大阪市内から近鉄電車で富田林駅まで30分。駅から徒歩10分。
ひっそりとした佇まいを残すお寺や町家を巡りながら、お手軽な歴史散歩に出かけてみませんか? 皆様のお越しをお待ちしています。
【Tourist guide to Jinaimachi town, Tondabayashi, a historic district and heritage site of Japan - tourists' attractions Part 1/2 】 | |
じないまち交流館(富山町) |
富田林寺内町の散策では、じないまち交流館から(旧)杉山家住宅まで、城之門筋に沿って、モデルコースをゆっくりと歩いてみて下さい。(所要時間約90分) 富田林寺内町の見どころをご紹介しています。 (制作協力:中井隆洋様) |
奥谷家(本家)住宅(富山町) |
1.奥谷家(本家)住宅前にて(富山町) ・江戸時代18世紀半ばに河内長野(岩瀬)から富田林に出て、材木商で栄えた。 ・塀の上に尖った柵=忍び返しがある。 ・本瓦葺:丸い瓦と波板の瓦とを交互に並べている。(参考)桟瓦葺き:現在の普通の家の葺き方。 |
「煙だし越屋根」と「本瓦葺き」の屋根 |
「巴紋」の丸瓦 |
(東)奥谷家住宅(富山町) |
2.(東)奥谷家住宅前にて(富山町) ・表に防火水槽を備えている。 |
城之門筋(じょうのもんすじ) |
3.城之門筋(じょうのもんすじ)にて |
「用心掘」 |
夜間はライトアップされています |
4.渋谷家住宅、(城之門筋を挟んで東側の) 小田家住宅、阿部家住宅を見比べて(壱里山町) ・3軒の二階の高さを比べると建築の時代順が分かる。銅板葺(緑青色)の渋谷家が最も新しく、大正時代のモダンな建物で、昭和の終わり頃まで家具屋さんだった。 小田家は明治時代の建築で、阿部家は江戸時代の建築。(時代順に古くなっている) |
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(南)奥谷家住宅 |
5.(南)奥谷家住宅の南角にて(北会所町) ・景観保全のため、わざわざガスメーターを塀の中に設置して小窓から見ることができるようにしている。 わざと見通しを悪くした四辻で、「当て曲げの辻」と呼ばれる。この寺内町創生の戦国時代に敵の侵入を妨害するためであったが、今では車の通行がしにくく「当て逃げの道」とも。 |
ガスメーターを塀の中に設置 |
「当て曲げの辻」(北会所町) |
6.佐藤家住宅の紅梅蔵(カフェ平蔵)にて(北会所町) 「甕」を地中に埋めて発酵・熟成させていた。店内には地中に埋めた状態の「甕」が残されている。 |
地中に埋めた状態の「甕」(カフェ平蔵) |
紅梅蔵(北会所町) |
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葛原家住宅(南会所町) |
7.葛原家住宅前にて(南会所町) ・葛原家は酒造業で栄えたお家。「十津川屋」という屋号。奈良県の十津川村から出て来られて酒造業を始められた。当時は「天下一正宗」というブランドのお酒を造っておられた。戦後は廃業されたが、当時の道具などがお家の中に残っていると聞いている。酒造業 ・親子格子:上部の格子を間引いて、建物の内部から戸外が見えるようにした格子。 |
親子格子 |
「天下一正宗」 |
南葛原家住宅・三階蔵(南会所町) |
8.南葛原家住宅前にて(南会所町) ・出格子窓 ・連子窓(れんじまど):春日大社など仏教建築の窓に使われている。窓の向こうのお庭を見ながら歩くと向こう側が動いているように見える。アニメーションの原理。 ・立派な鬼瓦、木の柵=忍び返し ・三階蔵:各層に庇(ひさし)を廻した本瓦葺き。年貢米を入れる蔵。ランドマーク的存在。 |
出格子窓 |
連子窓(れんじまど) |
薬師堂(恋文薬師)(南会所町) |
9.薬師堂(恋文薬師) ・浄谷寺のお堂の一つが外部に出たもの。本尊の薬師様は、その名の通り、本来病気平癒祈願のものであるが、ここの薬師様は恋文を漆喰に塗り固めたもので、恋文薬師とも呼ばれている。 毎年6月6日、16日、26日には夜店が並ぶ縁日が開かれる。 |
田守家 |
10.田守家 ・田守家は、明治の中頃まで河内木綿の問屋をされており、美原の黒山から来られたので黒山屋という屋号であった。 北から木綿蔵、米蔵、衣装蔵。木綿蔵には腰に焼き板が貼ってある。米蔵の屋根は「置き屋根」にして、内部に熱がこもらないようにしている。 |
杉田家住宅 |
11.城之門筋を挟んで杉田家住宅と田守家住宅にて ・杉田家は、江戸時代には油屋(菜種油)を営んでおられた。 ・屋根の側面の壁には、鍾馗さんの瓦人形が付いている 。鍾馗さんについては、唐の時代に玄宗皇帝が病に臥せっているとき、玄宗の夢の中に一匹の鬼が現れて玄宗と楊貴妃の宝物を盗もうとしたところ、鍾馗と名乗る髭面の大男が現れて、あっという間にその鬼を退治し、玄宗の病も癒えたという伝説がある。話は変わって、昔、京都三条に薬問屋があって、若い娘さんが住んでいた。あるとき娘さんが長患いをして寝込んでしまった。お家が薬屋なので、色々な薬を与えたが、いっこうに良くならない。あるとき両親が、最近自分の家の向かいに大きなお家が新しく建って、鬼瓦が付いていることに気が付いた。そこで両親は、自分の家の屋根の上に、その鬼瓦に向けて鍾馗さんを置いたところ、娘さんの病気は直ぐに治ったといわれている。 さて杉田家の向かいの田守家を見ると確かに鬼瓦があるが、よく見ると、両家には互いに鬼瓦も鍾馗さんの瓦人形もあり、あいこである。 |
田守家住宅 |
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富田林寺内町の見どころガイド(モデルコース)‐ Tourrists' attractions (Part 2/2) |
(富田林市提供、禁無断転載)
重要伝統的建造物群保存地区
富田林市富田林町の一部にあたる寺内町は、1997年(平成9年)に国から重要伝統的建造物群保存地区に選定されました。大阪府下では唯一の指定となっています。
寺内町にある約500棟の建物の内、江戸時代から昭和初期頃までに建てられた181棟の建造物が伝統的建造物に特定されています。保存地区内において通常道路から見える建物等の外観の現状を変更(増改築、改修、模様替え、色彩の変更、新築、除却など)する時には、予め市教育委員会・文化財保護課に申請して許可を得る必要があります。伝統的民家(町家)は白壁、板塀、格子戸など往時の姿のままに外観の保存・復元・修景作業を終えて、今も人々が生活の場として暮らしながら、素朴で静かな佇まいを今に伝えています。
寺内町の主だった商家には由緒・由来を記した案内板が設けられ、石畳の街路には路面灯を兼ねた道標や案内標識なども整備されています。電信柱の配置や各戸の電気メーターなどもできる限り目立たないような工夫が施されています。
また、寺内町では伝統的な町並み景観に配慮して、新しく建築される建物も周囲の景観に調和した外観となっています。
重要文化財・(旧)杉山家住宅
杉山家は富田林寺内町の創設にかかわった旧家の一つであり、江戸時代は造り酒屋として栄えました。現存する家屋は寺内町で最も古く、江戸時代中期の大規模商家の遺構です。明治時代の明星派女流歌人・石上露子(本名 杉山タカ)の生家でもあります。昭和58年(1983年)国の重要文化財に指定され、富田林市が維持・管理しています。
(南)葛原家住宅・三階蔵
酒造業で栄えた商家。三階蔵は日本に少ない貴重なもので、寺内町のランドマーク的存在。各層に庇を廻し本瓦葺き。妻を表に向けて白壁を際立たせている。年貢米を入れる蔵であった。1854年建築
富田林寺内町への道順
寺内町へは近鉄長野線富田林駅又は富田林西口駅下車徒歩10分です。先ずはじないまち交流館へお立ち寄りください。
散策地図がもらえます
富田林駅前の観光案内所又は
じないまち交流館で散策地図がもらえます。
立ち寄ってみたいお店
休憩所(トイレ)
じないまち交流館、寺内町センター、じないまち展望広場にあります。
車でお越しの方へ
寺内町は道幅が狭く、中には公共駐車場がありません。車でお越しの場合には、2014年2月に新しくオープンした富田林市営東駐車場(有料)をご利用ください。一般用の普通乗用車及び団体用のマイクロバス(1台分、市役所に要事前予約)を駐車できます。西方寺の斜め向かいに位置し、重要文化財・旧杉山家住宅まで徒歩5分、じないまち交流館まで徒歩15分。
尚、団体用の大型観光バスでお越しの際は、富田林市役所にお問い合わせください。宜しくご協力お願いします。
ボランティア・ガイド
団体でお越しの場合には、地元のボランティア・ガイドによるご案内も可能です。(事前のお申込みが必要)
ガイドのお問い合わせや事前のお申込みは下記のじないまち交流館までお電話ください。
じないまち交流館
〒584-0033
大阪市富田林市富田林町9-29
TEL.0721-26-0110
FAX.0721-26-0110
(午前10時~午後5時、月曜休館, 12月28日~1月4日休館)