放浪旅
史上最低の奇行文
〜其の五 まわり道して最果て目指せ の巻〜
第1編 本州脱出!
>>> 中途半端な旅人が中途半端な画像と中途半端な文章で綴る <<<
あらゆることに『早さ』『効率』を求めることは、非常に悪い風潮だと思う。
時には、あわただしく動き回る世の中を尻目にゆっくりと、のんびりとしていたいと思う。
そこで思いついた旅が、目的地まで直線ではなく曲線で移動する、究極のまわり道旅。
往路と復路を異なるコースで移動するので、ブーメラン旅ともいう。
目指すは鹿児島県の南西端・坊ノ岬。 時流に逆らう旅乞食の真髄を、とくとご覧あれ。
夜も明けきらぬ東京駅の午前6時。
この日はムーミンのような新幹線車両で一路西を目指す。と言っても、乗るのは名古屋までで、名古屋から先は今回の本題であるまわり道の旅となる。
実はこの6時発「のぞみ1号」は仕事で今年何回か乗ったので、1年を振り返るのに一番良い列車となった。
思い出深いのは、2月初旬に乗ったとき。デジカメ持って来れば良かったランキング≠フ1位にランクされる日で、朝焼けの富士山が見事だったのだ。
そんなことを思い出し、東京を発った。
寝不足が祟って途中うつらうつらとしてしまったが、期待通り日の出を拝むことはできた。上の画像は時速300キロの車内から撮ったものではあるが、その眩しさだけは表現できたと思う。
ちなみに2月に衝撃を覚えた朝焼けの富士は、この日は不発。中腹より上に雲が多く、何よりも12月29日と2月初旬では当然日の出時刻も違う。
名古屋からは関西本線に乗り換え、奈良を目指す。
実は亀山までの間は熟睡していたため記憶がない。寝不足とはいえ、心地よい暖かさ、適度な揺れ、眠らずにはいられない環境である。亀山ではスッキリしたところでまだ書いていない年賀状を書き投函した。1年前、下関や山陰の各都市で投函した記憶が甦る。
亀山からは山の中を走る。遠くの山々には雪が残る。首都圏は雪が少ないが、今年は各地で雪が多いと聞く。下の画像は途中駅の柘植(つげ)。さすがに山の中、冷え冷えとした空気に曇り空だったが、伊賀上野が松尾芭蕉の出生地だったなど初めて通るに相応しい新発見ができた。
旅乞食も平成の松尾芭蕉となるべく、旅を続けよう・・・。
三重県と奈良県の県境を抜けると、やがて都市近郊の車窓に変わった。加茂で乗り換え奈良へ。
奈良駅は初めて訪れる駅で、古都ならではの何かがあるのかと思っていたがごく普通の駅で、まぁそんなもんだろうと勝手に納得した。奈良はおそらく大阪のベッドタウンだろうから、いくら古都であっても旅人に都合よく作られる駅になるべきではない。それでも立派な駅舎が保存されていた。
それはさておき、昼飯で入ったうどん屋で流れていた羽越本線の転覆事故のニュースだが、行方不明といわれていた謎の親子(?)が実はすでに下車していた人ではないかという内容であった。やはり周囲の客の記憶に残っておくことは重要なのかもしれない。
「これから四国に渡って鹿児島の枕崎に行きます」と声高に叫んだら、きっと誰かには覚えられることだろう。勿論そんなことはしないが。
奈良での空き時間を駅前散策したが、たびTはなかった。失意のうちに和歌山を目指す。観光地=たびT盛り沢山 でないことは百も承知だが、やはり残念。
地理勘がないと意外に思うことは多いもので、奈良〜和歌山には普通列車(鈍行列車)しかなく、それも3時間かかる。
あまり行き来はないのか、鉄道など使っている場合ではないのか。乗客は決して少なくなかったが、途中の吉野や高野山への拠点で入れ替わった。
車窓には紀ノ川の流れが広がった。
和歌山港での待ち時間に年賀状をセッセと書き上げる。本州で全て書き終える予定だったが、誰に書いて誰に書いてないか、のリストを失くしたようだ。公私ともども書類の管理が杜撰で恥ずかしい限り。残りは船内で書くとして、夕暮れ時の和歌山港へと進む。
冬の日暮れは早いもので、出航後ほどなく空は真っ暗になった。
海は穏やかだが、さすがにデッキに出ると寒い。淡路島の沿岸の明かりがポツポツと見える演歌な世界≠堪能した後、船内に戻って残りの年賀状書き。何とか四国上陸前に書き上げて徳島港で投函。年賀状にも消印が付くと面白いと思った。
徳島港からはバスで徳島市街へ。こってりした徳島ラーメンを食した後、本日の宿泊地へ。
明日も天候は良いようで、四国4県を巡る旅が楽しみになってきた。
和歌山からは南海電車に乗り換え、和歌山港へ。今年の残り2日間は四国で過ごす。
これも地理勘がないと意外に思うかもしれないが和歌山〜徳島間の船便は多い。
この便は3年半くらい前に乗ったことがあるが、そのときも(GWだったこともあるが)混んでいた。