維持・管理しています。


(南)葛原家住宅・三階蔵
酒造業で栄えた商家。三階蔵は日本に少ない貴重なもので、寺内町のランドマーク的存在。各層に庇を廻し本瓦葺き。妻を表に向けて白壁を際立たせている。年貢米を入れる蔵であった。1854年建築

ボランティア・ガイド


団体でお越しの場合には、地元のボランティア・ガイドによるご案内も可能です。(事前のお申込みが必要)

ガイドのお問い合わせや事前のお申込みは下記のじないまち交流館までお電話ください。


じないまち交流館
〒584-0033
大阪市富田林市富田林町9-29
TEL.0721-26-0110
FAX.0721-26-0110
(午前10時~午後5時、月曜休館)

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