放浪旅
1月3日。8時前の新幹線で広島を発って、向かうは新大阪。東京行きの新幹線だが、そのまま帰っては面白くも何ともない。出張で本州一周しているわけではないのだ。清々しい青空の下、快走した新幹線は1時間半で新大阪に到着。
2日前の城崎温泉や姫路で一筆書きの夢は潰れたが、予定通り行っていたとしたら、上り新幹線に乗り続けることにより京都でルートが重複してしまう。それを避けるため大阪から奈良や和歌山方面を経由して名古屋に向かう必要があった。
ただし昨年の西日本一周旅で、四国から和歌山へ渡って紀伊半島を一周したので、今年は同じルートは通らず、奈良を経由して関西本線で名古屋へ抜けることにした。まず大阪からは大和路快速で奈良を通りつつ、加茂へと向かうルートを採った。
大阪環状線を左回りに半周する車窓では、大阪市内は意外に閑散としていた。朝とは言え10時を過ぎているのにあまり人の気配がないのだ。正月とはこういうものなのか。皆、箱根駅伝でも見ているのか。大阪ドームや通天閣を左に見て、列車は天王寺へ着いた。
天王寺から先はだんだんと車窓がのどかになって行った。奈良県に入ると刈り入れの終わった荒涼とした田んぼが広々と連なる風景が目立つ。いつの間にか高架化されていた奈良駅では多くの乗客が降りた。初詣客であろう。
5年前の年越し旅、東京から本土最西南ともいうべき鹿児島県坊ノ岬を目指したときに初日に通って昼食を取ったのがここ、奈良だった。突然そんなことを思い出してしまう。それが旅を続けている醍醐味なのだが。
加茂からは本数も激減、電車からディーゼルカーに変わり、6両編成も2両編成に縮まってローカル線化する。これほど急変するのはありそうであまり多くは無いように思う。県境(京都⇔三重)の移動は少ないということか。
それでも座席がほぼ埋まるほどの乗客を乗せて、一路東へ。途中の伊賀上野は松尾芭蕉の出生地。これも5年前に通って
初めて知った。草津線との乗換駅、柘植で乗降があった後、車窓には加太(かぶと)越えと呼ばれる車窓が広がる。意外に高地を走っていることに驚いた。
それにしてもこの6日間で、最終日の今日が最も天気が良い。朝からずっと晴れており、こんなときに限ってまとまった時間の途中下車がないのが勿体無い。ということで、亀山到着後、45分程度のインターバルがあるので駅前を小散策してみることにした。
地元の人にはとても失礼だが、駅前に出たところでこれといって何もない退屈しそうな駅であった。が、目の前に大きな鳥居(?)があり、そこで2011年になってから初詣をしていないことを思い出した。ちなみにこの旅のでは4日前の足湯の際に神社に行った。駅前にある周辺地図を見てみると、徒歩圏内に寺があるようだ。
毎年の年末年始を放浪しているくせに何が初詣だ、と思われるかもしれないが、今まで大抵は新年早々に神社や寺に(偶然ではあるが)遭遇していて、一応そこで手を合わせていた。昨年などは元旦早々に降り立った四国の宿毛港のすぐそばに神社があって立ち寄った。神仏に興味はないが、つい行ってしまう。
今年は珍しく、元旦も2日も神社や寺に遭遇しなかった。もしかしたら、列車の遅れが気になっていて気付かなかっただけなのかも知れないが。
地図で見つけた寺(本久寺というらしい)へと歩いてみた。途中から急坂になった。久しぶりに坂道を歩いた気がする。息が上がったころ、寺の前にたどり着いたが寺の名も書いていない何とも殺風景な寺だった。敷地の片隅に墓があったので、寺であることは間違いなさそうだ。
中に入ってみたが賽銭箱もなく、初詣どころか初肝試しのようなひっそり感が漂っていた。もとより神仏への信仰心は皆無に等しいので、大した問題ではない。不法侵入なんとかで通報さえされなければ・・・。
とりあえず、と手を合わせ1年の旅の安全を願った。同時に、全く矛盾する話なのだが、今年人生が終わることがあれば、どうか旅の間にお迎えをお願いします、と願った。これは、旅乞食としてどうしても拘りたい最期の姿である。そんなことを願っている初詣客など居ないだろうが。
亀山駅に戻り、名古屋行きの快速を待つ。あと2列車でこの旅も終わる。旅の最終日というのはいつも空虚な気持ちに支配されるもので、これは旅の長さに関係ない。
亀山を発ったわずか2両の列車は、あっという間に満員になった。大都市・名古屋に向かう日中の列車が2両しかないとは驚き。混雑するのは目に見えている気がするのだが。
数分の遅れで名古屋到着。ひつまぶし弁当を買ってホームへ。予想どおり帰省客と思われる人々でごった返していた。列車も車内に立ち客が居る大盛況。
15時前に名古屋を発つ「こだま」を選んだのは、新富士駅付近が日暮れの時間で富士山が夕焼けに染まる姿を見たかったのだ。そのため、進行方向左側の窓側席を押さえていた。
しかし、この旅の後半はことごとく当てが外れていた。最後の最後にもそれを象徴するように、富士山は裾野がやっと見える程度。どう頑張って説明しても富士山に見えないかも知れない。ガックリして、その跡は熟睡してしまった。
次に目覚めると、懐かしい都心のイルミネーションが。過密ダイヤの影響なのか、停止し、徐行し、数分遅れで東京駅に到着した。
雑踏の中に紛れても、そこから離れても、東京の空気は暖かい。それは、寒空の下の本州を一周した身体だからこそ感じる体感温度かも知れない。また1年後に、さらに壮大な旅をすることを楽しみにすることとしよう。