放浪旅
(第3編)
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第3編 九州上陸! 坊ノ岬への道
この日は駅から20分くらい歩いた先にある海沿いの『グリーンホテル福住』に宿を取っていた。
残念ながらこの日は、初日の出より初日の入り≠フほうが美しかった。最後の一片が水平線の向こうに消えてゆくのを見届けてから、宿へ。
夕食は、枕崎名物の鰹が美味かった。
史上初の、海の上での年越し。
12月31日の23時30分に雨降る四国南西端・宿毛を出航したフェリーは豊後水道を横切り、大分県の佐伯に1月1日の2時30分に到着。
と言っても、この3時間の間は全く記憶がなく(当然外の様子も見ず)熟睡していた。
そのため、宿毛の待合室で死ぬほど話を聞かされたおっちゃんと、途中からよせばいいのに会話に加わってきた都城の友人宅へ遊びに行くという青年と3人で、口を揃えて言った。
「全然新年を迎えたっつう実感がないね〜」
宮崎県の太平洋岸(日向灘と言うようだが)は、初日の出を撮れと言わんばかりに真東を向いていることに数年前から気付いていた。そこで、海上年越しと並ぶ今回の主目的を、初日の出キャッチ≠ノしようと決めていた。佐伯から「ドリームにちりん」と普通列車を乗り継いで川南駅で下車。
しかし、物事万事上手くいくはずがない。海岸には大勢のギャラリーが焚き火をしながら日の出を待っていたが、太陽が顔を見せたのは雲間からのほんのひとときだった。
水平線から昇る朝日を見てみたいものだが、雨降りよりマシだと諦めるしかなかった。
ただし、指宿枕崎線の後半・開聞岳に迫ってゆく車窓は、天候が冴えなくても見入ってしまう。
2年前の元旦に登頂して以来の開聞岳。今回は眺めるだけだが、中腹に雲がたなびく様子は風格を感じた。麓の菜の花も、そんな姿に文字通り彩を添えていた。
東京生活のせいか、元旦というと『穏やかに晴れ渡る日』という印象から離れられない。
しかし今日はうす曇りで」、霧島や桜島の車窓もイマイチ。だからと言うわけではないが、乗り継ぐたびに爆睡。一体何しに旅に出たのか分からない・・・
都城からは特急に乗車したため、なおさらすわり心地の良い車両で、日頃の睡眠不足を再認識する旅となってしまった。
交通手段が高速発達化する現代に、東京出発から3日後にやっと鹿児島の端までたどり着く。
改めて振り返ると、こんな旅を好んでするのは、我ながら変人だと思う。
開聞岳を背にするとほどなく終着駅の枕崎に着くわけだが、北の最果て・宗谷本線の稚内付近や東の最果て・根室本線の車窓ほどの雄大感はないものの、広々と畑が広がる様子はやはり果ての地であることを実感させた。途方もない旅路に、この瞬間でしか味わえない充実感があった。
枕崎を訪れたのは3度目。本数が少ないので、じっくりと下車したことはなかったのだが、今回はここで1泊することもあり、ゆっくりと歩いて回った。
さすが市≠セけあって駅前は小さくまとまっている感じだった。
灯台をあしらったモニュメントには
『日本最南端の始発駅』とある。
自分の中のイメージでは終着駅なのだが、始発駅のほうが言葉の響きが良いのかもしれない。どちらにせよ、ようやく最果ての地にたどり着いた。
ところで、右の画像のとおり、枕崎駅の構内は線路1本でホーム1面に屋根もなく、実に殺伐としている。
稚内や根室と比べると非常に地味で、それがまた最果て感≠演出しているわけだが、見ようによっては廃線後にも見えてしまう。
なお、1日の発着本数は各6本。
マイカーやバス路線が発達している地域とはいえ、廃止は免れてほしい線の一つである。
街中に出て、俗世に身を投じると(?)、今日が元旦であったことに気付く。
駅から数分歩き、小高い丘のような公園へ。
凧揚げしている爺さんと孫、サッカーボールと戯れる父子。ありきたりの光景がそこにあった。
振り返った眼下には東シナ海が広がっていた。
公園の敷地の一角に、枕崎神社があり戦没者を祀っていた。ここまでの旅の無事に礼を言い、同時に今年一年の戦勝祈願=B
1年前は風雪強い青森県深浦町の円覚寺で同じことをしたなと思い出し、一瞬感慨に浸った。
時の経つのはなぜにこれほど早いのか・・・。