大阪市内から近鉄電車で富田林駅まで30分。駅から徒歩10分。
ひっそりとした佇まいを残すお寺や町家を巡りながら、お手軽な歴史散歩に出かけてみませんか? 皆様のお越しをお待ちしています。
【Tourist guide to Jinaimachi town, Tondabayashi, a historic district and heritage site of Japan,Travelogues by Author - Series Vol. 53 Meeting assembly on December 3, 2017】 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
杉田家住宅(手前)・田守家住宅(右手) |
興正寺別院・山門(左)鼓楼(右) |
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2017年(平成29年)もあっという間に師走を迎えました。 |
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興正寺別院・本堂 |
興正寺別院・本堂 |
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各団体より代表者による、これまでの活動報告や課題などがご披露されました。また、大阪国際大学国際コミュニケーション学部 笠井敏光先生の基調講演では、富田林寺内町の住民向けアンケート調査結果・分析を踏まえた今後のまちづくり指針について具体的な示唆に富んだ提言を伺いました。 (注) 3)富田林じないまちボランティアガイドの会 9)富田林市(都市魅力創生課、商工観光課、教育委員会文化財課) |
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主催者からの御依頼で「重要文化財 興正寺別院について」と題する記念講演を私がお引き受けしました。興正寺別院の歴史や本堂内部の御説明と、これからのまちづくりに関する私見を予め用意しましたスライドを使いながら約20分ほどお話ししました。講演内容は以下の通りです。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
御紹介を賜りました富田林寺内町ボランティアガイドの会の奥谷直也です。 先ず最初に簡単な自己紹介をします。寺内町に生まれ育ちました。実家は戦前に油屋を、戦後は質屋を営んでいました。私は地元の富田林幼稚園を卒園し、富田林小学校を卒業しています。 もう50年くらい前の記憶ですが、駄菓子屋、風呂屋、映画館、行商、氷屋など寺内町にまだ賑わいがあった頃を覚えています。ウルトラマンなどの景品を求めて近くの駄菓子屋通いが楽しみでした。 現在、横浜市に住んでおり、東京都内の民間企業に勤務する会社員です。歴史・文化や建築などの専門家でないことを最初にお話ししておきます。7年間の海外勤務経験を積んで、世界に向けて日本文化の情報発信の必要性を痛感しました。クール・ジャパンの先駆けかも知れません。 海外赴任を終えて帰国後、2002年からインターネットを通して、個人で富田林寺内町に関する地域情報発信サイトを立ち上げて、これまで何とか続けています。また、2011年からボランティアガイドの会にも参加しています。おかげさまで、実家の両親が何とか元気にしておりまして、様子見を兼ねて帰省の折にボランティアガイドを務めています。今年10月には富田林市観光協会の特別企画で外国人向け通訳ガイドツアーを開催しました。地元の皆さんには何かと御支援や御協力を頂戴しています。この機会に改めて御礼申し上げます。 さて、この度は寺内町連絡協議会結成についてお慶び申し上げます。まちづくりなどに関わる各団体や自治体が連携する新しい仕組みが機能してゆくことを願っています。今日の結成総会での記念講演について、春先にご依頼を頂戴しました。主催者から本日の総会会場をご提供頂いている「興正寺別院(御坊さん)について」話すように予めお題を頂戴しております。富田林寺内町に足をお運び頂きました来訪者の皆様に、日頃、私がボランティアガイドとしてこのお堂の中でお伝えしている内容をお話しします。ずいぶんと前置きが長くなりましたが、持ち時間が20分間ですので、ようやく本題に入ります。 |
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河内名所図絵(1801年) |
(富田林寺内町の成立) そして、南河内地方を治めていた領主から租税免除や寺内町(富田林村)の自治を権利として保障されました。戦国時代の最中にあって、安心・安全な地域コミュニティと経済的な繁栄を求める人々が周辺からどんどんと集まりました。いわばベンチャー起業家のように、富田林寺内町で新たな商売を興しました。その結果、江戸時代には商品作物の集散地、南河内地域の経済発展の要として大いに繁栄しました。 |
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(真宗興正派) |
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松図(狩野寿石秀信筆) |
(襖絵) 外陣と内陣を仕切る襖には、襖絵(障壁画)が描かれています。向かって 毎年12月14日には忠臣蔵討ち入りが話題になります。元禄時代の赤穂事件の原因となった江戸城内松の廊下での、斬りつけ事件の現場に描かれていた松の絵も同じ狩野寿石秀信が描いたものです。 |
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竹梅図(狩野寿石秀信筆) |
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(蟇股彫刻・二十四孝) 天井近くの梁の下の部分をご覧ください。この部分は蟇股(かえるまた)と呼ばれます。その形は、ちょうど蟇が手脚を大きく大の字のように広げた格好をしています。赤や緑などの鮮やかな色付けが施された彫刻が7つあります。これらは何れも中国の故事にちなんで彫られたもので、「二十四孝」と呼ばれています。古代中国から伝わる、二十四の親孝行に因んだ物語を纏めたもので、そのうちの7つが紙芝居のようにお堂の中に彫られたものです。 |
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唐夫人 |
左端は、一人の男性が雪山に分け入り、地面を掘って、まだ地中にあった筍を掘り出しているところです。病気で床に伏せっている母親の願いに応えて、孝行息子がまだ冬にも関わらず、雪の中から筍をようやく掘り出したシーンです。掘り出した筍を病気の母親に食べさせて、元気になったそうです。この人物の名前は孟宗と言います。孟宗竹の名前の由来になりました。 孟宗竹は中国・江南地方から日本に伝来し、筍御飯として春先に好まれる食べ物になりました。実は伝来したのは江戸時代中頃と言われています。実物の孟宗竹が日本に伝来するよりも前に、この本堂が建築されています。孟宗竹の彫刻が実物を見ずに想像により彫られたものかも知れません。 |
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孟宗 |
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江戸時代に寺子屋として使用された文献史料は残っていません。しかし、この本堂に地元の子供たちが集まり、読み書き、算盤、道徳を教えていたものと思います。江戸時代には孔子の教えである儒教が日本でも広く布教されており、二十四孝の親孝行の物語は子供たちへの躾の題材にも使われていました。このお寺が明治時代になってから富田林小学校の誕生に繋がって行きました。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
証秀上人像 |
(開基祭) |
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(学童集団疎開) また、12月8日は日本海軍が真珠湾攻撃により太平洋戦争が開戦した日です。戦況悪化に伴い、昭和19年夏に大阪市内から学童集団疎開が始まりました。 幸いにも富田林寺内町は戦火を免れました。また、高度経済成長時代には近代化の波にも洗われず、奇跡的に江戸時代からの歴史的町並みがそのまま残っています。 |
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さて、残りの時間では、私自身がインターネットを通じた地域情報発信やボランティガイド活動を通じて、言わば外部者と内部者の複眼的な視点から日頃まちづくりについて考えておりますことを述べたいと思います。私見であることを予めお断りしておきます。 先ず、まちづくりの基本理念について、「落ち着きと賑わいのあるまちづくり」が標榜されています。両立させることが難しい命題ではあります。実際に寺内町のイベント開催のときには、オレンジ色の幟(のぼり)旗が道端に大きく掲げられています。それぞれのお立場で、いろいろなご意見もあるでしょう。私は富田林寺内町らしさが溢れており、先人からの知恵が詰まったまちづくりの基本コンセプトであると思います。まちづくりに関わる全ての人にこれからも受け継いでもらいたいと考えています。 |
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次に、寺内町の魅力を伝えて、知ってもらうことが大切です。個性的で、魅力的なお店が増えており、私が運営する地域情報発信サイトでも来訪者の関心が一番高い分野です。インターネットや雑誌などでも特集記事として取り上げられることが増えてきました。 また、日本人はもとより、外国人旅行者(インバウンド)の来訪を増やすことは、まちの魅力を再発見することにも繋がります。2020年の東京オリンピック開催や2025年の大阪万博誘致活動を通じて、寺内町の認知度を高めていく絶好の機会と捉えています。 最後になりますが、古民家の保存・維持・活用についてお話します。寺内町の歴史的景観の中核に位置づけられる寺院や旧家の町並みは、それぞれの家主の私有財産ではありますが、維持・修理費用を含めて大きな経済的負担を伴います。旧家の建物には人が住み続けるなり、何らかの利活用をしてこそ、その価値を維持できる歴史文化遺産です。そうした価値を維持するために、利活用と負担軽減につながる新たな仕組み作りが求められています。 ちょうど持ち時間が来ました。これで私のお話を終えたいと思います。 |
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じないまち散策MAP | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
お店のインフォメーション(Food, Beverage,Guest House, Accessary & Handycrafts, Massage) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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じないまち探訪記 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
じないまち随想 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ご感想などお便りをお待ちしています。(管理人) |
(富田林市提供、禁無断転載)
富田林寺内町までの道順
寺内町へは近鉄長野線富田林駅又は富田林西口駅下車徒歩10分です。先ずはじないまち交流館へお立ち寄りください。
散策地図がもらえます
富田林駅前の観光案内所又はじないまち交流館で散策地図がもらえます。
立ち寄ってみたいお店
休憩所(トイレ)
じないまち交流館、寺内町センター、じないまち展望広場にあります。
車でお越しの方へ
寺内町は道幅が狭く、中には公共駐車場がありません。車でお越しの場合には、2014年2月に新しくオープンした富田林市営東駐車場(有料)をご利用ください。一般用の普通乗用車及び団体用のマイクロバス(1台分、市役所に要事前予約)を駐車できます。重要文化財・旧杉山家住宅まで徒歩5分、じないまち交流館まで徒歩15分。
尚、団体用の大型観光バスでお越しの際は、富田林市役所にお問い合わせください。宜しくご協力お願いします。
重要伝統的建造物群保存地区
富田林市富田林町の一部にあたる寺内町は、1997年(平成9年)に国から重要伝統的建造物群保存地区に選定されました。大阪府下では唯一の指定となっています寺内町にある約500棟の建物の内、江戸時代から昭和初期頃までに建てられた181棟の建造物が伝統的建造物に特定されています。保存地区内において通常道路から見える建物等の外観の現状を変更(増改築、改修、模様替え、色彩の変更、新築、除却など)する時には、予め市教育委員会・文化財保護課に申請して許可を得る必要があります。伝統的民家(町家)は白壁、板塀、格子戸など往時の姿のままに外観の保存・復元・修景作業を終えて、今も人々が生活の場として暮らしながら、素朴で静かな佇まいを今に伝えています。
寺内町の主だった商家には由緒・由来を記した案内板が設けられ、石畳の街路には路面灯を兼ねた道標や案内標識なども整備されています。電信柱の配置や各戸の電気メーターなどもできる限り目立たないような工夫が施されています。
また、寺内町では伝統的な町並み景観に配慮して、新しく建築される建物も周囲の景観に調和した外観となっています。
興正寺別院(富田林御坊)
真宗興正寺派、富田林・寺内町の成立と発展の中心となった寺院です。地元の人からは御坊さん(富田林御坊)として親しまれています。
応永年間(1394-1412年)に毛人谷(えびたに)御坊に草創。 永禄3年(1560年)に京都・興正寺第16世証秀上人が現在地に移建。
城之門筋に表門を開き、鐘楼・鼓楼を構え、本堂・客殿・庫裏などを配する。 表門は桃山調の高いもので、もと伏見城門のひとつが興正寺に寄与されたものをここに移建したと伝えられています。
団体でお越しの場合には、地元のボランティア・ガイドによるご案内も可能です。(事前のお申込みが必要)
ガイドのお問い合わせや事前のお申込みは下記のじないまち交流館までお電話ください。
じないまち交流館
〒584-0033
大阪市富田林市富田林町9-29
TEL.0721-26-0110
FAX.0721-26-0110
(午前10時~午後5時、月曜休館、12月28日~1月4日休館)