VOL.1
サロベツ原野
VOL.2
室戸岬登山
VOL.3
日本海ヲ北上ス
(第1編)
(第2編)
(第3編)
VOL.4
津軽海峡
梅雨景色
VOL.5
まわり道
最果て行
(第1編)
(第2編)
(第3編)
VOL.6
厳冬の
道東一周
(第1編)
(第2編)
VOL.7
S字曲線で
離島の岬へ
(第1編)
(第2編)
VOL.8
目指せ!
本州最西端
VOL.9
日本半周
一筆書きの旅
(第1編)
放浪旅
(第2編)
(第3編)
VOL.10
続・日本半周
一筆書きの旅
(第1編)
(第2編)
(第3編)
VOL.11
リベンジ!
尻羽岬
VOL.12
前人未踏?!
本州一周の旅
(第1編)
(第2編)
(第3編)
VOL.13
東京発、
最西端経由
最東端行き
(第1編)
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別府では、フェリー乗り場やその付近の土産物店に、旅乞食を歓迎しているのか錯覚するほどTシャツが陳列されていた。もちろん、TシャツはたびTだけではないのだが、別府温泉ネタのTは以前複数ゲットしていたので、高崎山サルTを購入。長旅のためリュック中身は多いのだが、それによってたびT購入を諦めるほど半端な趣味ではない。
30分くらい歩いて別府駅に着き、ちょうどホームに停まっていた各駅停車に乗った。大分での約1時間のインターバルは年賀状書きで過ごしたので全く退屈せず。陽が短く、次の列車「ゆふ6号」に乗る頃には外は真っ暗で勿体無かった。

大分から特急2本で佐世保まで。九州の東端から西端まで横断することになる。出来立ての豊後牛めし弁当を購入し、かなり空いている車内の一角に腰を下ろした。途中の湯布院から乗客はあったものの、今回の旅で最も空いていた。
美味い弁当を食して、当然のように睡魔の襲来。寝たり起きたりを繰り返しながら、鳥栖で乗り換えのため下車した。30分の待ち時間の後、「みどり27号」に乗車。夜遅いし、どうせこれもガラガラだろうと思ったら、ほぼ満席の混み具合だった。終点の佐世保に着く頃は半分以下に減っていたが。

すぐ後ろやその周囲に家族連れ客が多く、小さい子の騒がしい声が気になってしょうがない。女性専用車両よりクソガキ専用車両が必要であろう。もちろん筆者はおとなしく我慢していたが、気分を紛らわそうにも車窓は真っ暗だし、隣の席の乗客もデブで圧迫感があり、1時間半が結構長く感じた。

話は変わるが、「1年間」というのはあっという間だなぁと最も感じるのはこの年越し旅乞食のときである。旅録手帳をめくってみると、ちょうど1年前の今日は山形新幹線や北上線の車窓に雪景色を見て、寒風に吹かれながら風景写真を撮っていた。

3月に被災した釜石→宮古の山田線に乗ったが夜だったので、昼間にまた乗ろうと思ったのも、ちょうど1年前・・・。そんな感傷に耽っているうちに、22:20の定刻に佐世保到着。着々と本土最西端へ近づいている。もちろん、佐世保駅に降り立っただけでは実感はないのだが気分は高揚してきた。
12月30日の朝は、ホテルの窓から朝焼けも見える天気。長時間の歩行があるので天気が良いに越したことはない。佐世保から30分余り、本土最西端への最寄り駅は松浦鉄道の小浦駅。朝早い列車には乗客もまばらで、まさか同じ行程を歩む人はいないであろう。

朝の佐世保駅と、発車後しばらくの間の車窓にはにわか雨が見られ少々不安にもなったが、次第に晴れ間が広がった。同じ県内の長崎をはじめ、多くの海沿いの都市がそうであるように、佐世保もまた坂の多い町であることが車窓から伺えた。
小浦駅の下車客は筆者1人。
8:55、いよいよ本土最西端へ歩みを進める。

10月初旬に青森の夏泊崎を歩いたときは推定距離35キロで、それに比べれば半分以下と思われる(道が曲線ばかりで、正確な距離を測りづらい)が、当時と荷物の重さが違い今回のほうが重い。ただ思ったほど寒くはないので、それほど疲労せずに行けるような気がしていた。

多くの区間は車道と歩道を隔てるガードレールがある県道だったので、車を気にせず歩けた。
年々、“走りたい欲”は失せていって、代わりに“歩きたい欲”が旺盛になってきて異常な気がしている。しかし、歩き終わってからいつも、よく歩く気になったなと呆れてしまう自分もいる。

今年を振り返ると、昨年に続いて富士山に登った。登りで8時間の歩き。それを経験すると、「富士山に比べたら○時間も短いから」というモノサシができてしまい、歩きたい欲に拍車がかかる。

そして、歩いているときは決まって“無心”である。だから途中に何があったとか、どの辺までどのくらいの時間を要したか、ほとんど覚えておらず撮った画像で振り返ることが多い。
海辺だったり山中だったり、意外と多いアップダウンを繰り返し、変化に富んだ歩きで1時間以上経ったあたりから、ようやく『本土最西端神崎鼻入口まで●キロ』 というような看板に出会う。無心で歩いているとは言え、こういうものがないとモチベーションが上がらないのもまた事実。

一方で、ゴールが近づいていると知ると途端に足が痛くなってきたりする。まだまだ気持ちの部分が弱いようだ。

途中の風景は農村だったり漁村だったりするが、すれ違う人から老若男女問わず「こんにちは」と声を掛けられるので、いい意味で違和感を覚えた。余談だが、筆者はあまり挨拶は好きではなく得意でもない。今回もやや顔を引きつらせながら挨拶を返した。不審者としてインプットされていなければ良いが。

ゴールまでのラスト1.8キロは民家の並ぶ集落を歩く。「本土最西端の民家」なんてあったら面白いだろうに。

こういう所で決まって飼い犬にギャンギャンと吠えられるのだが、今回も同じ目に遭い、興ざめした。それでも気を取り直して歩くと、ごく普通の海浜公園のような佇まいの地にたどり着き、海岸を歩くと「日本本土最西端の地」の碑が建っているのを発見。目的地に着いたときの感激は他には言い表せない。

小浦駅出発から2時間20分。意外に早く着いた。釣り人が数人いる海岸は、波が穏やかで風も弱く天気も良い。

本土最西端をかみしめるように1時間半も滞在した。その間にやってきた人は数人。「日本」最西端ではなく「本土」最西端であるが故の目立たなさだろうか。確かに、目の前の海の向こうには島影がいくつも見えるので、本当に最西端かとも思ってしまうが、島は九州とは陸続きでなく離島なのであろう。
本土最西端は公園緑地になっていて、ご丁寧にも本土の最東端・最南端・北端の場所と説明のモニュメントまであった。左の画像である。

まるで筆者がこれから本土最東端へ向かうのを応援してくれているかのよう・・・というのはあまりにも強引なこじつけだが。。

ただ、最東端がどれだけ東か、おさらいしてくれるような資料(?)だったことは確かで、まずは本土最西端の全てを五感に沁み込ませた。


12:45。神崎鼻を後にした。
さぁ、最東端へ行くぞ!
(第2編)
(第3編)
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