放浪旅
(第2編)
20世紀最後の年から毎年、年越しの瞬間は列車や船の中で移動している。
サンライズ出雲、利尻、オホーツク、ドリームつばめ、日本海、宿毛フェリー、まりも・・・
そして今年は「ドリームにちりん」。夜行列車が次々と姿を消していく中で、いつまでこの移動年越し≠継続できるだろうか。
グリーン車を奮発したかいあって、座り心地抜群のシートでぐっすりと眠った。翌朝、宮崎県の高鍋で普通列車に乗り換え、日向新富駅で下車。目的はもちろん、海から昇る初日の出である。
物好きな読者ならご存知かも知れないが、2年前もこの付近で初日の出にトライした。
6時過ぎでまだ暗い中を、2年前よりも若干南下した地域の海岸へ向かう。途中の道で野良犬とすれ違うなど、スリリングな行程を経て、地元の人々が大勢集っている海岸へと来た。
結果は・・・水平線から昇る朝日には出会えなかったが、それでも太陽は輝かしい光を放ちながら雲間から姿を現した。ほとんど2年前の再現のようだったが・・・この2日間の荒天を思えば有り難い太陽であった。
しかし、画像となったものを改めて見直してみると、朝日も夕陽も見分けがつかないものである。ただ、食品その他の偽装に事欠かない昨年であったが、自分の撮った画像を偽るようなことだけはするまい。
寒い冬の海とはいえ、水平線の彼方まで見える海はいつまで見ていても飽きないものである。陽が高く昇り始めると、見物客は次々に引き上げて行った。その後気付いた。「海は静かなほど美しい」
日向新富では2時間近く滞在した後、宮崎へと向かった。宮崎に着く頃に腹が減ったので、地味ながら「きのこ弁当」を買って車内で朝食とした。今年最初の食事がキノコ。別にどうでもいい話だが・・・
都城は10年前に他界した祖父の生まれ故郷だが、特に親戚がいるわけでもないので、感傷に浸る間もなく、そそくさと吉都線に乗り換え。8年ぶりくらいの久々の乗車で、車窓など全く記憶に無い。
都城に至るまでの日豊線の車窓でも、吉都線に乗り換えてからの車窓でも、霧島連峰の雄姿はひときわ存在感がある。霧島に限らず、桜島や阿蘇、雲仙など九州の名峰はそれほど標高は高くないのだがなぜだろうか。上、下の画像はいずれも頂に雪を被った霧島(韓国岳)である。
吉都線の1時間余りの車窓のほとんどに霧島の雄姿があった。天候は朝の晴天が嘘のように(もっとも、朝は海側に居たのだが)、空は暗く雪まで舞い始める悪天候であった。未だに、九州=温暖な地域という思い込みから一歩抜け出せない筆者にとっては、かなり堪える寒さであった。
吉松からは、肥薩線の観光列車しんぺい2号≠ノ乗り換え。鹿児島県と熊本県の県境は急峻な道のりで、急勾配ありループありスイッチバックありのまさに山岳路線だが、高速で通過できないことを逆手に取ったJR九州の観光政策で、下の画像のような観光列車が活躍している。ちなみに「しんぺい」とは、かつての鉄道院総裁・後藤新平氏に由来している。筆者も、死後でいいから『旅乞食号』を走らせてほしいと切に願うばかりである。できれば、枕崎発・稚内行が望ましい。
雪が舞い、寒風吹きすさぶ荒天ではあったが、スピード最優先の時代にあって車窓を楽しみながら移動できるのは、ある意味贅沢である。贅沢だからこそ、車内も観光客で満員であるし、途中の停車駅でも皆、列車から降りて写真撮影などに興じている。
この区間は2年ぶりの乗車で、その前に乗ったこともあるので何となく車窓は記憶にあるが、おそらく今後何度乗っても飽きることはないだろう。ちなみに、この区間の詳細は当サイトの『STATION』で特集しているのでぜひ、参照されたし、である。(以下、URL)
車内の喧騒とは裏腹に、車窓は静寂だった。今日の乗客の大半(というよりもほぼ全てと思われるが)は観光客で、地元の人は列車に乗るどころか、住んでいないかも知れない。山に閉ざされた県境であれば無理もないが、行き交う人がなければこの路線もいつまであるとは限らない。吹雪の彼方に、日本三大車窓の一つ・・・というアナウンスが空しく響いた。
約35キロの区間を1時間以上かけて走りぬいた「しんぺい2号」は、定刻に人吉に到着。
温泉の町として有名なので初風呂といこうかと思ったが、駅前の旅館では温泉は休みとのこと。土産物売場は開いていたが、やはり元旦早々に開いている温泉などないのだろうか。
ちなみに、城崎以来の温泉たびTを物色したが、無かった。