放浪旅
〜 第3編 壮大なる旅路の果て 〜
10両という長大編成でやってきた「スーパーおおぞら3号」だが、筆者の乗った車両は半分以下の乗車率。。人が居ない分、開放的な気分に慣れたのだが、普段はもっと短いと思われるがどういうことを根拠に10両にしたのだろうか。まぁ、こちらは車窓が楽しめればそれで良いのだが。
石勝線は南千歳を出るとたちまち、北海道らしい風景に変わる。牧場も雪一色に染まり、空と陸だけのシンプルな視界が続く。新夕張辺りからは山深い景色に変わり、長いトンネルの連続となる。当然、雪も深くなり、占冠・トマムといったあたりでは雪が視界の大部分を占める。あえて注文をつけるならば、どのくらいの交通量か知らないが高速道路の橋脚等の一切は視界の邪魔であった。
そういえば特急列車がトンネル内で火を噴いたか煙が出ただけか忘れたが、そういうトラブルがあったのはこの辺だったか。山岳地帯を抜けると、再び原野のような風景が続く。景色に見飽きたわけでもないが腹が減ったので、車内販売特製のアイスクリームを食す。今年も甘いものは欠かせない。車窓に家や工場などが増えてくると、帯広に到着。高い建物も多く、それまでの風景に目が慣れていたせいもあるのだろうが、大都会に見える。かなりの乗客を降ろして、釧路までは残り約1時間半となる。
話は旅から逸れるが、天気予報で(特に夏季)帯広と釧路の気温がかなり違うことが前から気になっている。帯広が内陸(盆地ではない)ということを考えても、10度以上違うこともあったはずだ。
その理由は分からない。高い山があるわけでもないし、強いて言えば十勝川が流れているが、それだけで10度もの気温の変化をもたらすとは思えないのだが。
距離にして約130キロ。無意味に置き換えると、東京と沼津の間くらいだ。
今日も移り行く車窓を見ながらそんな疑問を思い出していたが、答えは分からないまま、釧路に到着。途中で車両点検なんぞに数分かかったことが影響し、少し遅れての到着。元旦早々で賑わう改札口の外を尻目に、そそくさと乗り換えのためホームを移動。10両編成から1両編成への乗換えだ。
釧路〜根室間は花咲線という呼称で通っているが、花咲線の1両の車両は座席がほぼ埋まる程度の混み具合であった。
今までも何度か、途中下車をしたことのある路線だが、今回も根室に着くまでの間に1回途中下車が出来る。
ただし、その後の列車が通過せず停車することを確認できなければ悲惨な目に遭ってしまうだろう。
何しろ長崎と違って、間違いなく氷点下の寒さで路面は凍結している。長い距離は到底、歩きづらい。
釧路は晴天だが、東へ進むうちに曇り空になっていた。右の画像は厚岸湾・厚岸湖だが、いかにも寒そうな曇天の冬の海である。湖の一部は凍結していた。
この放浪記サイトのVol.11で紹介した尻羽岬は、おそらく右の陸地であるが、こうして車窓を眺めているだけで何年も前の旅のことがすぐに甦ってくるものだ。
それはどこかで見たことがあるような気がする≠ニいう錯覚にも似ているが、現在を旅しながら実は過去に遡って旅をしている、1度に2度の旅をしていることなのだろう。
釧路からちょうど2時間、根室に程近い昆布盛駅で下車。広大な海と風力発電の風車が目に入り、海岸まで行ってみたくなった。まだ15時過ぎだが日暮れ間近のような空の色で、次の列車が19時近くに来る頃はもう真っ暗であろう。駅に待合室はあるがプレハブ小屋のような建物で、ストーブはない。
ちょっと先が思いやられながらも、外に出て歩き出した。少し歩くと、草を食んでいる鹿に遭遇。全く人を警戒する様子がない。思わずこちらが身構えてしまったが、鹿が人を襲ったという話は聞いた覚えがないので、警戒する必要もあるまい。
そのまま歩いて、海岸まで出た。当然ながら、風が冷たい。
10年近く前に、今回降りた昆布盛駅の1つ隣の落石駅で下車し、落石岬まで歩いていったことがあったが、そのときは美しい夕焼けを見ることが出来た。が、今回はその雰囲気はない。
元旦だからだろうか、時折車が通るもののひっそりと静まり返っている。だいぶ暗くなりかけてきたが、次の駅まで歩いてみようか、じっとしているよりは身体も温まるであろう、そんなことを思いながら駅まで戻り始めた。ついつい、途中の自販機のココアに手が伸びた。
途中に神社があったので、そういえばと思い、手を合わせた。神仏には全く興味がないが、一昨年は元旦の早朝に、昨年は1月3日に乗換駅での待ち時間の合間に、それぞれ神社や寺を見つけて“初詣”を行っていた。これも一種の癖なのだろうか。今回もそれに倣った。
神社の管理者と思しきオジサマが横断幕を片付けていた。参拝を終えて歩きはじめたとき「どこから来たのか、これからどこへ行くのか」と聞かれた。根が正直なので、東京から長崎(最西端)へ行ってきて、最東端の納沙布岬へ行く途中・・・と、変人極まりない行程を話した。
そこからなんと思いがけない展開に。「次の汽車が来るまでウチで暖まっていきなさい」とのこと。何だか旅行番組のようだ。歩いていたときなどに、地元の方の車に乗せて頂いたことは3回ほどあるが、ご自宅にまで招いて頂いたのは初めてである。断る理由もなく、ご厚意に甘えた。
招いて頂いたご自宅には奥様(失礼ながら、オバサマと呼ばせて頂く)がいた。元来が人間嫌いで、しかも他人の自宅に上がるということに慣れていないので、どう振舞ったらよいか分からず借りてきた猫状態だったが、カニやウニをわんさか食べさせて頂き、こんなに美味いものかと驚愕した。
もっと賽銭を入れておくべきだったと変な後悔をしてしまった。聞けば、オジサンは漁師をする傍らで神社の管理もしており、ご長男は漁師を継いでいて家族で同居されているとか。ご長男夫婦は相手方の親御さんのところへ泊まりに行っていて、ご次男は東京で働いていらっしゃって年末年始は帰省しないのだという。何だかんだで、会話は絶え間なく続いた。
それにしても、某局の旅番組はヤラセかと思っていたが、このようなご親切を頂くと、田舎の方は本当に優しいのだなと実感してしまう。もちろん、こちらから休ませてくれとか泊めてくれなんて言ったら、警戒されるのだろうが。
別れ際、オバサマからは「実家に帰ってご両親に顔を見せてあげなさい」と言われてしまった。これは実に痛いセリフなのだが、この1時間半余りは実家にいたような気分だった。新年早々、大きなご厚意に触れた貴重な体験だった。
感激の余韻に浸りつつ、昆布盛駅から20分ほどで最果ての終着駅・根室に到着。着いた列車は慌しく折り返して去って行き、駅前は静寂に包まれていた。