VOL.1
サロベツ原野
VOL.2
室戸岬登山
VOL.3
日本海ヲ北上ス
(第1編)
(第2編)
(第3編)
VOL.4
津軽海峡
梅雨景色
VOL.5
まわり道
最果て行
(第1編)
(第2編)
(第3編)
VOL.6
厳冬の
道東一周
(第1編)
(第2編)
VOL.7
S字曲線で
離島の岬へ
(第1編)
(第2編)
VOL.8
目指せ!
本州最西端
VOL.9
日本半周
一筆書きの旅
(第1編)
史上最低の奇行文
〜其の九  日本半周!一筆書き旅 の巻〜
 >>> 中途半端な旅人が中途半端な画像と中途半端な文章で綴る <<<
放浪旅
1年間の中で最も長い旅に出られるのが、年末年始。今回は「目的地を聞かれても答えにくい旅」。目的地なき旅とは・・・6日間におよぶ日本半周東日本一周=@しかも同じルートを二度通らない、一筆書きの旅である。あえて言えば、目的地は東京ということになる。
12月28日、東京駅の新幹線ホームは思ったほどには混んでいなかった。新潟までの新幹線が発売
開始後早々に残席わずかとなっていたので、テレビニュースで流れるような、ホーム一面に帰省客ビッシリの光景を思い浮かべていたのだ。

しかし、7時ちょうどに出発後、上野・大宮と停車していくうちに満席となった。帰省客のほか、スキーや観光と思しき人が多数。当然のことながら、これから日本の東半分を一周し、1月2日の夜に再び東京駅に戻ってくる予定の旅人は私一人のようだった。
タクシーで、新日本海フェリー乗り場へ向かう。今日1日の残りの時間は、日本海を北上する小樽行きのフェリーで過ごす。強い北風の吹きつけるフェリー乗り場は、乗船手続き待ちの人々でごった返していた。そして、想像だにしない世界の前触れとも言えるアナウンスが流れた。
「海上が大時化(おおしけ)のため出発時間の遅れが予想されます」
東京を発って1時間余、大多数の乗客は越後湯沢で下車した。
金沢方面への乗換駅でもあるが、あまりの大移動に、越後湯沢を出発した車内はまるで山間のローカル線のようにひっそり静まり返った。

ちなみに、小説「雪国」さながらに、群馬・新潟の県境を越えるトンネルを抜けると白銀の世界であった。雪の少ない冬と言われているが、少なくとも越後湯沢近辺は立派な冬の車窓となっていた。

それでも、山地から離れて新潟に近づくにつれ、再び雪のない車窓となった。定刻どおりに新潟到着。
ようやく始まった乗船手続きで、窓口の事務員は「小樽到着は6時間程度の遅れが見込まれます」と、こともなげに言う。

乗船手続きで散々待たされている間には一言もアナウンスがなく、窓口にたどり着いた途端に言うのだから、商売が上手い。

その瞬間に取りやめて列車で北海道を目指すのも勇気がいるし、何より今回のこだわりでもある、一筆書きが不可能になる。

結局、チケットに遅延了承済≠ニスタンプを押され、出航も2時間以上遅れて12:45であった(定刻は10:30)。
大時化とはいえ、港内にいる間はそれほどの揺れでもなかったが、新潟港から沖合いに出ると、海の状況は一変した。これほど荒れ狂う海を間近で見たことはなかった。

真っ直ぐに立っていられず、真っ直ぐ歩こうとしても自然に欽ちゃん走り≠ノなってしまう。これではさすがの大型フェリーも、通常よりスピードを落とさないと波に飲まれてしまうだろう。

「船の安全航行には問題ありません」とのアナウンスが空しい。地震なら震度5〜7相当の揺れだったはずで、あの揺れを思うと、首都直下型地震が来ても驚かないかも知れない。
今までの経験から、船酔いなどしないとタカをくくっていたが、本を読んだり年賀状を書いていたら、たちまち気持ち悪くなってきた。テーブルに載せた「じゃがりこ」がひっくり返ってこぼれたほどの揺れ。レストランも営業を休止し、その後、折り詰め弁当の販売に変わった。大浴場も営業中止。楽しいはずの船旅はサバイバルレースの様相だった。

海面から相当高い位置にある(4階)所まで波しぶきがかかる。これだけ大揺れの船に乗るのも初めてだから、当然これほどの大波を見るのも初めてである。貴重な経験ではあるが、200年に1度の経験でありたい。寝台席を取っていたが、横になっても上下・前後・左右の不規則な揺れはひどく、苦悶の時間が続いた。それでも、いつの間にか眠ってはいたが・・・
普通の揺れに戻ったときは(おそらく積丹岬をまわったあたり)すでに朝の9時を過ぎており、この時間にまだ船にいるということは、この後の予定も大幅変更である。結局、7時間40分遅れの12:10に到着。乗船して出航を待っていた時間を含めると、24時間以上この船にいたことになる。

ちなみにその日(29日)夜のニュースを見ると、前日の朝乗った上越新幹線をはじめとする新幹線各線がシステムトラブルとやらで運休するなど大混乱したようで、新潟までたどり着けないことを考えれば、とんでもない悪夢の時間だったが、北海道に上陸できただけよしとするべきか。
船を下りてもまだフラフラしていたが、早々に小樽港を後にした。さらに北を目指さなければならないが、予定していた宗谷岬は断念。

何とも残念だが、致し方ない。

今日(29日)は北オホーツクの町・浜頓別に宿を取っている。稚内〜宗谷岬を廻って南下するプランだったが、船の遅れで予定変更。

気を取り直して鉄道の旅が始まる。

最初は小樽駅からスタート。北海道の天気も悪い。どんよりとした空と海を見ながら、快速列車で札幌を目指した。
13時過ぎに札幌到着。
毎年のことだが、年賀状はほとんど旅の間に書いている。今回は船の中で書き終える予定だったが大揺れのため数枚に留まった。その数枚を札幌駅前のポストに投函。札幌は勤務先の本社があるが(29日は仕事納め)、素通り。誰かに見つからないよう、無意識に背を丸めて歩いていた。
次のページへ
(第2編)
(第3編)
VOL.10
続・日本半周
一筆書きの旅
(第1編)
(第2編)
(第3編)
VOL.11
リベンジ!
尻羽岬
〜第1編  波乱の果てにたどり着く北の果て 〜
VOL.12
前人未踏?!
本州一周の旅
(第1編)
(第2編)
(第3編)
VOL.13
東京発、
最西端経由
最東端行き
(第1編)
(第2編)
(第3編)