放浪旅
VOL.1
サロベツ原野
VOL.2
室戸岬登山
VOL.3
日本海ヲ北上ス
(第1編)
(第2編)
(第3編)
VOL.4
津軽海峡
梅雨景色
VOL.5
まわり道
最果て行
(第1編)
(第2編)
(第3編)
翌1月2日は、新春恒例(?)の岬詣で。
浮世の人々は初詣が当たり前と思っているようだが、旅乞食は岬詣でである。

今年は南さつま市(旧坊津町)の坊ノ岬。
雑学的知識としては、この岬のはるか400キロ先が戦艦大和轟沈の海。

レール上での最果ては昨日(1月1日)の枕崎で終わったが、この旅の終着はあくまでも坊ノ岬。陸地の果てまで旅は続くのである。
いつのときも、岬探訪には無謀と冒険が同居する。

かつて長崎県の野母崎を訪れたとき、山中に迷い込んで遭難(?)し、結局灯台を遠目に見ただけで終わった不完全燃焼があった。

猛烈な吹雪で視界ゼロと化し、オホーツク海に沈みそうになった真冬の宗谷岬。

燃えるような落日に我を忘れて見とれてしまい、帰路は暗闇の凍結道路を歩いた3年前の岬詣で(落石岬)。
今回は、一応コンビニで道路地図を立ち読みし、岬の場所と最も近いバス停を確認。自分にとっては抜かりない準備であった。が、地図の記憶を頼るのは甚だ危険極まりないことにまた気付いた。
バス停から岬へ入る道を2度も間違え、1時間近くロスしてしまったのだ。
結局、間違えてたどり着いた漁港で、赤ら顔の漁師のおっさんに正しい道を聞いて再出発。
雰囲気的にはイノシシが出そうな山道だったが、道は途中まで舗装されていて歩きやすかった。
上記の画像は、そんな道の途中にあった廃屋の屋上から撮った坊ノ岬灯台(真ん中からやや左)で
撮った場所から灯台へは一回山を下り、再び山に登らねばたどり着かない。

ちなみにその廃屋は窓ガラスが割られていたので、恐る恐る中を覗くと2004年5月でカレンダーが終わっていた。畳は腐食しているように見え、うっかり入ったら床が抜けて誰にも発見されずじまいだったかもしれない。なお、視界の範囲では死体は見えなかった。
天気は今ひとつで、一時小雨がぱらついたが旅に支障が出るほどのものではなかった。この岬の特徴は、アップダウンの激しさだろうか。一度山を下って海面とほぼ同じ高さまで下りてから再び山を登らなければ、灯台までたどり着かない。しかも灯台は海面からかなり高い位置にある。
やがて灯台が近づくと、一歩踏み外せば奈落の底という道になり、風も強く吹き付けるようになった。
歩くこと1時間余り、坊ノ岬灯台に到着。
嘘のような話だが、到着直前から晴れ間が広がった。
風は突風だが冷たさはなく心地良い。

1年前は立っていることもままならない吹雪の竜飛岬。
それは昨年一年の自分を暗示していたようで、風当たりの強い∴齡Nだった。

その点からいうと、今年はアップダウンの多い一年になるのかもしれない。風当たりが強いよりはマシか・・・東シナ海の大海原を眺めながら、そんな岬占い≠ノ耽った。
帰路のことを考えなければならないのが本業の旅乞食ではないゆえの悲しいところだが、1時間足らずの坊ノ岬灯台滞在はあっという間に過ぎた。
バス下車後のここまでの道のりを思えば至極当然だが、誰も居なかったうえに誰もやって来なかった。そもそも、人が来た形跡がなかった。

もう一度、はるか彼方の海を見た。快晴でないのが残念だが、ぼんやりとした水平線もたまにはいいか。眼下には浸食を重ねた岩に打ちつける荒波。大の字に寝転がって空を見た。
また新しい一年が始まった。今年はどんな旅をしようか。どんな風景が待ち構えているだろうか。
強風が止んだ瞬間、立ち上がった。そして、東京へ向かうため灯台に背を向け、歩き出した。
今回の旅はブーメラン旅で、
往路と復路とでほとんど別ルートを通った。

坊ノ岬⇔枕崎は同ルートだが
枕崎からはバスで伊集院に出て
串木野経由で川内へ。

川内からは九州新幹線で熊本へ、熊本から京都まで寝台特急「なは」に乗車、京都から東海道線で名古屋まで。

当初は岐阜・美濃太田・多治見経由の中央線経由で東京に帰る一筆書き的な行程を考えていたが、バテたので名古屋から新幹線。

それでも1月3日の上り新幹線だけあって座れず、立ちっぱなし。
結局バテ続けたのであった・・・
VOL.6
厳冬の
道東一周
(第1編)
(第2編)
VOL.7
S字曲線で
離島の岬へ
(第1編)
(第2編)
VOL.8
目指せ!
本州最西端
VOL.9
日本半周
一筆書きの旅
(第1編)
(第2編)
(第3編)
VOL.10
続・日本半周
一筆書きの旅
(第1編)
(第2編)
(第3編)
VOL.11
リベンジ!
尻羽岬
VOL.12
前人未踏?!
本州一周の旅
(第1編)
(第2編)
(第3編)
VOL.13
東京発、
最西端経由
最東端行き
(第1編)
(第2編)
(第3編)