放浪旅
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第2編 四国半周で2005年締め!
いつものことながら、旅の最中はしっかりと起床できる体質。都合よくできた身体だとつくづく思う。
夜も明けきらぬうちの出発で、四国とはいってもやはり寒い。夜通し飲んだくれていたであろう人々を尻目に、徳島駅へと急ぐ。振り返って見える眉山山頂の明かりが綺麗であった。
ガラガラに空いている車内で、手足を伸ばして寛ぐ。これが鈍行列車の旅の醍醐味であろう。
そして、時折ユニークな駅に出会うことも、名も無き駅は容赦なく通過する特急列車では味わえない。上の画像は板野駅のホームで、四国一番とあるくらいだから八十八ヶ所霊場のスタート地点なのだろう。残念ながら頭のみが僧侶風で、それ以上のことは詳しくないので分からない。
ところで、この高徳線の車窓でも、ご多分に漏れず建設中の高速道路らしき建造物(?)があちこちで見られた。新幹線でも同じことが言えるのだが、いかに大都市と短時間で結ばれようと、地域振興には直結しないはずで、いつまで税金を使いまくるのだろうと思ってしまう。
都会人のエゴと言われればそれまでだが、山あり、川あり、田畑ありの風景の中にコンクリートの塊は永遠に調和しないだろう。
終点近くでは車内もかなり混みあってきたが、定刻どおり高松着。今回は通過点としての高松だが行き止まりのレールを見ると、ここが四国旅のスタートでありゴールであるなぁと感慨に耽る。
とは言ったものの、乗り換え時間も少ないので、うどんを食う間もなく多度津行きへ。ちなみに讃岐うどんはコシがありすぎてあまり好きではない。
途中に鬼無(きなし)なる駅が。瀬戸内は鬼退治伝説の地。なぜかゲームソフトの桃太郎電鉄の看板やモニュメントまで用意されている。桃鉄≠ナ日本地理を覚えたという輩もいたが・・・。
いろいろな車窓がある中でも、海はやはり素晴らしい。日高本線や五能線、紀勢本線など果てしなく広がる海を望むのも良いが、瀬戸内海のようにあちこちに島が点在する海もまた良い。
観音寺、伊予西条と乗り継いでいくうちに、そんな瀬戸内らしい海≠ェ広がる。
タオルの町・今治では長時間停車があったので駅弁を購入。これも瀬戸内名物・鯛めしを購入。さっぱり感が美味なのだが、反面、脂っこさが欲しかった。
さて、旅乞食の旅はTシャツを購入する旅でもあることは周知の事実だが、実は今回は全くたびTに恵まれなかった旅であった。昨日の奈良でも、今日の松山でも同様で、街中くまなく探せばきっとあるはず、というより作るべきだろう。大仏Tシャツとか、坊ちゃんTシャツとか、・・・
傷心のままに(?)予讃線の海ルートの列車に乗る。
わざわざ時間のかかる海ルートの列車を選んだのはもちろん、落日(夕陽)を見るためである。海に沈んでゆくのなら途中下車して撮ろうかとも思ったが、海に沈んでゆく季節ではなかった。この区間を落日の時間に通るのは2回目だが、曇天だった前回とは比べようもない美しい風景が広がった。
揺れる列車から撮っているため、水平線が斜めだったり窓ガラスが反射したりしているのが残念だがこの風景を見られたことに感謝。やはりいつの旅も晴天に越したことはない。
海ルートとはいえ、伊予長浜を過ぎると周囲は山に囲まれる。愛媛県も西部になると車窓にはミカン畑があちこちに広がる。
家にミカンの木があるというのはどういう感覚なのだろう。店で買うもんじゃないという感覚であろうか。スーパーに行って買うのが当たり前の世界に住んでいると、たまに不思議に思う。
それにしても、こうして地域目線≠フ旅をしていると、季節感が心行くまで実感できて嬉しくなる。
新幹線や航空機の移動では味わえない感覚である。
本日の宿、宇和島に到着したのは19時半過ぎ。ここも東京ほどではないが寒い。
ホテルの食堂で夕食。これは余談だが・・・ウカツにもメールを開いてしまったところ、職場の部下から真面目な仕事メールが届いていて幻滅してしまった。旅の間に仕事のアイデアが思い浮かぶことはあるのだが、こういう形で現実世界に呼び戻されるというのは・・・
今年も残すところあと1日。静かに夜が更けて行った。
松山から宇和島までの移動は4時間以上。普通列車だから途中に長時間停車があったりはするのだが、想像以上に長距離である。途中の伊予大洲付近で日が暮れた。
真冬の旅なので日照時間が短かいのは当然だが、今日は四国の東端から西端へと動いた旅だけあって、車窓に富んでいた。