大阪市内から近鉄電車で富田林駅まで30分。駅から徒歩10分。
ひっそりとした佇まいを残すお寺や町家を巡りながら、お手軽な歴史散歩に出かけてみませんか? 皆様のお越しをお待ちしています。
【Tourist guide to Jinaimachi town, Tondabayashi, a histric district and heritage site of Japan, residence of the Nakamura family Page 2/2】 | |
煙だしの小屋根(母屋西側) |
煙だしの小屋根(母屋東側) |
母屋東側 |
仲村家全景(東側) |
駒つなぎ |
駒寄せ |
駒寄せ 町屋の道路に接する面に寄せて設けた牛馬を繋ぐための柵。駒繋ぎ、牛繋ぎなどともいう。後に、人や動物から建物の外壁や建具を保護するための柵に変化した。これを犬垣、犬防ぎ、犬矢来ともいう。 |
|
仲村家住宅の母屋は現在、保存修復のため、仮屋根で覆われています。 |
|
大阪府有形文化財・仲村家住宅の内部が特別公開されました。(2002年5月3日・4日) | |
特別公開準備のために一部の柵が取り外された駒寄せ (2002年5月3日) |
特別公開された仲村家住宅 (2002年5月4日) |
特別公開された玄関 (2002年5月4日) 通常の民家には玄関がなく、当時は武士階級にのみ許されていた。 |
|
大阪府有形文化財・仲村家住宅の内部が特別公開されました。(2016年3月12日・13日 第10回寺内町雛めぐり) | |
2016年3月13日 中井隆洋様撮影 |
2016年3月13日 中井隆洋様撮影 |
|
|
仲村家住宅 | |
吉田松陰 仲村家に滞在 - 嘉永六年二月・三月 | |
歴史逸話 富田林と天誅組 |
大阪府有形文化財
(平成2年3月指定)
非公開
建築年代
1782-1783年 (天明2-3年)
所在地
富筋・西林町
歴史(由来)
富田林寺内町のほぼ南端に位置する旧家で、かつては屋号を「佐渡屋」と称し、享保19年(1734年)以降は徳兵衛を名乗ってきました。初代徳右エ門は富田林八人衆の子孫に当たると伝えられる。
旧来の家業は明らかではありませんが、正徳5年(1715年)に酒造株を取得後は、造り酒屋として著しい発展を遂げ、天明5年(1715年)の酒造米高は河内国で最高の2135石に達した。寛政4年(1792年)には江戸市場を対象とした酒造業の理事長に当たる「河内一国江戸積大行司」となった。江戸・徳川家にも献上された。当時の流行り歌にも、「一に杉山、二に佐渡屋、三に黒さぶ 金が鳴る」と唄われたと伝わります。松尾大社(京都嵐山)の参道両脇に並び
立つ石灯籠の中にも、和泉国・仲村家(佐渡屋)の名前が刻まれた石灯篭が献上されています。寛政4年の古図によると、広大な敷地に母屋をはじめ、酒蔵、土蔵など数多くの建物があったことが描かれており、往時の繁栄ぶりを窺うことができます。
しかし、明治初年に酒造業を廃したため、諸施設は次第に取り壊され、現在では母屋と一部の付属屋を残すのみとなっています。
屋号
佐渡屋
建物の特徴
屋敷地は一区画を占める。母屋は表屋(おもてや)造りで、 北側に、土蔵、乾蔵(道具蔵)、米蔵、中蔵、醤油漬物蔵などが残る。出格子に竹格子入り丸窓など凝った建築様式。 母屋の建築年代は普請入用帳から天明2-3年(1782-83年)であることがわかっており、母屋西側の店部分や南に続く3室の別屋敷も同時期のものである。
座敷の屋根の作りは大変立派で、棟を3つも4つも組み合わせて作られており、「八つ棟づくり」と呼ばれています。
この屋敷には文人墨客が数多く訪れ、長州藩士の吉田松陰や、頼山陽も訪れたと言われています。
母屋の屋根切妻部分には仲村家の家紋である「三階菱」(表紋、左側)と「蔓柏」(裏紋、右側)をそれぞれ意匠に取り入れた通気口があります。「三階菱」の家紋は、屋根の丸瓦の文様にも施されています。
また、通りを挟んだ向かい側の上野家住宅は、元々仲村家別宅であったもので、屋根丸瓦には仲村家の家紋「三階菱」が入っています。
仲村家住宅の母屋は、現在保存のため、仮屋根で覆われています。
重要伝統的建造物群保存地区
富田林市富田林町の一部にあたる寺内町は、1997年(平成9年)に国から重要伝統的建造物群保存地区に選定されました。大阪府下では唯一の指定となっています寺内町にある約500棟の建物の内、江戸時代から昭和初期頃までに建てられた181棟の建造物が伝統的建造物に特定されています。保存地区内において通常道路から見える建物等の外観の現状を変更(増改築、改修、模様替え、色彩の変更、新築、除却など)する時には、予め市教育委員会・文化財保護課に申請して許可を得る必要があります。伝統的民家(町家)は白壁、板塀、格子戸など往時の姿のままに外観の保存・復元・修景作業を終えて、今も人々が生活の場として暮らしながら、素朴で静かな佇まいを今に伝えています。
寺内町の主だった商家には由緒・由来を記した案内板が設けられ、石畳の街路には路面灯を兼ねた道標や案内標識なども整備されています。電信柱の配置や各戸の電気メーターなどもできる限り目立たないような工夫が施されています。
また、寺内町では伝統的な町並み景観に配慮して、新しく建築される建物も周囲の景観に調和した外観となっています。