目的地に到達できなかった空しさは他に例えようがないのだが、気を取り直して歩き始めた。過去の同じような例を思い出しながら・・・真冬に訪れ、猛吹雪と積雪で湖畔に近寄れず引き返したクッチャロ湖(北海道浜頓別町)・・・。山道を彷徨った挙句、遥か彼方の灯台を見つめるしかなかった野母崎(長崎県野母崎町)・・・。今回の旅もこうして記憶に残るのだろう。
尻羽岬の方向にある集落は県道からは外れた知方学(チッポマナイ)や老者舞(オシャマップ)といい、日本とは思えない地名の響きが旅情をかき立てる。
小学校もあり、小さいながらも集落のあった知方学だが、明らかに人の住んでいない廃屋もまた見られた。環境の厳しさ、生活の厳しさ、様々な現状を垣間見た思いがした。
尻羽岬は永遠に存在するだろうが、そこに至る数々の集落、人間の生活の姿が永遠とは限らない。太平洋からの風に吹かれて少し侘しい気分になった。
再び厚岸湾に出た。往路と異なるのは正面に見える陸地の突端のさらに向こうまではたどり着けなかった無念さだけだが、いよいよ靴の合わない足が痛くなってきた。空模様も薄曇りとなってきてデジカメのジャッター切る回数が減った。歩く旅とはこんなに辛いものだったのか・・・。
そんなとき、下の画像の「地名板」なるものを見て自分の足跡を振り返り、気を取り直した。
一度で往復20キロ以上におよぶ歩きは、旅乞食にとっても最長距離だったかもしれない。足の痛みもあって、尾幌駅に戻ったときはやれやれという心境だった。空腹もかなりピークに近かったので、駅近くの国道沿いのセブンイレブンで買ったおでんとチョコレートクレープは格別に美味かった。旅としてはまだまだ贅沢なほうかもしれない。
尻羽岬を断念したため、時間に余裕ができたので釧路湿原方面に出ることにした。完璧に晴れ渡っているわけでもなかったので、綺麗な夕日が見られるか分からなかったが、とにかく行ってみることにした。釧路まで戻り、釧網本線に乗り換え。適当な駅で降りようと、車窓に目を凝らす。
左手後方の空がみるみるうちに紅く染まっていくなか、塘路で下車。
塘路は7年前の真夏に降りた駅だが、冬に下車するのは初めて。太陽が沈んだ後の空だったが、沈む前よりも美しい。足の痛さも忘れて20分近く歩き、真っ暗になるまで湿原のほとりに佇んだ。
下の画像は、技術不足のため映りが粗いのだが、実際に目にした風景のほうが美しかったのは言うまでもない。
今日の宿は網走に取っており、晴れた日の日中なら最高の車窓の釧網本線を北上する。冬は日が短いので、この日などは17時を過ぎると真っ暗。当然寒さも厳しくなってくるわけだが、幸い塘路駅の待合室はストーブが焚いてあり、凍えることはなかった。それでも贅沢なもので、温かくなってくると寒さが恋しくなり、ホームに出た。
決して雲ひとつないような晴天だったわけではないのだが、星空は美しい。星はとても近くに見えた。
深々と冷えるホームだが、この星空を見るためなら寒さも止むを得まい。ずっと空を見上げて、首が痛くなった。
やがて遠くから汽笛が聞こえ、たった1両の車両がやって来た。長いホームを持て余すように止まった。
車内はなかなか混んでいた。格好や荷物を見渡すと多くが観光客のようで案の定、摩周で多くの客が降りた。
レジャーとしての旅ではなく、どちらかというと修行チックな旅をするのが旅乞食の本分なので、ときには無謀に近いこともあるのだが、今回の旅ではウワテがいた。
塘路から乗った列車は途中の川湯温泉止まりの列車で、網走へ向かうにはここで1時間弱、後続の列車を待たなければならなかった。そんなとき、駅横には足湯≠ェ。
さすが温泉の町、温泉の駅。ちょうど足が痛かったこともあり、労わるには十分すぎる。さっそく靴と靴下を脱ぎ、ザブン。誰も居ない足湯で「ウゥ〜、沁みるゥ〜」とか言いながら満喫していた。
そんなときに、ガラガラ〜っとドアが開き、入って来たのはでかいリュックを背負った青年。足湯に浸かりながら、小型時刻表を見ている。
聞けば、バスで温泉街へ行き今日の宿を探そうとしていたが、バスはなく、おまけに腹が減ったがコンビニもないとのこと・・・。 無謀だ!!
そういう旅は野宿覚悟で望むべきだと思うのだが、冬の北海道でその覚悟があるようにも見えず、これが現代の青年なのか・・・。
千葉から来たと言うので関東人として助けてやりたかったが、自業自得には手を貸さないのが身上なので、彼のその後を気にしつつも川湯を後に網走行きの列車に乗り込んだ。
↑携帯のカメラで撮ったので画像悪いですが足湯です
放浪旅
VOL.6
厳冬の
道東一周
(第1編)