放浪旅
2008年最後の日、12月31日。網走で迎えたこの日は道東から道南を廻って本州へと向かう日である。夜も明けきらぬ早朝に小雪舞う網走を出発。天候が良くないのが気がかり。
早朝の列車だけあって1両の車内は空いていたが決してガラガラではなかった。網走と釧路という2都市を結ぶ唯一の鉄路の存在感を見た気がした。
オホーツク海は荒れていた。6年前、初日の出の眩しさに目を細めたを見た北浜も、11年前に流氷のスケールに驚嘆した浜小清水も、風に舞う雪が時折真横に流れていく。
知床斜里を過ぎると2日間に渡って車窓を共にしてきたオホーツク海とお別れ。分水嶺を越えて太平洋側へと向かう。
相変わらず空模様は悪いが、対向列車とすれ違った緑(左の画像)から川湯温泉を越えると青空が広がってきた。
この天候を分けるように聳えるのが硫黄岳で、ゴツゴツした威容が車窓に見えるが、車内にいても硫黄臭がした。
硫黄岳を背にして摩周に到着すると、空はすっかり晴れており、乗客も大勢乗ってきて車内は満席になった。
早起きしたためか、車内が暖かいためか、摩周を過ぎてからは少々居眠りしてしまった。釧路湿原の真っ只中は、一見すると何もない殺風景な車窓だが、シンプルイズベストの言葉にもあるとおり見飽きることはない。ただ、茅沼では駅に隣接してタンチョウヅルが現れたり、シカが線路を横切ったり列車に接近したりで、乗客の目を楽しませていた。シカも列車の本数が少ないことを知って線路を怖がらないのだろうか。やがて列車は市街地へと入り、定刻に釧路に到着。過ぎてみればあっという間だった。
釧路といえば湿原、炭鉱、漁業といった言葉が連想されるが、もはや炭鉱はなくホームの端に飾られた太平洋炭鉱の海底炭が、日差しを浴びながらも物悲しさを漂わせていた。
道東の冬は晴れていて寒いというイメージがあるが、今回もそのイメージのままでいた。乗り換えた根室本線の車窓からは太平洋の大海原がしばらく続きはるか先の水平線に目を凝らした。
北海道の広さは天候に表れる。この日、北海道の内陸部や日本海側・オホーツク海側は大荒れで飛行機ダイヤも乱れたようだが、道東は右・下の画像のとおり晴天。
また、特急でなく各駅停車の旅なので天候の移り変わりもゆっくりと感じる。昼近く、十勝川を渡って池田に近づく頃から雲が多くなってきた。釧路から3時間余り、帯広で途中下車。
帯広といえば豚丼。いつ以来か忘れるほど久しぶりだったが、一口二口で味を思い出す。この味はどこの店でも味わったことがない。これだけでも、来た甲斐があったというものだ。
満足して店を出た後は、この度で唯一の経路逸脱(?)で十勝平野のど真ん中、中札内村・更別村へ向かった。曇りがちなのが残念だが、夕暮れ時の大雪原を撮れる機会はそう滅多にない。迷うことなく、帯広から1時間のバスの旅に出た。
遡ること約9年前の真冬、広尾から帯広へ向かうバスから見た大平野の夕暮れの雪景色は、今も鮮烈に目に焼きついている。
そのときの風景があまりにも強烈だったせいか、今回の風景は全くと言っていいほど及ばないが、どこを見ても雪一色という広大さは変わらない。人も建物もひしめき合う都会が、同じ世界とは思えない。
時折吹き付けるあまりにも冷たい突風が、じっと佇んでいたい旅心の邪魔をした。帯広へ戻るバスの中では、ひたすらトイレを我慢していた。
天気はイマイチだったが、列車やバスの乗り継ぎだけでは味わえない旅の醍醐味を実感し、再び日本半周一筆書きに戻る。
すでに外は真っ暗で車窓は楽しめないが、毎年のことながら年越しの瞬間が迫っているとなぜかワクワクしてくる。
深々と冷える新得駅で途中下車。2年前の年越し旅でも途中下車した駅で、駅前のイルミネーションなど全く変わっていなかった。
約1時間の待ち時間の後、特急「とかち」で南千歳へ。帯広で買っていた駅弁版の豚丼はガラガラの自由席内で食した。
ところで、新得〜新夕張間のみ乗車の場合は特急でも『青春18きっぷ』で良く、下車せずに乗りとおす場合は『全区間の乗車券と特急券』が必要・・・ということを初めて知り、何か腑に落ちない気分になった。
南千歳では待合室で紅白歌合戦が放映されていた。
過去の年越し旅をつい思い出す。
今年の年越し列車は「はまなす」。伊達紋別あたりで新年になる。眠かったがすぐ寝る気にはなれず、暫く車窓の外の灯りなどを見て過ごした。ふと、時の経つのが早く感じられた一瞬だった。