第3編 壮大なる旅路の果て 竜飛崎は風の中
放浪旅
(第3編)
1
最終日の朝、5時に起床する。この5時起床というのも旅だからできることで、普段の生活ではとても
できないことである。外はまだ真っ暗だが、晴天であることは考えられない。今日も寒空の下を旅する
ことになろう。旅のゴール・竜飛崎に立つ姿を一瞬想像し、ホテルを出る。
青森発6:05の津軽線に乗車。なにしろ、この列車を逃すと5時間も待つ羽目になるのだ。この列車
はなぜか特急用の車両を使用しており、普通列車にもかかわらずゴージャス気分を味わえた。
しかし、窓の外は徐々に明るくなってきたものの曇り空に小雪舞う天気。津軽の旅は厳しい。
←駅名標だけが煌々と輝く青森駅
列車で北海道へ向かうとき、途中の蟹田までは必ず津軽線を通るのだが、終点の三厩まで行くのは
実に9年ぶり。本数が少なく、行くチャンスもなかった。9年前の車窓の記憶はほとんどない。覚えて
いるのは、そのときも冬だったこと。次は冬以外の季節に来よう・・・。
蟹田で下車し、乗り換え列車を待つ。いつの間にか、雪が深々と降っている。乗り換え客は数人、皆
無言で列車を待っていた。日常、寒いながらも青空の日がほとんどの東京で暮らしている自分などは
毎冬このような天候の下で暮らすのは心底苦しいことだろうなと思うのだが、実際はどうなのだろう。
冬だから寒い所へ旅をする、せっかく寒いところに来たのだから雪が降っていたほうが良い、しかも
猛吹雪なら素晴らしい旅の記憶になる・・・・・これが本音なのだが、現地で生活している人々にとって
甚だ迷惑な旅人のエゴであろう。蟹田駅の太宰小説の碑を見ながらふとそんなことを思った。
蟹田を出た津軽線は次の中小国駅で津軽海峡線と分岐する。蟹田までは海沿いの区間もあったの
だが、ここから先は雪の原野を行く少し寂しげな旅となる。途中の停車駅でもほとんど乗り降りはなか
った。駅の周辺には家や学校とおぼしき建物が集まっていたが、それ以外はほとんど何もない。おそ
らく畑や水田なのだろう。今はただ雪一色であった。
そんな車窓風景が、陸地の果てに向かっていることを実感させた。一旦は離れた津軽海峡線と津軽
二股駅で隣接した後、海峡線は青函トンネルへと向い、津軽線は津軽半島の果て・三厩へと向かう。
ほどなく、終点三厩へ到着。数人の乗客は下車した後、再び同じ列車に乗り、去って行った。駅員は
いるものの、静寂の駅に一人。下関から4日間、1,695キロの列車の旅はあっさりと終わった。
レールが途切れたので、列車による旅はここで終了となったのだが、駅前に停車中のバスで陸地の
途切れる竜飛崎へ向かう道がまだ残っている。ここで旅が終わったような錯覚に陥ってしまった。
終着駅はそんな気分にさせるものである。少し中途半端な気持ちになったが、旅の終着は竜飛崎、
と思い直してバスに乗り込んだ。乗客は自分ひとり。文字どおり孤独な旅となって、ゴールの地へ。
ストーブの暖かさがありがたい待合室
↓雪に埋もれかけていた無人駅
蟹田は風の町・・・この日は風に乗った雪がホームに(上) 北海道へ向かう海峡線と分岐(下)
津軽線の終着駅・三厩(みんまや)に到着。下関から1,695.2qの地
あまりの経由路線の多さに
最後は手書き・・・