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富田林寺内町の探訪

江戸時代の町並みが残る寺内町(じないまち)をご紹介します

大阪市内から近鉄電車で富田林駅まで30分。駅から徒歩10分。
ひっそりとした佇まいを残すお寺や町家を巡りながら、お手軽な歴史散歩に出かけてみませんか? 皆様のお越しをお待ちしています。

とんだばやし歴史散歩(祢酒太郎著)


木沢与平氏の「年代記」

浄谷寺本堂

近鉄富田林駅(河陽鉄道 明治31年開業)

富田林市の本町で紳士服の店を長年経営しておられる木沢弘二さんが所蔵されている木沢さんの厳父、木沢与平さんが書かれた「年代記」は、幕末から明治時代の富田林を知るいい資料である。横六センチメートル、縦十四センチメートルの小さな和綴りのノートにぎっしり書かれている年代記の中から主だったものを拾い出してみると、つぎのようなものがある。 

弘化二(1845)年に浄谷寺の本堂が建てられた。

明治五年に“チョンマゲ”から“ザンギリ”頭になった。
明治六年に富田林に芝居小屋が建って、四月十日から二十日まで初芝居があった。明治十六、十七、十八年と毎年、大洪水がつづいた。二十年には、板持、彼方の堤防がきれた。二十二年と二十九年には淀川や石川が大水で橋が落ちた。日でりは、明治十三、十六、二十六年にあり、雨ごいに大どんどをした。

大雪では明治十六年に二尺ほどつもり、三十三年、四十年も大雪だった。

地震は安政元年(1854)六月十四日の夜とその年の十一月四日の昼に大地震があり、明治に入ってからは二十四年十月二十八日朝六時頃、三十二年三月七日の午前十時十五分に大地震があった。

土木では、明治十七年八月一日に上石川橋の渡り初めがあり、祝いに大花火を七、八十本あげた。明治二十二年五月二十八日に貴志の川面橋の渡り初めで、屋台を出して祝った。

明治二十四年の富田林の川普請では、六月七日の落成式に富田林中の各家に折弁当券を配布し、花火五十本あげ、相撲大会をやっている。

役所関係では、明治十六年一月十日に大阪府の達示で、古市にあった郡役所が富田林に移り、一月二十日から御坊(興正寺別院)を仮役所にして事務を開始している。警察署も古市から富田林に移り、明治十七年一月上旬から普請にかかり、三月末に落成している。明治二十二年五月二十五日に富田林に堺裁判所の支所が落成し、屋台を出して祝った。

木沢与平さんは、兵隊のことを鎮台といった頃、軍隊が演習に来て、富田林で泊まったときの兵種や人数などもくわしく書いている。

まず、「明治二十一年三月三日、鎮台三百六十人来る。」「十月十一日、鎮台馬百八十疋来る。」「十一月十二日鎮台着、十三日休み、十四日出立、凡そ二千ほど、九人宿す。一人に金五銭づつもらう」など、毎年鎮台の泊り人数をきちょうめんに書かれている。 

明治三十九年の四月二十五日に、日露戦争の凱旋祝を町をあげてやっている。二十五日から二十八日まで、四日間、賑わしく、富田林の大工、手伝,左官、その外職人が残らず合して百五十人ほどで、みごとな軍艦をつくっている。長さ六間、幅一丈位の軍艦をつくった職人さん達が水兵になってかついで廻ったと記されている。

 
鉄道関係では、明治七年に兵庫鉄道、八年に西京(京都)行汽車ができ、明治十八年に阪堺電車、二十二年に大阪から柏原まで汽車が開通、明治二十二年に河陽鉄道株式会社の板札が興正寺別院の前にかかり、二十九年五月中旬頃、鉄道事務所が西仲村隠居宅にできた。明治三十一年一月に、南海鉄道が泉佐野まで開通し、高野鉄道は明治三十年六月一日から工事にかかり、翌三十一年一月に堺大小路から狭山まで開通、四月に長野まで開通して、開通祝いに五日間、乗車賃は半額であった。河陽鉄道は明治三十一年三月に柏原から古市まで、四月に富田林まで開通して、三日間は乗車賃が半額であった。明治三十三年二月二日に河南鉄道富田林駅が上棟した。 

寺院関係では、明治二十六年に滝谷山不動明王寺の本堂が建ち、明治三十一年八月に若松町一丁目の円光寺の釣鐘ができ、鐘供養が行なわれた。

神社では、貴志の宮のお旅所が明治二十五年にでき、明治三十一年五月二十二日に伊勢大神宮が焼けたことや、明治三十一年五月二十一日にこれはお寺であるが、平野本山がまる焼けになったことなど、富田林以外の事件も記され、大正十二年九月一日の関東大震災の頃まで約八十年間のこの地方を中心とした出来事が簡潔に記入されている。 
「とんだばやし歴史散歩」祢酒太郎著  (富田林市立中央図書館蔵書)
昭和51年(1976年)11月3日発行
昭和52年(1977年)11月10日第2版

祢酒太郎氏略歴
1917年 富田林市富田林町に生まれる
1947年 京都帝国大学経済学部卒業
1970年 富田林市役所市史編集室長
1974年 河南町助役
1976年 河南町助役退職
研究発表
1975年 大阪歴史学会・地方史研究協議会編
    「地域概念の変遷」(雄山閣)
     第二部文化財保存
     「富田林・文化財保全の問題点」
寺内町の成立と歴史  歴史逸話
寺内町の成立と歴史 宗教自治都市
寺内町の成立と歴史 在郷町としての発展

寺内町の成立と歴史 繁栄と衰退
寺内町の成立と歴史 繁栄と衰退(昭和40・50年代の頃)
吉田松陰 仲村家に滞在 - 嘉永六年二月・三月
桜田門外の変と富田林の木綿問屋
大久保利通が杉山邸に来たこと
郡役所新築に対する葛原氏の意見書 明治十八年
富田林開発記念碑 興正寺別院
木沢与平氏の「年代記」
富田林駅前の「楠氏遺跡里程標」
浄谷寺の釣鐘
歴史的建造物(一覧)・建築様式 
歴史的建造物一覧(寺院・町家)
歴史的建造物一覧(寺院・町家)(続き)
歴史的建造物一覧表(寺院・町家)
寺内町の建築様式
寺内町の建築様式(続き)
寺内町の町割(都市計画)・交通 歴史的町並み景観の保存・地域コミュニティー活性化
寺内町の町割(都市計画
東高野街道と石川の舟運
寺内町の入口(街道口)
歴史的町並み景観の保存
歴史的町並み景観の保存(続き)
富田林寺内町をまもりそだてる会
地域活性化への取り組み
 「カラー 歴史の町並」(文・那谷敏郎 写真・橋本治朗、淡交社刊、1975年初版)
既に絶版になっている書籍ですが、富田林市中央図書館の蔵書の中から見つけた1冊です。全国各地の歴史的町並みを著者が訪ねて書かれた紀行文で、富田林にも足を運んでおられます。富田林寺内町の歴史について、エッセー風にわかりやすい文章で記されており、小生のお気に入りです。出版社である淡交社編集部の事前許諾を頂戴しましたので、抜粋・引用の上、紹介させて頂きました。 (2012年9月10日、管理人)


Information


(富田林市提供、禁無断転載)

富田林寺内町への道順
寺内町へは近鉄長野線富田林駅又は富田林西口駅下車徒歩10分です。先ずはじないまち交流館へお立ち寄りください。

散策地図がもらえます
富田林駅前の観光案内所又はじないまち交流館散策地図がもらえます。

立ち寄ってみたいお店

休憩所(トイレ)
じないまち交流館寺内町センターじないまち展望広場にあります。

車でお越しの方へ
寺内町は道幅が狭く、中には公共駐車場がありません。車でお越しの場合には、2014年2月に新しくオープンした富田林市営東駐車場(有料)をご利用ください。一般用の普通乗用車及び団体用のマイクロバス(1台分、市役所に要事前予約)を駐車できます。重要文化財・旧杉山家住宅まで徒歩5分、じないまち交流館まで徒歩15分。

尚、団体用の大型観光バスでお越しの場合は、富田林市役所にお問い合わせください。宜しくご協力をお願いします。


興正寺別院
真宗興正寺派に属し、富田林・寺内町の成立と発展の中心となった寺院です。地元の人からは御坊さん(富田林御坊)として親しまれています。応永年間(1394-1412年)に毛人谷(えびたに)御坊に草創。 永禄3年(1560年)に京都・興正寺第16世証秀上人が現在地に移建。

重要文化財・(旧)杉山家住宅
杉山家は富田林寺内町の創設にかかわった旧家の一つであり、江戸時代は造り酒屋として栄えました。現存する家屋は寺内町で最も古く、江戸時代中期の大規模商家の遺構です。明治時代の明星派女流歌人・石上露子(本名 杉山タカ)の生家でもあります。昭和58年(1983年)国の重要文化財に指定され、富田林市が維持・管理しています。


(南)葛原家住宅・三階蔵
酒造業で栄えた商家。三階蔵は日本に少ない貴重なもので、寺内町のランドマーク的存在。各層に庇を廻し本瓦葺き。妻を表に向けて白壁を際立たせている。年貢米を入れる蔵であった。1854年建築

ボランティア・ガイド

団体でお越しの場合には、地元のボランティア・ガイドによるご案内も可能です。(事前のお申込みが必要)

ガイドのお問い合わせや事前のお申込みは下記のじないまち交流館までお電話ください。


じないまち交流館
〒584-0033
大阪市富田林市富田林町9-29
TEL.0721-26-0110
FAX.0721-26-0110
(午前10時~午後5時、月曜休館)

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