大阪市内から近鉄電車で富田林駅まで30分。駅から徒歩10分。
ひっそりとした佇まいを残すお寺や町家を巡りながら、お手軽な歴史散歩に出かけてみませんか? 皆様のお越しをお待ちしています。
「石上露子を語る集い」の芝昇一代表(当時、故人)が2004年10月10日(日)午後に富田林市立中央公民館講座室で開催された同会10月例会の席上で講演された講演録です。講演内容は「富田林市史」をはじめ各種資料などから引用・ご朗読されたものです。同会会報10月号「小板橋」(第五十四号)に収録されました文章をそのまま転載させて頂きました。(2004年10月10日講演録から引用、管理人) | ||||||||||||||||
明治11年(1878年)7月22日府県の下に郡・区を置き、郡・町・村の区域・名称は従来のままとし、郡には、郡長一人、区には区長一人を置くことになったが、小さい郡の場合は数郡に郡長一人を置くことができた。町村には戸長一人を置くのを原則としたが、数町村に一人の戸長を置くこともできた。 河内国には、古市・八尾・枚方の3郡に役所が置かれることになった。石川・古市・安宿部(やすかべ)・錦部・八上(やかみ)・丹南・志紀の七郡の郡役所は古市郡古市村(現羽曳野市)真蓮寺に置かれた。区長・郡長は官選で初代郡長には、稲垣謙蔵が任命された。明治14年2月、堺県は大阪府に合併されるが、そのころから石川・錦部両郡で郡役所を富田林に移転する運動が高まった。 古市は東北に偏し輻輳の地ともいえず、管内第一の市街地で交通の要所である富田林への移転は趨勢となっていた。 曲折を経て、16年1月20日郡役所は富田林に移転、しばらく富田林御坊 (興正寺別院)に置かれていたが、富田林西林に土地を買収して新築した。 敷地面積は四百十七坪、庁舎は木造瓦葺平屋七棟で、建坪は百三十六・八坪で費用は総額で二千二百十三円三十銭、そのうち千四百円が地方税から支出され、残り八百十三円三十銭は寄付金で賄われた。工事は十八年八月九日始まり、十月三十日に竣工、十一月一日に竣工式を挙げた。 (芝昇一 記、敬称略) |
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幕末の庄屋・仲村長右衛門の旧宅跡、後の富田林郡役所跡の石垣(西林町)
寺内町の歴史(略年譜)
1561年 富田林寺内町の誕生
(興正寺別院開基)
1574年 浄谷寺、富田林移転
1582年 本能寺の変
1580年 豊臣秀吉 天下統一
1600年 関ヶ原の戦い
1608年 妙慶寺開基
1615年 江戸幕府の天領
1638年 興正寺別院本堂再建
1644年 杉山家住宅建造
1688年 51業種149店舗が商売
1720年頃 妙慶寺本堂再建
1751年 防火用心石碑
1753年 木口家住宅建造
1775年 町割が六筋八町に
1782年 仲村家住宅建造
1830年 浄谷寺本堂再建
1853年 吉田松陰、仲村家に逗留
1854年 (南)葛原家三階蔵建築
1868年 明治元年
1875年 大久保利通 杉山家訪問
1883年 警察署、郡役所富田林へ
1898年 河陽鉄道富田林開通
1923年 大阪鉄道があべの橋開通
1926年 金剛自動車運行
1947年 農地改革
1957年 府教育委員会 町家調査
1983年 旧杉山家住宅 重文指定
1986年 城之門筋 日本の道百選
1990年 仲村家住宅 府文化財
1997年 重要伝統的建造物群保存地区選定
2007年 美しい日本の歴史的風土 百選
2009年 都市景観大賞「美しいま ちなみ優秀賞」受賞
2014年 興正寺別院 重文指定
2018年 関西まちづくり賞受賞
2018年 重要伝統的建造物群保存地区・西側に選定地区拡大
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(午前10時~午後5時、月曜休館)