VOL.1
サロベツ原野
VOL.2
室戸岬登山
VOL.3
日本海ヲ北上ス
(第1編)
(第2編)
(第3編)
VOL.4
津軽海峡
梅雨景色
VOL.5
まわり道
最果て行
(第1編)
(第2編)
(第3編)
VOL.6
厳冬の
道東一周
(第1編)
(第2編)
VOL.7
S字曲線で
離島の岬へ
(第1編)
(第2編)
VOL.8
目指せ!
本州最西端
VOL.9
日本半周
一筆書きの旅
(第1編)
放浪旅
(第2編)
(第3編)
VOL.10
続・日本半周
一筆書きの旅
(第1編)
(第2編)
(第3編)
VOL.11
リベンジ!
尻羽岬
VOL.12
前人未踏?!
本州一周の旅
(第1編)
(第2編)
(第3編)
VOL.13
東京発、
最西端経由
最東端行き
(第1編)
(第2編)
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本土最西端の神崎鼻を後にして、バスで松浦鉄道の駅へと移動。本土最西端を踏破した安堵感(?)と若干の睡眠不足、そして何よりバス待ちの間にじゃがりことおしるこ缶を平らげた成果で、バスに乗車後は眠ってしまった。江迎鹿町駅でバスを降り、次は本土最西端の駅を目指して列車を待つ。
〜 第2編 日本列島縦横断の年越し 〜
正確には、沖縄県にモノレールができた後、日本最南端と日本最西端の駅はいずれも沖縄県にある(筆者は沖縄渡航歴はない)。8年前に訪れた元・日本最西端と今回で、どのように変わっているのだろうと期待したが、降り立った「たびら平戸口」駅は前回と全く同じ『日本最西端の駅』のままで、かなり頑固であった。

余談だが、元・日本最南端の西大山駅(鹿児島県)は、沖縄モノレール後に日本最南端からJR最南端とか本土最南端というちょっとしまりのない表現に変えていたが、たびら平戸口は最西端に徹していた。次の列車までの1時間は、駅構内併設の記念品展示ルームを見たり年賀状の残りを書いたりしながら過ごした。
たびら平戸口駅を後にした列車の車窓右手には農村地帯、左手には時折海を見ながら、背後からは夕焼け空に照らされた。

伊万里へ向かう1時間の間、路線名にもなっている松浦市もあるのだが乗降客はわずかで、1両編成の列車で十分な客数であった。考えてみれば、人口も減っているのに鉄道の利用客が増えるのは奇跡に近いことであろう。何であれ、廃止せずに存続してほしい路線の1つである。

冬の日暮れは早い。終点の伊万里に着く頃はすっかり空は赤紫色に染まり、夕焼け空に覆われていた。
伊万里から博多まで2時間余り。昨日同様、すっかり暗くなった窓の外には何も期待することはできず、本を読んだり、居眠りしたり。唐津で福岡空港行きに乗り換えても、同じように退屈した。ちなみに、2年前の今日は西日本一周旅のルートで今乗っている区間の逆方向を予定していたが悪天候で不通となり、博多(天神)から伊万里まで高速バスに変更したものだった。あれから2年。。あのときは、これより壮大な旅はないと思っていたが、2年後の今、そんなことはないと気付く旅をしている。唐津でガラガラだった車両にも地下鉄区間(姪浜)から少しずつ乗客が増え、立ち客も出始める頃に博多に到着。
明けて、12月31日。大晦日は1年の締めくくりと同時に、旅の締めくくりでもある。今日乗車する列車は2つしかないが、そのうちの一つは臨時ののぞみ号。

今や少数勢力となりつつある普通の(?)700系で、窓ガラスが稀に見る汚さであった。これでは車窓風景など撮れない。通路に出て数枚を撮った。

その後は爆睡してしまい、広島・岡山といった途中停車駅で少し目覚めただけ。列車は快晴の山陽路を爽快に飛ばして2時間半、定刻に新大阪に到着。
新大阪駅構内は大勢の人で賑わっていた。北陸方面、南紀方面、近距離移動の新快速、どの方面も満遍なく人がいる。富山行きの特急サンダーバードを見送ったホームに、一瞬の静寂の後、他のホームにはない、ひときわ強いオーラを放ちながらトワイライトエクスプレスが入線。

そう、2000年から毎年、年越しの瞬間は動いて≠「るが今年の年越し列車は日本最長列車のトワイライトエクスプレス。廃止が相次ぐ中、いまや貴重な夜行列車である。なお、最長というのは走行距離のことで、大阪から札幌まで約1500キロを乗り換えなく走破する。
定刻に新大阪発車。21時間超という空前の汽車旅が始まった。予想はしていたが、超広角レンズで撮るパンフレットや画像を事前に見てしまっていたせいか、実際の車内は狭く感じたが、それでも天井は高く贅沢な空間であることに変わりはない。京都までの沿道にはカメラを手にした“ギャラリー”が多く見られた。この時期は毎日運行だが普段は隔日運行、しかも昼過ぎに通るとなればそうそう見られる列車ではない。滅多に見られない列車を撮るというのも、冬休みの楽しみなのだろう。
話は変わるが、日本海岸を走る『日本海』『きたぐに』の定期運行が3月で廃止と聞く。時代の流れとはいえ、トワイライトエクスプレスには末永く走り続けてほしいものだ。

京都辺りから空模様が悪くなったが、湖西線に入ると左手の山の車窓に雪が積もっている風景になり、それはそれで風情があって良いと納得。新幹線の車窓の変化に比べると当然ながらゆっくりとしていて、この時間の流れが一番いいと思っている。

湖西線の終盤、滋賀県北部の今津町のあたりで銀世界に変わっていた。湖西線の終盤、福井県に近づく頃にはその雪もかなり深く積もっている。この車窓の変化が楽しい。
列車は福井県に入った。左手から小浜線のレールが合流すると、程なく敦賀に到着。恒例の年末年始旅で何度も通り、ときには途中下車した駅である。敦賀を発つとすぐに北陸トンネルへ。トンネル入口脇には数十年前の列車火災事故犠牲者の慰霊碑があった。在来線では青函トンネルに次ぐ国内二番目の長さ(約13キロ)なのだそうだ。

トンネルを抜けると、雪深いことには変わりないが青空になっていた。先週あたりは日本海側の各地は大荒れだったようだが、今日は晴れていて幸いである。何しろ、3年前・2年前・1年前すべて運休や大幅遅延のトラブルに遭っている。移動距離が長いこともあるが、嫌なジンクスは続いている。今回も天気予報は概ね良いが、楽観はしていない。
福井を出て少し発ったころに昼食時間のピークを外して食堂車に行ったがこれが正解。かなり空いていた。少し迷ったが、最近カレーを食していなかったので、ビーフカレーを注文。食堂車自体が貴重な昨今だが、かなり久しぶりな気がする。微妙な揺れ、移り行く景色、高い単価・・・いずれも列車食堂にしかない特徴であろう。
食後に部屋に戻るとドアの鍵が開かないトラブルに遭ったが、事なきを得た。勝手にドアの内鍵がかかったらしい。
(第3編)
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