(第3編)
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放浪旅
乗客一人にはもったいないくらいの大型の綺麗なバスで津軽半島の果て、竜飛へと向かった。
車窓の右側に海が広がる。このあたりは陸奥湾というよりも津軽海峡に近く、波も穏やかではない。
右手に海、左手には急崖という窮屈な中を進んだ。漁港や民家などが道に沿うように続いた。
約30分で終点の龍飛に到着。「龍飛」なのか「竜飛」なのか迷うが、ここにたどり着いたときはそんな
ことを考える余裕はもちろんなかった。本州のどん詰まりに降り立ち、後はこの上にそびえる岬に立つ
だけだ。
日本唯一と言われる階段国道を登り切ると、そこが竜飛崎。何段あるか忘れたが、登り切ったあとの
眺望は9年ぶりでも記憶に残っている。階段の入り口までは民家の軒先を縫うように歩くが、日本で
最も幅の狭い国道なはずである。曲がるところを間違えて、少し迷ってしまった。運良く、雪かきをして
いたおじさんに道を尋ねて事なきを得る。
階段の入り口に来て、今さらながらその積雪の多さに驚いた。と同時に、いくつか大きな足跡がある
ことにも少し感謝しながら驚いた。今日は1月2日。しかもまだ朝9時前だ。ということは、元旦早々階
段国道を登り切った人がいるのだろう。まさか東京から下関を経由して来た輩はいないだろうが・・・。
一歩一歩、雪を踏みしめて階段国道を登り始めた。
階段を登るうちに、背後には津軽海峡が広がる。時折、振り返って白波の立つ海を見つめた。やはり
風が強い。雪は止んでいたが降っていたら猛吹雪であろう。
なぜか、登るほどに足跡は少なくなった。途中で引き返したのであろうが、実にもったいない。
寒いおかげで汗一つかくことなく階段を登り切ると、そこから先は階段ではない国道。灯台はさらに
上、今度は階段村道≠登り切ったところにある。すでに灯台は見えていた。
9年前にはなかった、津軽海峡冬景色の歌碑があった。もしやと思い、歌碑の手前にある赤いボタン
を叩くと、果たして『津軽海峡冬景色』のメロディーに続き、石川さん本人の歌声で歌が流れ始めた。
まさに、津軽海峡の冬景色が眼前に広がる地で聞く歌。真夏に聞いたらどんな気分だろうか。
それにしても、誰もいない岬に響き渡る演歌は、何と寂しくも心に強く響くものか・・・。
聞き終えたところで、今度は人の足跡のない階段村道を登る。突風が辛くなってきた。登り切ると、
まともに風に相対し、前に進むのも辛くなった。風が弱まった隙を突いて進む。積雪がほとんどないの
は、風が運び去ってしまうためであろう。背中のリュックがなかったら、身体ごと風に飛ばされていた
かもしれない。それほど強く厳しい風だった。海の上を、白い風が絶え間なく猛烈に向かって来た。
全身に力を込めて、真っ直ぐに立った。突き刺すような風。辛い。1700キロの旅の終わりは、猛烈な
風の歓迎(?)だった。空は、4日前の下関と同じ曇り空。しかし、小雨は猛烈な風を伴った雪に変わり
海は白波を立てて激しく打ち寄せる姿に変わった。振り返ると、雪に包まれた竜飛の集落と、勢いよく
回る風車。その遥か彼方からやって来た日本海北上の旅、ここに完結。また一つ、いい旅をした。
↑階段国道の中間点付近から見る竜飛漁港
←階段国道の終点。
津軽海峡を一望できる
あの名曲の歌碑→
その向こうに灯台が
(上)断崖絶壁に打ち寄せる波。海上の白い帯は吹雪。
(下)岬から振り返った風景。右端には風力発電の風車。