史上最低の奇行文
〜其の七 S字曲線で目指す離島の岬 の巻〜





第1編 強風に後押しされて、九州へ
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放浪旅
VOL.1
サロベツ原野
VOL.2
室戸岬登山
VOL.3
日本海ヲ北上ス
(第1編)
(第2編)
(第3編)
VOL.4
津軽海峡
梅雨景色
VOL.5
まわり道
最果て行
(第1編)
(第2編)
(第3編)
VOL.6
厳冬の
道東一周
(第1編)
年末年始を放浪しながら過ごすという、旅乞食本来の姿になれるこの紀行(奇行)も、早いもので7年目となる。今回もまた、直線でない曲線の旅路。スリルと感動、驚きの連続であった。
(第2編)
2007年12月29日。仕事を終えると一路、東京から西へ。福山に宿を取り、30日からの奇行に備えた。そう、今回のS字曲線旅≠フスタートは広島県福山市である。福山をスタートにしたのは、まだ乗ったことのない福塩線と、長い旅乞食歴の中でも一度しか乗ったことのない(それも10年以上前)三江線に乗るためである。

30日の朝、雲は多めながら朝焼けに染まる空の下で旅の始まり。年末恒例となった旅先で年賀状投函≠済ませ、駅に向かう。福山駅の北口は初めて通ったのだが、上の画像のとおり、城が近い。殿様もさぞかし通勤が楽であろう・・・と時代錯誤も甚だしいアホなことを考えながら、福塩線に乗車。空いている車内の一角に腰を下ろした。
滑り出しは朝焼けに追われながらの車窓で上々だったが、あっという間に空は曇り始め、気が付けば雨から雪に変わっていた。天気予報は一切見ていなかったので、なおさら驚き。

特に、府中を過ぎてからの区間は、車窓も田園風景から山間のそれに変わり、寒々とした雰囲気に満ちていた。山陽と山陰を分け隔てる中国山地の分水嶺に向かっていることを実感した。

乗換えを含めて3時間近くをかけ、中国山地の中央部・三次に到着。わずか4分の乗り換えで三江線乗り継ぎ。そそくさと階段を駆け上がり、乗り換えホームに急いだが・・・
VOL.7
S字曲線で
離島の岬へ
(第1編)
旅に不測の事態は付き物だ。この日、三江線は10:02発予定の列車が、途中区間の倒木(竹)の影響で2時間程度到着が遅れているという。・・・ということは、折り返し列車も2時間程度遅れて出発?と、改札にいた駅員に聞くと「そうですねぇ〜、すみませぇん」と、実にのんびりした答え。しかし、この軽率な質問とその回答が、後で悲劇(見ようによっては喜劇)を生むことになる。

駅の待合室でボーッとしているのも勿体ないし、何よりじっとしていると寒い。そこで、駅周辺を散策することにした。駅の北方に馬洗川という川があるので、そこまで歩いた。が、空模様がみるみる変わり、あっという間にかなりの雪が舞い始めた。舞い始めたというより、明らかに降り始めたという状態。山の天気は変わりやすい。そして、旅に不測の事態は付き物であった。

駅に戻ると、あれからまだ1時間程度で、相変わらず三江線は現れない。昼前だったが、駅構内のお好み焼き屋に入って空腹を満たした。広島市内から三次は離れているが、お好み焼は全くの本場の味で最高に美味かった。すっかり満腹になって11時30分ごろ駅に戻ると、明らかに雰囲気が違う。
何と、人が呑気にお好み焼を食っている間に列車は到着し、早々に折り返して行ったのだ。
そしてここからが、不測の事態のオンパレードとなるわけだが、そもそも三江線の折り返し列車とは9:16三次着。これが2時間程度の遅れだったので、着いてすぐ折り返せば、確かに11:30には居るはずもない。出発10:02を基準に2時間遅れと信じ込んでいたアホ旅人と、適当な返事をしたマヌケ駅員との競演劇であった。

なお、後日談であるが、このことを駅常設の投書箱に入れたら、ご丁寧に三次駅長からお詫びの電話が来た。筆者も仕事上、クレーム対応は日常茶飯事なのだが(泣)、この駅長のお詫びの仕方は少し参考になった。行ってしまった列車を悔いても戻ってくるわけもないので、また乗りに行こうと思った次第である。
中国山地の真ん中で取り残された感はあまりなかった。今日の宿・益田へは高速バスで出雲市へ出て山陰線を西進するか、広島へ出て新幹線と山口線を経由するか、の二択があった。なお、木次線は論外であった。S字曲線の旅の出だしである。迷わず、出雲市経由を選択。

広島発〜三次経由〜出雲市行き、という高速バスは1日5往復以上あった。ほぼ満席の車内の、最後尾の列の中央席が空いていたので腰を下ろす。三次からの乗客は筆者一人。三江線や芸備線などの陰陽連絡各線の本数が著しく寂しい理由が分かった。単純だが、安くて早いのである。

窓側ではなかったので凝視したわけではないが、三次から先の出雲市までの中国山地はかなりの降雪であった。標高はそれほど高くはないが、降雪はそれに比例しないようだ。途中途中で帰省客と思しき乗客を降ろしながら、14:20頃に出雲市到着。三次から2時間余りであった。
出雲市も含めた山陰線の前後は、強風によるダイヤの乱れで大混乱していた。つまり時刻表どおりではなく、再び三次での悪夢が甦る。益田までは特急なら2時間足らずで、三江線に乗っていた場合と同じ時刻に着けるくらいなのだが、それどころではなかった。列車が止まったら元も子もない。

海沿いの風光明媚な美しい車窓が期待できる反面、このようなリスクも伴うものだ。ここは動き出すまで我慢するしかない。駅構内の喫茶店でケーキセットを食しながら、残りの年賀状を全て書き終え、駅前のポストに投函。空いた時間に出来ることを片付ける癖は、最近の数少ない収穫である。

1時間ほど待って、浜田行きの鈍行列車に乗る。1両編成の車内は大混雑。それでも止まらずに進めば良いのだが、3駅目の江南駅で1時間ほど立ち往生する羽目になった。辺鄙なローカル線に数多く乗ってきた旅乞食でも、これほどまでに悪天候の影響を受けたのは初めてだった。

運転士(兼車掌)氏が各乗客に行き先を聞いていた。代行バス等の措置が取られるのかもしれないと思い、運休〜代行バスも覚悟したが、この際、益田までたどり着けるのなら何でも良い。
上の画像は、載せるに値しないほど粗いが、田儀駅停車中に車内から撮ったものである。
強風のピークは過ぎたようで、途中で上下線すれ違いのための停車も重ねながら、19:47に浜田到着。益田までもう一息だが、次の特急列車まで1時間以上あるので、駅前のラーメン屋に入った。
店内には、大立ち往生した先の鈍行に乗っていたという旅乞食≠ェいた。
氏は、横浜から宮崎に帰省するのに上越線を経由して新潟方面に出て、日本海づたいに下関へ出、九州へ渡ってからも熊本〜鹿児島を経由して宮崎を目指すという。何がそれほど実家への道のりを遠回りさせるのか知らなかったが、今日は益田の先の長門市に宿を取っていたそうで、本日中の到着を諦めていた。

予定を変更して益田に泊まることにしたという氏の言葉に嫌な予感を覚えながら、青春18きっぷを手に鈍行の旅にこだわる氏に別れを告げ、特急列車に乗る。

益田到着は21:40。長い一日だった。
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(第2編)
VOL.8
目指せ!
本州最西端
VOL.9
日本半周
一筆書きの旅
(第1編)
(第2編)
(第3編)
VOL.10
続・日本半周
一筆書きの旅
(第1編)
(第2編)
(第3編)
VOL.11
リベンジ!
尻羽岬
VOL.12
前人未踏?!
本州一周の旅
(第1編)
(第2編)
(第3編)
VOL.13
東京発、
最西端経由
最東端行き
(第1編)
(第2編)
(第3編)