12月31日。昨日まで順調にきたが、今日ばかりは最悪の事態も想定しなければならない。どこで足止めを食らうかによって、代替ルート等をいくつもシミュレーションした。もちろん順調に行くに越したことはないのだが。朝7時に起床し、ホテルの部屋のカーテンを開けると・・・あたり一面の銀世界。雪が上空を舞っている。一瞬、この弘前ですでに身動きが取れないのではないか?と不安になった。
〜 第2編 南へ、西へ 〜
放浪旅
(第2編)
ホテルの目の前にある弘前駅まで行くまでにも大量の雪が身体に積もった。
駅改札で「五能線は止まっていないのですか?」と聞くと、「はい、今のところは」との返答。語尾が気になるが、気象はリアルタイムであるからいつストップがかかるか分からない。もっともな答えであろう。
雪の舞う中、リゾートしらかみ2号は定刻に発車。意外にも、ほとんど遅れなく進んだ。
五所川原からの津軽鉄道は強風のため不通との車内アナウンス。津軽平野の地吹雪が容易に想像できた。スリルたっぷりの旅である。ちなみに五所川原から鯵ヶ沢までの間、津軽三味線と民謡の車内コンサート(?)があり、自分の席の近くだったこともあるがその迫力に驚いた。どことなく物悲しい乾いた音は、四季の中でもこの真冬が最も似合う気がする。
鯵ヶ沢からが本物≠フ五能線。ときには波打ち際を走るかのように海に接近する。素晴らしい風景と危険は隣り合わせでしばしば強風や高波で不通になるわけだが、今日の天候は五能線にとっては問題ないのかも知れない。列車は順調に日本海岸を南に進んだ。弘前や五所川原のときに比べて雪の降り方が弱く、幸運としか言いようがない。
こうなると、途中の岩舘で途中下車して、車窓から一瞬見える幻の灯台≠訪ねてみようかという欲求が甦ってしまう。こういうときの迷いは、結構しつこいものだ。
結局、この後天候が急変するリスクを考え、秋田まで乗り通すことにした。東能代から奥羽本線に入っても油断はできない。昔に比べてかなり慎重な人間になった、と思う。
13時ごろ、八郎潟で強風のため運転見合わせとのことで、やはりあまり想定していないところで事件は起きるものだ。幸い大事には至らなかったが、この先も油断はできない。
結局「しらかみ2号」は、30分程度の遅れで秋田到着。大勢に影響のない遅延で助かった。運の良さで言うと、昨日通ったばかりの山田線や花輪線はこの日、雪で不通になっている。
秋田駅構内のカフェで「こまちロール」を食した。どんな緊急時でも、甘いものは絶やせない。
秋田からは酒田行きの普通列車に乗り換え。空はというと曇天で雪は小康状態だ。2両編成の座席がほぼ埋まるほどの乗客。定刻に発車したが、実はこの区間を最も恐れていた。
全ての区間ではないが、日本海に沿って走る地域が多く、酒田付近の庄内平野は特に強風のイメージが強く、頻繁に不通になっている区間でもあるからだ。
しかし、今回は相当ツイている。全く遅れなく酒田まで到着したのである。秋田〜山形県境のあたりで日没が近づく時間となり、空は暗くなったが、遠くのほうでは夕焼けのような朱色の空になっていた。
車窓から見る限り、風もそれほど強くない。まだ目的地の新潟までは遠いが、強風や大雪で不通という最悪のシナリオは免れそうな気がしていた。
次の列車は新潟行きの特急「いなほ14号」だが、5年前の冬、突風で脱線転覆した列車である。その惨事以来、各線で風規制が強くなった経緯がある。
駅のアナウンスが、しきりに特急が定刻どおり運転されていることを繰り返していて、こちらの想像していることを見通しているかのようだ。空席の目立つ特急に乗り込む。外はもう真っ暗だ。
この区間も日本海に接近する区間で、昼間に通りたいのが本音である。羽越線随一の車窓・笹川流れは真っ暗で、窓の外に目を凝らすと白い波飛沫が絶え間なく打ち寄せる様子だけ見えた。何とも不気味な黒い海であった。
数分の遅れで新潟に到着。新潟は雷が光り、雹のような雨が降る悪天候。それほど厳しい寒さは感じなかった。予報が大袈裟だったのか、こちらがあまりにも強運なのか、何とか新潟までたどり着いてこの旅の前半がほぼ終了。
駅前にファミレスがあったので、約2時間入る。紅白歌合戦が流れる待合室で年越し列車の出発を待つ定番風景とは全く異なるが(と言うよりも年末っぽさが全くない)、PCの充電が無くなるまで時間を潰していた。
今年の年越し列車は今や貴重な寝台付き急行「きたぐに」だが、三段寝台は窮屈なのでA寝台を奮発した。
時折冷たい強風が吹きつける中、22:58の定刻に発車。昨年は宮崎、その前は北海道、その前は・・・と、過去の年越し列車を振り返ってみると、つくづく時の流れの早さに気付かされる。感慨に耽るうち、元旦0時は長岡あたりで迎えた。今年一年も四季折々多種多様な風景に出会いたいものだ。
車窓はもちろん真っ暗であるが、雪一面の平原が広がっていることは見てとれる。やがて柏崎を過ぎると、列車は徐行運転に入った。強風のためであろう。陸と海の狭い隙間を縫うように走る、日本海縦貫線のハイライト区間でもある。
眠気も忘れて、暗い車窓に目を凝らした。鯨波、青海川、笠島・・・大波が白い横一線となって次々に海岸を白くしていた。岩や波消しブロックをはるかに超える波飛沫。見たことはないが、津波はこのような感じなのであろうか。
翌朝(というよりもう日付が変わっているので早朝か)6時過ぎに起床のため、惜しい気もするが直江津を過ぎたあたりで就寝。この徐行運転の分だけ、遅延するのであろうが寝不足は旅の大敵ゆえ、寝ることにした。