放浪旅
(第2編)
翌30日は空はどんよりと曇り空。天気予報を観ると、これから向かう方面はかなり激しい雨の予報。乗りまくる旅とはいえ、天気は良いにこしたことはない。
というのも、山陰本線では2年前の年越しに乗ったときにも強風による立ち往生があったのだ。苦い記憶が甦るが、安全最優先が当然であろうから仕方ない。
朝の米子駅で、昼食用の吾左衛門寿司(鯖)をゲットしつつ快速「アクアライナー」へ乗車。辛うじて座席にありつけるくらいの混雑だった。
米子を8:30に発つこの列車は、終着の益田まで乗りとおせば12時過ぎに着くが、それも味気ないということで、どこかで途中下車しようと思っていた。雨の中の散策も嫌なので、空模様を見ながらということにしたが、松江を過ぎたあたりから雨が降り始めた。こういうときの予報はきれいに当たるものだ。傘は持っているのだが、どこかで降りるか、このまま乗り通すか・・・迷いが始まった。
出雲市、大田市、温泉津・・・と車内の乗客は要所要所で入れ替わるが、それほどに空く気配はない。長大ローカル線といわれる山陰本線であるが、まだまだ沿線の道路網も未発達なのだろうか。
ボックス席ではないため、時折身体をねじらせて海を見る。波しぶきが白く、高く、荒い。いかにも冬らしい風景で、これぞ冬の日本海。
列車は緩やかな川面の江の川を渡り、江津に到着。米子から2時間半が経っていた。遅延はなく、一安心。しかも雨が止んでいる。午前中が雨のピークという予報だったが、それも当たったか。
江津駅での数分の停車時間にホームに出た。端まで行くと、三江線との分岐が見える。西の只見線=iと、勝手に名付けた)という本数の極めて少ない路線と実態を知っているからこそ、そのレールに哀愁を感じる。いつまでもこのレールが残っていれば良いのだが。
再び列車に乗り、下車支度を始める。次の停車駅、都野津で途中下車することに決めたからだ。下車候補地は事前にいくつかあったが、一度も訪ねたことのない地がベストだ。都野津に到着したときはほとんど体感できないくらいの小雨。このままもってくれと祈る。
史跡関係にはほとんど興味がないが、10分少々歩いて着いた海は、はるか太古の昔の物語の地ということで驚いた。案内板が古く錆び付いて読めたものではないが、何の変哲もない地にこのような所縁があるとは。詩人でも歌人でもない一旅人だが、詩でも作りたい気になった。
画像を見て頂いてもわかるとおり、晴れ間も覗くほどに天気が回復していた。風も冷たく寒いが、前日の小舞子海岸ほどではない。足下は降った雨で柔らかくなっており歩きづらかったが、砂浜が美しい。真っ青な空の下であれば、なおさら映えるであろう。人一人いなかったが、ゴミが目立った。温暖化は自然現象で防げなくても、環境破壊は防げるはずだ。暫く佇んだ後、都野津駅へ戻った。
都野津から20分余りで浜田に到着。昨年春の桜の季節に訪れて以来だが、駅舎が高架に新しく生まれ変わっていて驚いた。しかしそれ以上に、土砂降りの雨が降りだして驚いた。都野津の海岸散策中に降られていたらと思うとゾッとする。運が良いようだ。
浜田から益田まで特急「スーパーおき」に乗る。土砂降りの雨の中、定刻にやって来た。増結しても4両編成というところが悲しい。車内で、「吾左衛門寿司(鯖)」を食す。朝はホテルのバイキングをたらふく食ったにも拘らず、大好物だけにスイスイ平らげた。相変わらずの無芸大食だ。
吾左衛門寿司を食して満腹になったころ益田に到着。乗り換えた列車で眠ってしまうだろうと思っていたら、乗り換えた長門市行き鈍行列車は1両編成で、座席にありつけない客も多数の満員だったので、列車最後部で立席とする。
周囲に鉄道マニアが多数・・
益田から下関の間は特急列車もない区間で、まさにローカル線となるのだが、その車窓の多くは海沿いのしかも海面に近い高さである。天候の悪さゆえ窓ガラスが汚いが、それを差し引いても列車の旅の醍醐味の車窓≠楽しめる区間である。
狭い地に、道・民家・線路がひしめくような風景が多い。ちょうど、人と人が肩を寄せ合って生きているような風景にも見える。荒野に一見ポツンと佇むよりも密集することによって、厳しい寒さから身を守っていけるのかも知れない。
東萩〜萩あたりでは海からは離れるが、その後は再び海沿いを走る。見飽きない風景であったがやがて長門市に到着。
長門市で山陰線の下関方面と美祢線との二手に分岐するが、乗客は意外にも美祢線のほうに多く移ったように見えた。
乗り換え後の山陰線の列車では座席を確保。天気も回復してきており、わずかながら日本海に沈む夕日に期待できそうだ。
長門市を出てからは海沿い区間は減り、寒村の中をコトコトと進む雰囲気に変わる。再び海に出くわす小串で下車。
2年前は下関の手前の福江駅で落日を拝んだ(と言っても不発だった)ので、今回は小串駅で駅前徒歩3分の海岸へ。空は夕焼け色に染まるも風が強烈で、これは全く2年前と同じだ。この旅が始まってから最も寒い思いをして駅に戻った。おしるこ缶の温かさがいつものことながらありがたい。
日没後の小串から先は外も真っ暗で、ただ乗っているだけの移動となる。下関から関門海峡を立ち席で越え、九州に上陸。小倉から快速列車で眠ったり起きたりするうちに1時間余りで博多到着。駅ビル内の博多ラーメン店が開いており、食糧運の良い1日だった。それにしても、博多も寒い・・・。